死後尚、多くのフォロワーを生み出している全てのアウトサイダー達の守護聖人。
デヴィッド・ボウイの奇跡的なキャリアの中で最も成功を収めた作品は『レッツ・ダンス』とそれに付随した『シリアス・ムーンライト・ツアー』と言える。
しかし、多くのボウイファンはどの曲、どのアルバム、どのコンセプトを取っても全く外れがない上に極度の緊張感とギリギリのバランス感覚で制作された70年代の作品こそがボウイであり80年代は無かった事にしたいと考えていると思う。
ザ・キュアーのロバート・スミスは「ボウイなんて『ロウ』を作った後に車に轢かれて死んじまえばよかった」とまで言っている。そして、ボウイが本当に亡くなってしまった時に最も狼狽したのは当のロバート・スミスで上記発言は屈折した極度の「ボウイ愛」によるものだった。
確かに70年代と80年代のボウイは違っていた。上記意見が大半を占めているのを理解した上でそれでも僕は “80’s Bowie” が最も好きだ。50年代のエルヴィスよりもラスベガス時代のエルヴィスが好きという気持ちに似ている。
80年代のデヴィッド・ボウイが何故好きなのか考えてみるとリアルタイムで「ボウイ・フィーバー・イン・ジャパン」を体験した点が大きい。TV でもゴールデンタイムに彼の特番が組まれ CM も頻繁に流れていた。
『シリアス・ムーンライト・ツアー』では、現実にそこにいる姿が健康的で楽しそうに見えたのだった。ここまで生身のボウイは今までになく、親近感が湧いた。ドラッグの災いを完全に断ち切った復活者。その印象に最も貢献したのがツアー衣装でパブリックスクールの制服を元ネタとしたカラフルなパステル調のスーツ。
さらにヤッコさん(高橋靖子さん)のプレゼント、メンズメルローズのタイにサスペンダーまで装着していた。この人は何を着ても似合う。スーツは『ヤング・アメリカンズ』やシン・ホワイト・デュークの時も着ていたのだが、それはペルソナの為の衣装に思えた。
また、『シリアス・ムーンライト』の衣装は私生活で着ていても違和感を感じさせない完成度とリアリティが同居していた。この衣装の構想は『戦場のメリークリスマス』で演じたジャック・セリアズ少佐の回想シーンを撮影していた際に思い付いたのではないだろうか。
この仮説が正しければ、大島渚という監督はボウイの長いキャリアに於ける最大の観客動員数を誇るツアーのイメージソースを提供した事になる。
1980年―― ボウイは NY のブロードウェイの舞台に立っていた。
ジョン・レノンとオノ・ヨーコが観劇するはずだったがマーク・チャップマンの凶弾に斃れてしまった。次の日チャップマンはボウイの舞台『エレファント・マン』を観劇予定だったと言われている――。
さて、話を元に戻そう。大島監督は、セリアズ役に当初ロバート・レッドフォードを想定していたが、この『エレファント・マン』でのボウイの演技を観て出演のオファーを即決する。
ボウイも流石でいよいよ世界中でアルバムを売ってみせると決意した矢先にも関わらず快諾し、この映画の為ならいつでもスケジュールを空けると明言した。それから2年もの間、ボウイは大島監督から声がかかるのを待ち続けた。そして、様々な才能が融合し、あの名作映画が誕生する。
最近ツアーの DVD とそのツアーのドキュメンタリー『リコシェ』を観ていて感じているのだが、ボウイは大英帝国の栄光と没落、そして “The World is Yours” 的な虚構を描きたかったのではないだろうか。
これもまた『戦メリ』のテーマである大日本帝国の植民地政策の栄光と崩壊… そして、ヨノイ大尉とハラ軍曹の末路からの着想だったのかも知れないと思うと実に興味深い。
※2018年1月18日に掲載された記事をアップデート
2019.01.09
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