6月7日

革命から40年!第2次ブリティッシュ・インベイジョンとはいったい何だったのか?

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拍車がかかる80年代回帰


世界のミュージックシーンにおける “80年代回帰” 現象。2020年代に入って、それはますます拍車がかかってきた感を抱く。昨今は1980年代の最も大きな潮流となった“エレポップ”再現ブームへと移行してきたようだが、その傾向はここ数年とどまるところを知らない。

ザ・ウィークエンド、ハリー・スタイルズ、デュア・リパあたりを筆頭に、世界を股にかけて活躍するポップアイコンたちは今や大なり小なり80年代エレポップの再現に腐心している。

この “80年代エレポップ” と呼ばれる音楽が出現しメインストリーム音楽シーンの中心にいたのが、おおよそ1980年代全般にかけてだ。そう!エレポップを体現していたのは、いわゆる第2次ブリティッシュ・インベイジョンという大きな波となったムーヴメントを形成していたアーティストたちだった。

ブリティッシュ・インベイジョンという音楽的現象


第2次ブリティッシュ・インベイジョン―― この言葉自体は当時のメディアにも結構躍っていたし、その後も音楽的現象としてちょくちょく取りざたされていたので、広い世代の層の耳に届いているのではないだろうか。

もちろん1964年〜60年代後半頃に勃発したブリティッシュ・インベイジョンからおよそ20年後に巻き起こった “英国勢の世界的侵略” なので第2次ブリティッシュ・インベイジョン。

60年代のそれはビートルズやローリング・ストーンズを中心に、若き英国ロックバンドたちが次から次へと世界のヒットチャートを席巻していた。第2次たる80年代のそれも若き(エレ)ポップアーティストが米国、ひいては世界のヒットチャートを席巻したもので、基本的構図はほぼ同様といったところ。

では第1次と第2次のブリティッシュ・インベイジョン、何が違うのかというと――

米アフロアメリカンたちがクリエイトしたレイスミュージックを根幹としたロックンロール(=R&B)を、ある種の憧憬を伴いながら英国流に模倣・再現・換骨奪胎したのが60年代ブリティッシュ・インベイジョン。

一方、ロックンロール誕生から様々な派生形態… ジャンルを経て30年後にたどり着いたニューウェーブを出自とした広い意味でのエレポップ(打ち込みポップ)及び映像戦略を確立したのが80年代ブリティッシュ・インベイジョン。

要するに直接的派生元が、60年代のそれが米国ロックンロール(特にブルース・R&B)だったのに対し、80年代のそれが英国ニューウェーブということになり、ここから(数十年を経て)受ける印象はというと、80年代の方が真の意味での英国勢の侵略だったのではないだろうか。

もちろん現存する大衆音楽がすべてロックンロールの誕生を源流としているわけで、ニューウェーブも辿ればロックンロールにいき着くことを鑑みれば、第1次・第2次ともにブリティッシュ・インベイジョンの根底にはロックンロールという大海原が敷かれているのだが。

デュラン・デュラン、カルチャー・クラブ、ワム! 第2次ブリティッシュ・インベイジョンを象徴


さて第2次ブリティッシュ・インベイジョンが世界のヒットチャートのメインストリームを本格的にかつ明確に侵攻しだしたのは、1982年終盤から1983年にかけてデュラン・デュラン「ハングリー・ライク・ザ・ウルフ」とカルチャー・クラブ「君は完璧さ」が大ブレイクしたころだ。



この第2次ブリティッシュ・インベイジョンを象徴する双璧ともいえる2大グループは、60年代ブリティッシュ・インベイジョンにおけるさしずめビートルズとローリング・ストーンズといったところか。

少し遅れて世界的ブレイクを果たしたワム!「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」を加えて、第2次ブリティッシュ・インベイジョンの3大グループと言われるものだが、1983年以降、実に多くの英国勢新進エレポップアーティストが次から次へと大ヒットを残していった。



60年代ブリティッシュ・インベイジョンにおけるビートルズとローリング・ストーンズの存在感はあまりに大きくこの2大グループを中心に回っていたのに比して、第2次ブリティッシュ・インベイジョンでは、数多くの新進アーティストたちがその中枢を形成していたという印象が強かった。

全米ナンバーワン以外でも存在するアーティスト&ヒットソング


大中小ヒットを放った新進アーティストの数は膨大、第2次は質よりも量―― いやいや、もちろん決してそんなことはないのだが!―― という側面が取りざたされるのも否めない事実。1983年から1985年の3年間だけで初めて全米ナンバーワンを獲得した英国アーティストを挙げると、デュラン・デュラン、カルチャー・クラブ、ワム!は言うまでもなくーー

デキシーズ・ミッドナイト・ランナーズ / カム・オン・アイリーン
ポリス / 見つめていたい
ユーリズミックス / スウィート・ドリームス
イエス / ロンリー・ハート
フィル・コリンズ / 見つめて欲しい
ビリー・オーシャン / カリビアン・クイーン
シンプル・マインズ / ドント・ユー
ティアーズ・フォー・フィアーズ / ルール・ザ・ワールド
ポール・ヤング / エヴリタイム・ユー・ゴー・アウェイ
ダイアー・ストレイツ / マネー・フォー・ナッシング
などが挙げられる。

ポリス、ダイアー・ストレイツ、ビリー・オーシャンはニューウェーブ出身という意味では微妙だが、ポストパンク、ガレージロック、パブロック、ブギーファンク、ブラコンといった同時期の新進ジャンルを経ているという解釈でギリギリ該当。イエス、フィル・コリンズといったベテランや、この時期のデヴィッド・ボウイやキンクスの復活も第2次ブリティッシュ・インベイジョンとの相乗効果は少なからずあったと思われる。

そして全米ナンバーワン以外でも枚挙に暇のないアーティスト&ヒットソングが存在していたのだ。そしてこれらに共通していたのは、ミュージックビデオという映像戦略に長けていたということになるだろうか。

第2次ブリティッシュ・インベイジョン元年、1983年


第2次ブリティッシュ・インベイジョンの直接的勃発は1983年が元年ということになるが、もちろんそれは突発的に巻き起こったわけではなく、ニューウェーブ台頭時期(1970年代後半)からその萌芽は垣間見られていた。ニューウェーブの波が欧州を中心に吹き荒れた1970年代終盤、80年代ポップの粋を集めたようなM「ポップ・ミューヂック(Pop Muzik)」の脇を固めるように、フライング・リザーズ「マネー」、バグルス「ラジオスターの悲劇」といった将来のエレポップを予感させるようなテクノポップが、英国のみならず世界的なヒットなったのがおおよそ1979年のこと。

“ニューウェーブ” という言葉が世界を駆け巡りつつあった80年代の幕開けとなった1980年代初頭、すべてのジャンルに打ち込み感を植え付ける急先鋒だったニューウェーブから枝分かれしたネオスカ(2トーン・ブーム)、ニューロマンティック、ファンカラティーナ、そしてポストディスコ期に向かう新たなダンスミュージックといった、まさしく “新しい波”を感じさせる英国発の世界的ヒットが続々ヒットチャートを賑わす。

ブームタウン・ラッツ / アイ・ドント・ライク・マンデイズ
トゥーリスツ(ユーリズミックスの前身) / 二人だけのデート
ヴェイパーズ / ターニング・ジャパニーズ
プリテンダーズ / ブラス・イン・ポケット

―― といったニューウェーブ出身のアーティストはもとより、ザ・クラッシュ「トレイン・イン・ヴェイン」、ピンク・フロイド「アナザー・ブリック・イン・ザ・ウォール」の突発的シングルヒットは、一連の流れとは無縁ではなかったに違いない。

ゲイリー・ニューマン「カーズ」が切り拓いた“エレポップ”のすそ野


そんな中1980年代幕開け直後のエポックメイキングな最重要ヒットを挙げるならば、ゲイリー・ニューマン「カーズ」以外のなにものでもない。ニューウェーブの代表的アーティスト、チューブウェイ・アーミー出身というのもあるが、いかにも典型的ニューウェーブの雰囲気を纏いながらポストディスコたるダンスミュージックの要素までをも内包した「カーズ」は、後のエレポップのすそ野を大いに広げる役目を果たしていたといえよう。

やがて、初期の頃は日英で火がついたデュラン・デュラン、ワム!がデビューして、1982年までにソフト・セル「汚れなき愛」、ヒューマン・リーグ「愛の残り火」(全米ナンバーワン!)の2大ヒットが生まれる。脇を固めていたフロック・オブ・シーガルズ「アイ・ラン」やファンカラティーナ文脈で語られるヘアカット100「渚のラブ・プラス・ワン」等の無名なニューウェーブ経由の新進アーティストたちのヒットもあり、1982年後半に差し掛かるころは、1981年夏に米MTV開局もあって英国勢の侵攻がいよいよ本格化してくるのか―― という雰囲気がふつふつと漂ってきたのだった。

こうやって後に俯瞰的に振り返ってみると、第2次ブリティッシュ・インベイジョンは、70年代終盤から様々な新進アーティストが切磋琢磨・試行錯誤しながら、デュラン・デュラン、カルチャー・クラブにバトンを渡そうとしていたのだろうか…。

1950年代以降のロックの時代突入後、要するに現行大衆音楽が成熟・確立して以降、大きな革新―― いや革命と呼んでもいいか―― となったのが、ロックンロール誕生(1950年代)と打ち込み・エレクトリック化の波(1980年前後)。この2度の “産業革命” 直後に勃発したのが、奇しくも2度のブリティッシュ・インベイジョンというのは、あらためて興味深い事象だったのだと思わざるを得ない。

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2023.01.05
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