大井町のリハーサルスタジオ、シブヤ楽器店
大井町駅から少し離れた池上通り沿いに、シブヤ楽器店というスタジオ、ライブホール、ヤマハ音楽教室を併設した楽器店がある。店の名前をわたしが最初に聴いたのは15年ほど前。当時足しげく通っていた六本木のライブハウスで、わたしと同年代で品川区出身のベーシストとのお喋りで話題になった。「僕が学生時代に通っていたお店で、戸越出身の Char や村田和人さんもここのスタジオで練習していたんだ」と教えてもらった。
わたしもこの店を訪れたことがある。道に面した店のドアを開けると、染み付いたタバコの匂いがする。「バンドマン禁煙」と書かれた、元々白かったと思われる貼紙は“so what?”… とばかりに燻み、この店に集ってきた幾多のバンドマンが紫煙をくゆらし音楽談義をする、そんな楽しそうな姿を思い起こさせてくれる。
最近、その店の名前をわたしは暫くぶりに聞いた。音楽プロデューサー清水信之がホストを務める渋谷でのライブでのことだ。
このシリーズは清水信之と縁のあるミュージシャンが毎回ゲストで、歌や演奏に加えて清水信之とゲストがトークで楽しませてくれるライブで、喩えるなら『徹子の部屋』のようなもの、と清水自身も別の日のライブで語っていた。
2019年10月16日、この日はゴスペラッツ名義での「ハリケーン」の編曲を清水信之が担当したなどの縁で、鈴木雅之がゲストヴォーカリスト、ラッツアンドスターの佐藤義雄と桑野信義がシークレットゲストで登場し、「ランナウェイ」をはじめとするシャネルズ時代のナンバーを、オリジナルキーの迫力あるハーモニーで聴かせて素晴らしい盛り上がりだった。
このライブでのトーク時に、ホストバンドのギタリストである佐橋佳幸と桑野信義の会話中、同じ城南地区の話題ということで大井町のシブヤ楽器店が登場したのだ。
1970年代後半、都立松原高校に通う高校生だった佐橋佳幸がスタジオでバンドの練習の休憩中、自動販売機の前で飲み物に迷っていたところ、日本楽器製造(現・ヤマハ)東京支店の主催するアマチュアバンドのコンテスト、イーストウエストで入賞し、既に有名になりつつあった、当時のシャネルズのヤンチャなメンバーと鉢合わせた、という話。楽器店の自販機前で緊張するハイティーンの小柄な少年と威嚇する少し年上のボーイズたちの光景が、わたしの脳裏に鮮やかにぶわーッと広がった。
その後、シャネルズは Epicソニーからデビュー。佐橋佳幸は高校の先輩である EPO のファーストアルバム『DOWN TOWN』収録の「語愛」で EPO から「去年の文化祭のとおりに弾けばいいのよ」と言われて、それがセッションギタリストとしてのデビューになった。1980年のことだ。
都立松原高校と音楽のDNA
都立松原高校の話をもう少し続けよう。清水信之の2年後輩である佐橋佳幸が1980年に卒業した後、1982年に都立松原高校の体育館がリニューアルされた。その年の学園祭、杮落しの記念でステージに登場したのが、卒業生である清水信之と、彼の1年後輩であるブレイク前の EPO だった。
この新しい体育館で膝を抱えて体育座りしてステージを見ていた学生の中に、清水信之の7年後輩になる高校1年生の少女がいた。彼女の名前は、渡辺美里。
雑誌『PATi・PATi』の1989年7月号(CBS・ソニー出版)と、渡辺美里の10周年で1995年に発行された書籍『SHE LOVES YOU Yeah! Yeah!』(ソニー・マガジンズ)に、このあたりの渡辺美里のヒストリーが詳しく掲載されている。少女がその後、憧れの先輩たちとプレ J-POP 時期のミュージックシーンを作っていく様子は、とんでもないシンデレラストーリーだ。
1976年、10歳のときに歌手になろうと決心した渡辺美里は、清水信之のアレンジが好きで高校生の頃からこの人と仕事がしたい、と思っていた。彼女がバンドを結成し学園祭のステージに立ったのは膝を抱えて体育座りで先輩のステージを見た1年後、1983年秋。卒業生の佐橋佳幸が高校時代からの音楽仲間たちと結成したバンド、UGUISS のメンバーとして Epicソニーからデビューしたのも1983年9月のこと。
渡辺美里のデビューと清水信之、EPO、佐橋佳幸の関係
高校3年になった渡辺美里は1984年に『ミスセブンティーン』に応募。高校の6年先輩である EPO の「土曜の夜はパラダイス」を歌い、特別に設けられた最優秀歌唱賞を受賞。1984年秋、当時佐野元春や白井貴子が所属していた事務所、ハートランドの春名氏に出会い、ソロシンガーとして歌いたいという意思を伝えた。Epicソニーのプロデューサーである小坂洋二さんに「学校終わったらレコーディング見においで」と言われて、大江千里や TMネットワークがレコーディングをしていたスタジオに足を運ぶようになり、7年先輩の清水信之とも顔を合わせた。
1985年3月13日の渋谷。都立松原高校を卒業した渡辺美里は、卒業式の後に同級生と渋谷のヨックモックでお茶をして店を出たところで、偶然春名氏と出くわした。レコーディングだから、と美里はそのままタクシーに乗せられた。ここから急スロープで坂道を駆け上がっていく。デビュー曲「I’m Free」が決まり、翌日からデモテープを録り、レコーディングを重ね、1985年5月2日に Epicソニーからデビュー。シングルに続けてファーストアルバム『eyes』のレコーディングを始めている。
『eyes』収録曲のうち、「きみに会えて」(作曲:小室哲哉)「Bye Bye Yesterday」(作曲:岡村靖幸)の2曲は清水信之が編曲を担当した。このうち「きみに会えて」では、佐橋佳幸がギターで参加、このときは美里と直接顔を合わせてはいないが、その後のツアー、レコーディングからは全面参加し、1988年には「センチメンタル・カンガルー」も提供。佐橋佳幸は渡辺美里について1989年7月号の雑誌『PATi・PATi』で「右斜め後ろからずーっと4年位見ている」と語った。
2014年の佐橋佳幸の30周年ライブ『~東京城南音楽祭 T.J.O~』が2014年12月に NHK BSプレミアムで放映された。清水信之や佐橋佳幸もいるステージで EPO が「語愛」を披露した後で渡辺美里が登場した。清水信之、EPO、佐橋佳幸、渡辺美里と4人揃った場面と、スタジオでの佐橋佳幸のコメントを挟み、渡辺美里の「センチメンタル・カンガルー」が披露された。
チケットが取れず現地へ行けなかった私は、この録画を自宅のリビングで体育座りして何回も見ている。永遠に文化祭の中にいるかのように。
2019.11.09