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1982年の鹿鳴館、原宿「ピテカントロプス・エレクトス」誕生秘話
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80年代始め、私はアパレル会社の社員だった。

私を雇用してくれた位だから社長夫妻は凄く懐が大きく社風は個性重視かなり自由だった。社長夫妻の口癖は「カッコ良くあれ。無ければ作れ、衣食住全てセンスだ!」だった。

「アメリカにある体育館風の安価な巨大な古着屋があれば良いのに!」

社長夫妻は自社ブランドと別に原宿に dept store をオープン。その1年後、日本で初めてのクラブ「ピテカントロプス・エレクトス」を開店する事になった。桑原茂一氏と中西俊夫氏を中心に「いわゆるディスコでなく日本初のクラブ」は原宿東郷神社から伸びる通称ラストロードの地下に作られた。

当時「クラブ」と言ったらいわゆるホステスさんのいる店を指す言葉だった。箱から発信する「クラブ」って何だろう? 違いは語尾の「ブ」の字を下げるか、上げるか。その位しか分からなかったが期待は高まるばかりだった。

工事は遅れに遅れ店名の装飾はケンタッキーフライドチキンを皆で食べまくり残った骨で象った。「ピテカントロプス・エレクトス」=直立原人。通称ピテカンの誕生だ。

社長夫妻は「あえて装飾せず来た人の色が付く様に」と踊るもよし、話すもよし、店内はアートギャラリースペース、DJブース、ライブやショーが出来るスペース、そして一番画期的だったのはいわゆるディスコ飯でなく深夜でもちゃんと温かい和食が出る店だった。そんな店は今迄日本に無かった。

この店はたちまち評判を呼び常にあらゆる事を発信し続けた。

キース・ヘリングやJ.M.バスキアが壁にサインを残し、UB40、リップ・リグ・アンド・パニックを筆頭に数々のライブが行われ、デペッシュ・モードやクラウス・ノミやジョン・ライドンがふらりと遊びに来たり、ブライアン・フェリーとデヴィッド・バーンがテーブル囲んでいたりもした。NYやロンドン・パリでなく東京の原宿でだ。

後の岡崎京子署『東京ガールズブラボー』でサカエちゃんの憧れの店として、また宮沢章夫氏に「80年代の鹿鳴館」つまり流行と文化の最先端と位置づけられた。

そんなピテカン後期『サンデー・アフタヌーン・ピクニック』というイベントがあった。日曜の午後3時に禁酒、禁煙で20歳未満限定ライブ。500円とか1000円でメロンやミュートビートが観られた。当時のライブハウスの昼の部の様で、クラブで10代限定ライブとは非常に斬新な企画だった。

その中にピテカンでレコーディングし桑原茂一氏プロデュースでデビューしたザ・バッツ(THE BOTS)というバンドが忘れ難く衝撃だった。

ラストロードを埋め尽くすバイク。地下にひしめくリーゼントと革ジャンの10代男子の群れ。演奏は唸るウッドベースと雄叫びから始まり客を睨みながら唄いMC無し。ピクニック参加記念にTシャツのお土産付きの粋な計らい。

ロカビリー meets パンク=パンカビリー誕生の瞬間に立ち会えた。

ライブ後思わず彼らに聞いた所、中古のウッドベースを買い独自に改造しコードはシールを貼り位置を覚えて後は我流だと。カッコいいに拘り、無ければ服も髪も音も楽器も作る。そんな意識を体現したザ・バッツはオシャレなピテカンと言われた場で社長夫妻の教えのお手本の様な存在だった。

あえてシンプルな箱で排他的とか敷居が高い箱と言われたのはきっと「世界で一番カッコ良い」に拘った私達がピテカンに付けた色がそう感じさせたのかも知れない。

残念ながらザ・バッツはミニアルバム1枚で解散。ピテカンも3年足らずで閉店しクラブDになる。当時の貴重な『サンデー・アフタヌーン・ピクニック』でのライブ映像を見ると、伝説の80年代の鹿鳴館は決して排他的では無くあらゆるスタイルの発展の場であったと思う。


※上掲の写真は2018年の建物外観です。

2018.02.12
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  YouTube / TheHarajukuStreet


  YouTube / HEPCAT
 

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