6月5日

名曲満載! ビートたけしの歌世界 ~ タケちゃんの思わず歌ってしまいました

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ビートたけしのシングル「いたいけな夏」がリリースされた日
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自らを “最後の浅草芸人” と語るビートたけしこと北野武は、浅草フランス座(現在は浅草東洋館)で深見千三郎門下のコメディアンとしてコントの修行時代を経た後に漫才へ転向し、1972年に兼子二郎(ビートきよし)と共に “ツービート” を結成。80年代初頭に訪れた漫才ブームの波に乗って、一気にスターとなる。高速で捲し立てるシニカルな毒舌漫才がウリだった。

81年元日に『ビートたけしのオールナイトニッポン』がスタートすると、ヘビーリスナーとなった当時の男子中高生たちはすっかり影響を受け、みな普段の喋り方がたけし口調になってしまう。高校生だった自分も例に漏れず「というわけで」とか、「~してしまいました」「バイビー!」などと口癖を真似ていた憶えがある。

その後は映画監督として名を馳せ、“世界のキタノ” として崇められているが、そちらは “北野武” の方で、“ビートたけし” としては相変わらず馬鹿馬鹿しいヨゴレの仕事もこなしているのは素晴らしい。

一方で、一時期盛んだった歌手活動はすっかり鳴りを潜めてしまった。決して本業ではないものの、歌い手としてのキャリアも相当長く、ツービート時代に初めてレコードを出してからもう40年近くが経つ。

ただし、初のシングル盤となった80年の「不滅のペインティング・ブルース」はB面の「みんなの童謡」と共に、歌ではなく喋りの、完全にネタのレコードだった。実家が塗装業だったことから、ウチの親父はペンキ屋だぞ、しまいにゃお前んち塗っちゃうぞ、と毒づいている。普通の歌ではないのに、バックは羽田健太郎のキーボード、芳野藤丸のギター、伊集加代子のコーラスという豪華なメンバーが並んでいるのにも注目。

続いて同年にはもう一枚、「ホールズ・ポールズ」というシングルも出されて、台詞が多いながらも歌も歌った。井上大輔に改名する直前の井上忠夫の作曲仕事だが、あくまでも『ボールズ・ボールズ』という洋画のキャンペーンソングの企画盤で、当時はほとんど売れなかったはず。

そんなわけで、81年に入ってから出された3枚目のシングルがビートたけしの正式な歌手デビュー曲といえる。ツービート名義のレコードながら、A面がたけしの「俺は絶対テクニシャン」、B面がきよしの「茅場町の女」と歌い分けられており、たけしの歌はテクノ歌謡として近年になって一部で再評価されることとなった。作詞・来生えつこ、作曲・遠藤賢司の珍しいコンビネーション、演奏は東京おとぼけCats。

そしていよいよ次に登場するシングルに、高校2年生だった自分は魅了されてしまう。それが81年6月5日に出された「いたいけな夏」だったのである。同時発売だったビートきよし「雨の権之助坂」には目もくれず、新宿のテイトムセンで発売日に買ったシングルをカセットテープに録って繰り返し聴いた。

作曲は加瀬邦彦、アレンジの伊藤銀次は既に人気番組となっていた『オレたちひょうきん族』とも関わっており、その辺りの連携が感じられる。その約2年後、番組から生まれる安岡力也の「ホタテのロックンロール」の元歌が加瀬の作という縁にも繋がった。

ラジオで最初に聴いた「いたいけな夏」をいっぺんで気に入ってしまったのは、それが見事な湘南サウンドに仕上がっていたからだ。この年は2月に加山雄三の久々の主演作『帰ってきた若大将』が公開され、主題歌の「この愛いつまでも」が出された。

同じ月には映画と実演のメッカであった有楽町・日本劇場が閉館となり、ラスト興行となった『サヨナラ日劇フェスティバル』をきっかけに加瀬邦彦率いるワイルドワンズが本格的に活動を再開する。そしてアンコール・デビュー盤として「白い水平線」が7月にリリースされた、湘南サウンドの歴史にとって極めて重要な年でもある。

時系列に並べると、「この愛いつまでも」~「いたいけな夏」~「白い水平線」が半年間に連なったわけで、この一曲でビートたけしも湘南サウンドファミリーの一員となったのである。ちなみに7月にはサザンオールスターズが名盤と誉れ高い4枚目のアルバム『ステレオ太陽族』をリリース。幸せな夏だった。

以降も、82年は畑中葉子との企画モノ「丸の内ストーリー」をはじめ、「BIGな気分で唄わせろ」、「OK! マリアンヌ」と歌手としても脂が乗り、初のアルバム『おれに歌わせろ』も発表。コーセー化粧品秋のイメージソング「OK! マリアンヌ」は3万枚のスマッシュヒットを記録した。

谷川俊太郎の作詞、坂本龍一の作曲による83年のシングル「TAKESHIの、たかをくくろうか」はオールナイトニッポンのエンディングテーマにも使われる。タケちゃんマン名義で出された明石家さんまとの「アミダばばあの唄」も83年、翌年の「ビックリ箱のうた」はいずれも『オレたちひょうきん族』から生まれた歌で、それぞれ桑田佳祐、松山千春の作という贅沢な代物だった。

84年には「BIGな気分で唄わせろ」に続いて大沢誉志幸が曲を提供した軽快なナンバー「抱いた腰がチャッチャッチャッ」もリリースされており、たけし軍団をバックに歌われた作品の中でも傑作として名高い。

2000年代に入るとレコードのリリースは途絶えてしまうものの、アルバム曲ながら有名な「浅草キッド」が、少し前にピースの又吉直樹が芥川賞を受賞した『火花』を映画化する際に主題歌として使用され、主演の菅田将暉と桐谷健太によって歌われたのは記憶に新しい。

この曲のおかげで歌手・ビートたけしの印象はペーソスに満ちたバラードが主流となってしまったが、ノヴェルティタイプの楽しげなポップス群も忘れないで欲しい。エノケンと同様、浅草を原点とする昭和の芸人らしい「たけし節」の新たなレパートリーをまた聴きたいものだ。

2019.06.05
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カタリベ
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