リマインダーと BS12 『ザ・カセットテープ・ミュージック』のコラボレーション企画、80年代に特化したトーク&ライブイベント「リスペクト」第2弾、題して、
『Re:spect vol.2 ― 人間交差点 ♪ 伊藤銀次』。
2018年9月24日(月・祝)13時30分~代官山 WGT にて、限定80席。前売4,900円。当日は、私がホストを務めさせていただきます。チケット絶賛発売中です。ぜひお越しください。
で、今回は、
『伊藤銀次 自伝 MY LIFE, POP LIFE』(シンコーミュージック・エンタテイメント)より、伊藤銀次氏を取り巻いた様々な音楽家による、印象的なコトバを追っていくことで、氏のリアルな歩みを、人間臭くたどっていく「人間交差点・コトバの交差点 ♪ 伊藤銀次」の「その2」です。「その1」が大滝詠一だったので、次はもちろん、この人――。
「コーラス・グループって勝手に思っているかもしれないけれど、僕らは自分たちで演奏もするバンドなんです。誤解してもらっちゃ困る」
息巻いて話しているのは、若干20歳の山下達郎。相手は大滝詠一。場所は、福生の大滝詠一家。もちろんそこには伊藤銀次氏もいて、他にも、大貫妙子、村松邦男など、デビュー前のシュガー・ベイブのメンバーもいたようです。
状況としては、はっぴいえんどの解散コンサート(1973年9月21日・文京公会堂)に、コーラス担当としてシュガー・ベイブに出演してほしいと、大滝詠一が山下達郎に打診しているシーン。
いやいや、ちょっと待ってください。片や、「日本語のロック」を生み出したと言われる伝説のロックバンド=はっぴいえんどのボーカリスト、大滝詠一25歳。片や、未だデビューすらしていない青年、山下達郎20歳。
―― おいおい! よくそんな上から目線で言葉を返せるなと(笑)。さすが山下達郎だ。
しかし、本当に偉いのは、大滝詠一だと思います。「すごい剣幕」で反論した山下達郎を逆に気に入り、めげずに、はっぴいえんど解散コンサートにシュガー・ベイブを参加させ、そして、山下達郎のあの歌声が世に出たのです。逆に言えば、その「すごい剣幕」に対してキレて、シュガー・ベイブを参加させなかったとしたら、山下達郎は世に出なかったこととなります。
言わば、山下達郎が世に出るための奇跡。そんな奇跡がもう1つ、この本に収められています。
これは、とても有名なエピソードですが、上のエピソードの少し前、場所は高円寺のムーヴィンというロック喫茶。伊藤銀次氏とギタリスト・駒沢裕城の耳に流れてきたのはザ・ビーチ・ボーイズの「ウェンディ」。
―― だけどあんまり音が良くないし、コーラスもビーチ・ボーイズのようにうまくない。駒沢君と「これブートレグかな」「そうなんじゃない?」って話してて。ところがリード・ヴォーカルが出てきたら、これが凄く良くてね。一番ビーチ・ボーイズの雰囲気に合ってたんです(『伊藤銀次 自伝 MY LIFE, POP LIFE』―シンコーミュージック・エンタテイメント―)
そして伊藤銀次氏は、このアルバムに書かれていた連絡先を訪ねて、そのボーカルに辿り着くわけです。もちろん、そのボーカルこそが、山下達郎だったわけですが。
考えるのは、「その日、伊藤銀次氏が高円寺に行っていなければ、そしてムーヴィンでその音源がかからなければ、さらには、伊藤銀次氏がその音源に引っかからず、連絡先を訪ねていなければ… 山下達郎は世に出ていなかったのでは?」ということです。もちろん、あれだけの才能の持ち主である山下達郎なのですから、別のルートで台頭してきたとも思うのですが。
ちなみに、高円寺のロック喫茶ムーヴィンについては、先ごろ発売された金澤信幸『フォークソングの東京 聖地巡礼 1968-1985』(講談社)という本に、詳しく説明されています。JR高円寺駅の南口を出て、南口商店街に入る前の右側の狭い道を入っていった左側にあったようです。もちろん現存はしません。
というわけで、9月24日のイベントでは、このような「山下達郎が世に出るための奇跡」についても、いろいろと聞いていこうと思いますので、山下達郎ファンもぜひお越し下さい(と書いていて気付いた。イベントの3日前の9月21日は、はっぴいえんどの解散コンサートから、ちょうど45年となる日だ)。
最後に追記です。
実はこのイベントに先駆けて、先日、伊藤銀次氏と打ち合わせをしたのですが、そこで「その1」で書いた、「センチメンタル・シティ・ロマンスの告井延隆、大滝詠一のラーメンの『不味い』と言って破門された事件」について、真相を聞きました。結論から言うと、事実だそうです。ただしその事件には、笑える後日談もありまして――
(詳しくは当日イベントにて)
2018.09.09