何事も先ず形から入る。私にとっては儀式の様なもの。
外見を整えてまるでハレの日の祭りに参加する様にライブに通った日々。その為にアパレル業界に入り髪型や服装や靴でいちいち文句なんて言わせない様にしたのだから。
1984年信じられないニュースが入った。「ジョニー・サンダース来日」
私は中学生の時からニューヨーク・ドールズ命で一番好きなのはジョニー・サンダースだった。知り合いからも電話が沢山入り皆「本当に来るの?」と半信半疑。チケットを全部買いシフトを休みにし、5歳下のスタイリストのアシスタントAちゃんと「何を着て行く?」―― 先ずはここからと準備を開始。
私もAちゃんも多忙故、打ち合わせ3回。二人で色違いお揃いの手作りワンピースを着て行く事にした。ジョニーはガールグループが大好きだから髪型もアクセサリーもこだわりまくる方針で物探しを始める。
理想の生地は西日暮里で格安で入手。縫製は不器用な私担当。何とか急ぎで2着完成。アクセサリーも色違いで揃えAちゃんは金髪のウィッグをオカダヤで購入。私は大きなポンパドールで――
85年1月ツバキハウス、ジョニー・サンダースの初来日公演に2人で向かう。途中Aちゃんのアンティークの靴が壊れた! 修理に行く時間が無い。
「ラメタイツだしツバキだから平気。」
と彼女は靴を脱いだ。だったら私もと脱いだ。脱いだ靴を抱えて2人でタイツのみの間抜けぷりに大笑いしていたら、ツバキハウスのビルのエレベーターが開いた。
すると、オーストリッチの羽付きの黒い帽子を被り紫のベルベットジャケットにフリルのシャツを着た王子が目の前に現れた。
そう… 私の王子。ジョニー・サンダース本人だ。
彼は顔色悪く私達を凝視してエレベーターから降りない。私からニッコリ笑って挨拶した。途端に――
「お前らは何だ?」
「……?」
「兎に角、ツバキハウスに戻りたいから一緒に乗れ。」
靴無し女2人とジョニー・サンダースは一緒に狭いエレベーターでツバキハウスへ向かった。靴履いてれば完璧だったのにと悔やんでるとジョニーが再び聞いて来た。
「お前ら姉妹か?」
「違う」
「じゃあ何だ? まるでガールグループの様だが、プロか?」
「違う」
私がそう言うと、何故かそれまで黙ってたAちゃんが「ウィー・アー・ザ・マカデミアンナッツ!」と被せて来た。
―― 女2人でお揃いの色違いのワンピースからザ・ピーナッツに因んで「マカデミアンナッツ」と咄嗟に口走ったらしい。ツバキハウスに着いてもジョニーは離れず、どうやらマカデミアンナッツに興味深々だ。
「何か一曲歌って」
ヤバイと怖気付く私にAちゃんが囁き声で「いつもの、恋のフーガ」。カラオケでピーナッツは十八番中の十八番だった。私達がヒソヒソしていると明らかにジョニーは不機嫌になった。
慌てて「日本語だけどオッケー?」と言い、2人で “♪ドゥンドゥビドゥバ” からアカペラ踊り付き、ハモりも完璧な「恋のフーガ」を歌った。勿論、靴無しのタイツでだ。気づくとジョニーが手拍子と足でリズムを取っていた。
無事に唄い終わるとジョニーが、私を指差し「君はロニーだ」、Aちゃんには「君はメアリーだ」と言った。ロニーはロネッツのロニー・スペクターで、メアリーはシャングリラスのメアリー・ウェイス。
ジョニー・サンダースのライブはその後直ぐに始まった。洋服を手作りしてまで行ったのは後にも先にもジョニー・サンダースのツバキハウスだけ―― 最前列、靴無しでもみくちゃになりながら観た85年の初来日1回目は、私的にはベストアクトに近い出来だった。2人共足裏が真っ黒になり汗で付けまつげがずれてもジョニーを観られた喜びでずっと笑っていた。
あの日から私はずっと彼が名付けたロニーを名乗ってる。
2018.08.18
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