10月10日

特別な意味を持つ【1984年の中森明菜】一体この時期の彼女に何があったのか?

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アイドルとは、能力に対する肩書きではなくてキャラクター?


いわゆる「アイドルの恋愛は許されるか?」論争がある。

記憶に新しいところでは、AKB48の岡田奈々サンの例がそうだ。舞台で共演した某俳優との交際を「文春オンライン」にスクープされ、その4日後、自らツイッターで時期は未定としながらも、グループからの卒業を発表した。それを受けて、SNSでは論争が沸き上がった。

「トップアイドルとしての自覚が足りない」
「25歳の女の子が恋愛するって、普通のことじゃないの」
「彼女自身、かつてグループの風紀委員長を名乗り、スキャンダルをネタにするメンバーを批判していた」
「いや、そもそもAKBに恋愛を禁止したルールはない」

―― まさに、賛否両論。この論争については、個人的にはかつて「ひろゆき」サンが唱えた考察(今も同じ考えかどうかは不明)が、割としっくりくると思っているので、ここで紹介したい。

「(アイドルに恋人がいるのは許せる? と問われ)―― 僕、許せない派ですよ。『アーティストで歌手です』とかであれば恋人がいようが何だろうが全然いいんだけど、能力がある人って『歌手です』とか『ダンサーです』とか『役者です』っていう能力に対する肩書きがつくんだけど、アイドルって能力に対する肩書きではなくてキャラクターに対する肩書きで、アイドルというキャラクターは恋人がいないというキャラクターが前提だと僕は思っている。なので、アイドルという肩書きを使う以上は、恋人を持つんだったらその肩書き使っちゃダメですよ、って思ってはいます」

中森明菜はアイドルか? それともアーティストか?


―― いかがだろう。僕も割とこの考え方に近くて、アイドルとアーティストを比較した場合、前者に求められるのは「商品」としての完成度(=キャラクター性)であり、後者は「作品」としての完成度(=作家性)だと思っている。どちらが上とか下ではなく、単なるカテゴリーの違いだ。

つまり、アイドルとはいわば「恋人がいない設定のキャラクター商品」。そのために芸能事務所やレコード会社をはじめ、作詞家、作曲家、スタイリスト、美容師、振付師、写真家等々のプロフェッショナルたちが才能を結集して、1つのキャラクターを作り上げる。もちろん、ベースとなる素材の魅力があって、初めて魅力的な商品(キャラクター)になる。

だから、ぶっちゃけ私生活では、アイドルに恋人がいても全然いいと思うけど、表向きはそれを隠す(設定を守る)のがファンへのマナー。ちなみに、キムタク(木村拓哉)が若くして「彼女」の存在を許されたのは、早々に役者としてブレイクして(『あすなろ白書』や『若者のすべて』の頃ですね)、アイドルからアーティスト枠に移行していたから。

―― と、少々前置きが長くなったが、ここから本題の中森明菜サンの話である。単刀直入に言えば、彼女はアイドルかアーティストか?―― もちろん、最初はアイドル歌手としてデビューしたけど、ある時期から明確にアーティストと呼ばれるようになった。もちろん、先にも申し上げたように、そこに上下関係はない。単にカテゴリーが移行しただけ。

で、今回取り上げる作品―― 明菜サンの6作目(ベストを入れると7作目)となるオリジナルアルバム『POSSIBILITY』が、いわゆるアイドル・中森明菜の最終局面だったと僕は見ている。これ以降、彼女は急速にアーティスト色を強めていく。一体、この時期の彼女に何があったのか。アルバムの解説と共に、それを紐解いていきたい。



1984年元旦リリース「北ウイング」から打って出た中森明菜の勝負


アルバム『POSSIBILITY』のリリースは、今から38年前の1984年10月10日である。タイトルの意味は「可能性」―― 額面通りに取れば、それはアイドル・中森明菜の可能性―― “伸びしろ” を予見している。この直後、同年11月にリリースされるシングル「飾りじゃないのよ涙は」(作詞・作曲:井上陽水)、そして翌年4月に発売されるアルバム “ビタスイ” こと『BITTER AND SWEET』から急速にアーティスト路線に舵を切ることを思えば、意味深のタイトルだ。

思えば、「1984年の中森明菜」は特別な意味を持つ。まず、元旦リリースの7thシングル「北ウイング」(作詞:康珍化、作曲:林哲司)は、それまでの純愛バラードとツッパリ・アップテンポをテレコで出す戦略をリセット。より普遍性のある歌謡曲っぽいナンバーで勝負に出た。タイトルはユーミンの「中央フリーウェイ」を参考に、明菜自身が提案したという。



これが売れた。彼女の歴代シングルで言えば、「セカンド・ラブ」、「ミ・アモーレ」、「飾りじゃないのよ涙は」に続く第4位のセールス。それまでのエッジの立ったティーンアイドルから、少し肩の力を抜いて等身大の魅力を伝えられるアイドルへ――。このリリースを起点に、「1984年の中森明菜」が幕を開ける。同年リリースされた作品は以下の通りである。

1月1日 ― 7thシングル「北ウイング」
4月11日 ― 8thシングル「サザン・ウインド」
5月1日 ― 5thアルバム『ANNIVERSARY』
7月25日 ― 9thシングル「十戒(1984)」
10月10日 ― 6thアルバム『POSSIBILITY』
11月14日 ― 10thシングル「飾りじゃないのよ涙は」
12月15日 ― 特別版シングル「北ウイング / リ・フ・レ・イ・ン」

――『POSSIBILITY』は、このうち「サザン・ウインド」と「十戒(1984)」、そして特別版の「北ウイング / リ・フ・レ・イ・ン」と、都合3曲のシングルが収められている。明菜のアルバムにシングルが2曲以上収録されたのは同盤のみ。その意味でも、「1984年の中森明菜」を象徴するアルバムと言えよう。

自然体の笑顔が実にいい!


1984年の中森明菜とは――?
僕は、それまで反発や葛藤を繰り返しながらも、プロフェッショナルたちによって戦略的に作られてきた“アイドル・中森明菜”というキャラクターを、ようやく彼女自身が自然体で楽しめるようになった、幸せな時代だと思っている。そんな余裕から、反発ではなく、大人たちを納得させる提案も出せるようになった。例えば、「北ウイング」のタイトルもそうである。

また、8thシングルの「サザン・ウインド」(作詞:来生えつこ、作曲:玉置浩二)は、明菜初のリゾート・ソングになった。同曲で見せた “笑顔” もまた―― それまでの彼女のシングルでは見られないものだった。思えば、かつて明菜が『スター誕生!』(日本テレビ系)で歌ったのは、クールな山口百恵サンが珍しく笑顔を見せる「夢先案内人」―― 素の明菜は案外、笑顔になれる楽曲が好きなのかもしれない。

事実、その翌月のデビュー3周年の日にリリースされた5thアルバム『ANNIVERSARY』のジャケット写真は、レコーディングで訪れたバハマで撮られたスナップ写真風の一枚。この外国人のおっさんと並んだ自然体の笑顔が実にいい! 個人的には、歴代の明菜のアルバムの中で、同盤のジャケ写が一番好きだ。



売野雅勇も絶賛した “シンガーアクトレス”


そして―― 1984年の中森明菜のメインイベントとも言える、9thシングル「十戒(1984)」のリリース。作詞は、それまで彼女のツッパリ路線を牽引してきた売野雅勇サンが最後の登板へ。作曲はギターの名手・高中正義サンが起用された。これを音楽番組で歌う明菜サンのカッコよさたるや! もう、かつて「少女A」の歌詞に反発した少女の姿はどこにもなく、役になりきるプロフェッショナルがそこにいた。作詞した売野サンはこう絶賛する――

「ぼくの創り上げた詞の主人公を見事に演じ、脚本以上の映像をつくってしまう素晴らしきシンガーアクトレスだ」

音楽番組で「十戒(1984)」を歌う明菜サンで忘れられないシーンがある。1984年9月13日の『ザ・ベストテン』(TBS系)だ。この日、5週連続1位の彼女は、日本テレビ系の『全日本オールスター選抜大運動会』の収録会場からの中継出演。ジャージ姿で、「中森明菜」のゼッケンをつけて歌った。ハプニングは終盤に訪れる。突然、フリを忘れた明菜サン―― 戸惑いつつも、笑顔。慌てて決めポーズをするも、早回しみたいになり、床にしゃがみ込む。「ごめんなさ~い(笑)」

これだ。ツッパリソングの「十戒」を歌う一方で、オールスター大運動会にも出演する庶民ぶり。更には、フリを忘れて「ごめんなさ~い」とお茶目な笑顔―― そう、これぞアイドルの鏡。1984年の中森明菜は、素は可愛い女の子だったのだ。



アルバム「POSSIBILITY」で打たれた “アイドル・中森明菜” の終止符


さて、アルバム『POSSIBILITY』は、どの曲もシングルなみの存在感を放っている。「サザン・ウインド」と「十戒(1984)」のシングル曲はもとより、この2ヶ月後に「北ウイング」と両A面でシングルカットされる「リ・フ・レ・イ・ン」(作詞:松井五郎、作曲:松田良)も名曲である。そして、来生えつこ・たかお姉弟作品の「地平線(ホライゾン)」と「白い迷い(ラビリンス)」が放つメロディの存在感たるや。ちなみに、「白い~」は来生たかおサンがセルフカバーして、この翌月に「白いラビリンス(迷い)」と改題してリリースする。

極めつけは、B面ラストの曲「ドラマティック・エアポート―北ウイング PartⅡ―」(作詞:康珍化、作曲:林哲司)だろう。タイトルが示す通り、あの「北ウイング」のアンサーソングである。もちろん、作詞・作曲の座組も同じ。まさに、1984年の中森明菜は「北ウイング」に始まり、「北ウイングPartⅡ」に終わる――。

そう、アイドル・中森明菜は事実上、アルバム『POSSIBILITY』をもってフィナーレを迎えた。翌11月14日にリリースされるシングル「飾りじゃないのよ涙は」以降、彼女はアーティストへと急速に舵を切る。個人的には、自然体でアイドルを楽しむ「1984年の中森明菜」をもう少し見てみたかった気もするが―― こればかりは仕方ない。

一体、この時期の彼女に何があったのか。

『POSSIBILITY』がリリースされる前日―― 1984年10月9日、ある映画の製作発表が都内で行われた。東宝配給の『愛・旅立ち』である。会見場には、プロデューサーの山本又一朗氏と、主演の2人が並んで座っていた。それまで彼ら2人の関係は噂の域を出なかったが、本映画がもとでオープンな交際へと発展する。案の定、記者の質問は映画より、2人の関係に集中した。

賽は投げられたのである。



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2022.12.13
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カタリベ
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