キョンキョン演じる「あまちゃん」天野春子のセリフに思う花の82年組
何年か前、ファミリー劇場のお正月編成で『あまちゃん』の一挙放送が組まれていたので迷わず録画。後でゆっくり観ようなんて思ってましたが、見だしたら止まらずに3日で完遂したことがありました。全156話×15分で39時間の長丁場、さすがに疲れましたけど、新しい発見もあったし、改めて楽しませてもらった感じです。
その『あまちゃん』にこんなシーンがあります。キョンキョン演じる天野春子が、アイドルを目指す娘(能年玲奈)のレコーディング手法を巡ってプロデューサーの太巻(古田新太)にブチ切れる場面。この二人、25年前(80年代)からの因縁を抱えている設定なのですが、春子は太巻にこう言い放ちます。
「普通にやって、普通に売れるもん作んなさいよ!」
さて、ちょっと振り返ってみましょう。キョンキョンのデビューは1982年3月。いわゆる “花の82年組” です。圧倒的に可愛かったけど、全体として受ける印象は他のアイドルと横並びでした。シングルはいかにも70年代的な歌謡曲で、レコ大新人賞の5人枠にも入れず出遅れた感じ。髪型も “ザ・聖子ちゃんカット” でフォロワーの感は否めません(ちなみに、82年組のほぼ全員が聖子カットでデビューした時、松田聖子は既にショートヘアになっています)。
やんちゃ感が満載だった小泉今日子のポジションは “普通の子”?
このビミョーなポジショニング、おそらくキョンキョン本人が一番敏感に察していたのでしょう。彼女は自分の本能に従い(事務所に無断で)髪をバッサリ切ってしまうのです。NHK的に言えば「その時歴史が動いた」でしょうか。まあ、やけっぱちだったのかもしれませんが、いずれにせよ、それ以降の彼女は、自分で自分をプロデュースする(やりたいことをやるけど落とし所もつくる)方向に舵を切り始めます。4枚目のシングル「春風の誘惑」をリリースした後、1983年の春のことでした。
時を同じくして、レコーディングディレクターも田村充義氏(当時ビクター)に変わり、次のシングル「まっ赤な女の子」から、その作風もどんどん変化していきます。キャラクター面においても、刈り上げにしてみたり、ボディペイントで人拓とってみたり、サブカルチャーの才能に光を当ててみたり、八面六臂の活躍をしていくのです。当時のアイドルとしてはやんちゃ感満載だったし、アタマ3つくらい抜けていた肌感なのですが、意外にも田村氏はこう語っています。
当時でいいますとまずは松田聖子さん、中森明菜さんのお二人がいて、とても歌の力では太刀打ちができない。当時の流行りの言い方でいうと「良い子 悪い子 普通の子」の「普通の子」が小泉今日子のポジションだと。でも「普通の子」だからいろいろなことをやらなくては続けてはいけないので、常に変化は考えていました。
(引用:当時のディレクター・田村充義さんに訊くレコーディング秘話!)
芯を強く持って重ね続けたたゆまぬ変化
いやいや、この発言は思いの外でした。僕の実感だと4枚目までのシングルが普通(というか無個性)で、それ以降はエッジを効かせ過激で無軌道になっていった印象。とても普通だなんて思わせなかったアイドル。でも、それが普通であることを自覚した上で重ねていった変化だったとは。
普通ってなんなんでしょうね。こうなってくると、普通という言葉の定義がゲシュタルト崩壊しそうですが、キョンキョンを例にすれば、普通であるが故にたゆまぬ変化を重ねることが普通であって、決して似たり寄ったりの普通ではない。つまり普通のレベルを上げながら普通に生き残ってきたということになります。それって、手間もコストもかかるし、何よりも芯を強く持ち続けないとならない。
『あまちゃん』の太巻プロデューサーのモデルは明らかに秋元康だし、普通だなんて思わせなかった元アイドルにこんな台詞を言わせるなんて逆説的で面白いなあ、なんて思っていましたが、全然違う気がしてきました。これ、普通に普通の強度を上げ続けてきた普通のキョンキョンにしか言えない台詞だったのかもしれません。深すぎないか、クドカン。
※2017年1月14日、2019年5月5日に掲載された記事をアップデート
2021.02.04