連載【ディスカバー日本映画・昭和の隠れた名作を再発見】vol.2- 「麻雀放浪記」
製作40周年を迎えた「麻雀放浪記」
パンデミックによる行動制限が取り払われて1年が経過し、まだ用心が必要とはいえ、いろいろなものが戻って来た。花見、深夜営業の酒場、外国人観光客…… コロナ禍以前に戻ったようにも思える。筆者の日常も2019年以前に戻った気がするのだが、いや、まだ取り戻してないものがあった。麻雀だ… と気づいたのは、リマインダー編集部から映画『麻雀放浪記』の原稿依頼を受けたから。そんなわけで、本稿は今年、製作40周年を迎える、この映画のお話。
筆者が育った田舎には娯楽が少なかったこともあり、中学を卒業すると年長のいとこに教えられ、必然的に麻雀を覚えてしまった。子どもの頃、麻雀を簡略化したようなポンジャンというテーブルゲームに親しんでいたので、基本的なルールを覚えるのは早かったと思うが、細かいルール、たとえば正確な点数計算の方法はいまだに覚えられない。それでも麻雀は4人でプレイするゲームであり、メンツが足りないとなるとルールを知っているというだけで声がかかる。そんな高校時代に『麻雀放浪記』は公開された。
1984年の公開時、筆者はリアルタイムでこの映画を観ていない。このときは大学受験を控えた高校3年生で、さすがに麻雀をしている場合ではなかった。なので鑑賞は進学して、上京してから。で、実際に観てみると、これが面白いというか、素晴らしい映画だった! 阿佐田哲也の同名ベストセラー小説を、イラストレーターの和田誠が初監督を務めて実写化した角川映画の傑作。詳しくは後に語るので、もう少し筆者の体験談に付き合っていただきたい。
昭和20年代前半の空気感に合っていたモノクロ映画
大学に入るとクラスメイトや同郷の友人たちと麻雀をする機会が増えた。理由は単純で、手軽なレジャーだったから。麻雀牌を持っているヤツのアパートに遊びに行っては徹夜で麻雀することもしばしば。ご近所から苦情が来ないように、牌をかき回す際には布団や毛布をかぶせたりした。レートもかわいいものだったし、友人同士の他愛のない会話をしながらゲームを進める。ときどき無口になるヤツがいると、「あ、高い手、張ってるな……」と思ったり。ともかく、それを含めて楽しかったのだ。
そんな日々の中、名画座で『麻雀放浪記』を見た。当時としては珍しいモノクロ映画で、時代背景の昭和20年代前半の空気感に合っていた。真田広之ふんする主人公、“坊や哲” が賭け麻雀の世界に飛び込み、揉まれながら成長していく青春ドラマ。当時24歳だった真田広之も良かったが、筋金入りのギャンブラーである “ドサ健” 役の鹿賀丈史も、八百長を巧みに仕組んでひょうひょうと賭場を渡る老獪な “出目徳” にふんした高品格も、とにかく魅力的だった。出目徳のように何度も役満を上がりたいなあ…… などと思い、牌の積み込み方を真似てみたりしたが、現実はあんなに上手くはいかないものだ。
思いも寄らぬことが起こるクライマックスの勝負
劇中、坊や哲はバクチの世界の非情さを学ぶほど、誰かとつるむことを止めて一匹狼となっていくが、誰よりもその非情さを体現していたのは ドサ健だ。賭ける金がなくなると、自分の女、まゆみ(大竹しのぶ)の家の権利書を張る。それを取られると女も張る。賭けられるものがあるうちは、彼の勝負は終わらない。それだけでも凄まじい生き様だ。
さらに、坊や哲や出目徳と卓を囲むクライマックスの勝負では思いも寄らぬことが起こるのだが、このときのドサ健の行動には心底ゾッとした。もちろん、それは彼のバクチ哲学に則ったものだが、それを観て思ったことは「俺は絶対にギャンブラーにはなれんなあ…」ということだった。非情なまでに非情な、しかし前向きな結末は、ぜひ観ていただきたい。
このクライマックス、卓を囲むのはもちろん4人で、坊や哲、ドサ健、出目徳の他に、もうひとり “女衒の達”(加藤健一)という男がいる。その名のとおり、売られた女を女郎屋に斡旋することを生業としている、こちらも非情なビジネスマン。彼は言う「麻雀てのは面白いもんですね。あたしは未熟だから勝てないけど、それでも面白い」。商売柄つねに冷徹でクールだが、意外に人情家で、まゆみを身請けした際には非情になりきれない一面を見せる。麻雀は好きだがちっとも上手くならない自分がもっとも気に入ったのは、このキャラクターだった。
大学を出ると、筆者は職場方面で麻雀をする機会が増え、フリーランスになると、つきあいで卓を囲むことも多くなった。中には、とてつもなく上手な人もおり、防戦一方となったあげく、「この方とこれ以上打ち続けたら破産するな……」と思ったり。ギャンブラーは性に合わないし、カモになるのもできれば避けたい。向こうは向こうで未熟な相手と打っても面白くないと思ったのか、その後は声がかからなくなる。それでいい。人生はそのような取捨選択の連続だ。
気づけば卓を囲む仲間は同じメンツとなり、年に1、2度、下北沢の雀荘に集まっては世間話や近況を話しながら遊んでいた。脳内では大瀧詠一の「楽しい夜更かし」の “一荘、二荘、やめられない止まらない” や、サディスティック・ミカ・バンド「ファンキーMAHJANG」の “酒でものんだらいつもの調子で気楽にやれれば負けてもいいさ” のフレーズがBGM的に鳴り響く。徹夜でやる体力がなくなったのは年齢的にしょうがない。通い慣れた下北沢の雀荘はコロナ禍を経てなくなってしまった。それでも、この原稿を書くにあたって『麻雀放浪記』を見直したら、ムクムクと欲求が盛り上がってきた。うん、麻雀したい。楽しみたいぞ。
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2024.04.15