アニメ「攻殻機動隊」の中にも登場する小説「1984」
新作ドラマや新作映画が軒並み延期される中、先日 NHK で放送された黒沢明監督の『羅生門』辺りからずっと映画の旧作や再放送ドラマにハマっていた。久しぶりに観た『JIN -仁-』(TBS)の特別編も良かったなぁ… いけない、いけない。全然エイティーズの話題じゃないじゃないか!
さて、新型コロナウィルスの流行により自粛生活を強いられ、緊急事態宣言以降は自宅に篭り、映画やドラマを観たり、音楽に耳を傾けている人も多いに違いない。多分に漏れなく僕も久しぶりに映画を観る時間が増えた。
そんな訳で先日からアニメ『攻殻機動隊』を映画から過去のテレビシリーズまで改めて旧作を観直している。話題の新作3DCGアニメ『攻殻機動隊 SAC_2045』を楽しむためのおさらいだ。もちろん新作も12話まで視聴済み。この辺りから徐々に面白くなっていくところ、作中にジョージ・オーウェルの小説『1984(Nineteen Eighty-Four)』が出てきて何やら興味深い展開になってきた―― そんな訳でマイケル・ラドフォード版の映画もまた観たくなってしまった。とりあえず、良かった~。ようやく80年代の話ができそうじゃないか。
作者はジョージ・オーウェル、1948年に発表されたディストピア小説
『1984』とは、いかなる小説・映画なのか。その内容について、まずは簡単に触れておくとしよう。
ジョージ・オーウェルが小説を発表したのが1948年。題名からもわかるように執筆当時から36年後の未来世界を描いた作品だ。ちなみに “1984年” という年号は、本書が執筆された1948年の4と8を入れ替えたアナグラムと言われている。数字を入れ変えることで米ソ冷戦の先にある “ディストピア(暗い未来)” を暗に示しているらしい。深読み好きにはたまらないパズルのピースだ。
1984年、世界は小数大国の支配下となり、その大国のひとつが「ビッグ・ブラザー」なる影の支配者によって統治されている。それはスターリン体制下のソ連を連想させるような独裁・全体主義国家だ。そこでは表現の自由はおろか思想や行動のほか、結婚さえも自由にはならない。物資は乏しく、市民生活のほとんどが統制され、国民は常にテレビと監視カメラを兼ねた「テレスクリーン」と呼ばれる双方向テレビジョンによって屋内・外を問わず、すべての行動が当局によって監視されている。
それは、まるで過度なコンプライアンスで縛られた日本のテレビや市民を監視する中国武漢のドローン警察のようにも見えてくる――「戦争は平和である。自由は屈従である。無知は力である」というスローガンで国家が人心を縛ろうとする管理社会で歴史記録の改竄作業を仕事とする役人ウィンストン・スミスは、反逆者ジュリアと出会い恋におちる。
映画版の監督はマイケル・ラドフォード、サントラはユーリズミックス?
マイケル・ラドフォード版の映画は小説の舞台となった1984年に合わせて完成、劇場公開されたものである。ジョン・ハートが主演だったり、リチャード・バートンの遺作だったりするのだが、僕たちがこの映画を知ったのは他に理由がある。それはユーリズミックスの存在だ。
ユーリズミックスは1983年、第2次ブリティッシュインヴェイジョンの波に乗って「スイート・ドリームス」で全米1位の大ヒットを記録。デイヴ・スチュワートのインテリジェンスが生み出すエレクトリックポップが超絶クールだった。そして、アニー・レノックスの男性的な短髪・黒スーツ姿を映したプロモーションビデオが鮮烈な印象を僕たちに与えていた。その音楽と姿は天使のようにも悪魔のようにも感じられ、まさに神がかっていたのである。
そうした流れで、映画『1984』のサウンドトラックに彼らが抜擢されるというのだから、映画を観ない訳にはいかない。だが、なけなしのお金でこのアルバムを買ってしまったがために劇場に観に行くことはできず、結局、意識高い系の友人たちからかなり遅れて映画を観ることになった。観たのは公開から10年近く経った頃だろうか、レンタルビデオだったと記憶する。
ところが蓋を開けてみるとユーリズミックスの楽曲がほとんど使われていないじゃないか―― すでに監督と映画会社との間にトラブルがあったことは知っていたが、このとき僕は映画の主人公ウィンストン・スミスがラストシーンで洗脳により自由を閉ざされ涙するのと同じように心底落ち込んだのだった。
監督が使ったのはドミニク・マルダウニーの音楽
この映画は元々レコード会社であったヴァージン・フィルムが製作、映画をヒットさせるために水面下でデヴィッド・ボウイに打診するなどしていたらしいが金銭面で折り合いがつかず、ユーリズミックスへと話が渡ったと言われている。
しかし、監督であるマイケル・ラドフォードはこうしたプランに全く関与していなかった。すでにドミニク・マルダウニーを雇って音楽を作っていたのである。賛否はあろうが、たしかにマルダウニーの曲の方が映画の持つ暗鬱な空気には合っている。
とはいえ、サウンドトラックを前提に作ったと言うのだからユーリズミックスの『1984』は実験的で面白いアルバムとなっていた。
アニーの「ジャスト・ザ・セイム(I Did It Just The Same)」の唸るようなヴォーカルはソウルフルで最高だったし、「ジュリア」の澱みなく流れる歌声は聖女の美しさを想像させてくれた。シングルカットされた「1984のテーマ(セックスクライム)」に至ってはユーリズミックスがこれから生み出していく音楽性の未来さえ感じさせるものだった。
ユーリズミックスとドミニク・マルダウニー、ふたつの「1984」
こうして、映画を音楽で売ろうとする映画会社と映画作家との対立が生まれ全く違うふたつの『1984』が完成していたのである。それはドミニク・マルダウニーの作曲をメインにしたラドフォード映画とユーリズミックスの、決してオリジナルサウンドトラックとは言えない不思議なアルバムだった。
だが、これはこれで映画に描かれている全体主義社会の恐怖に対する、もうひとつの答えになっているような気もするから不思議なものだ。なぜならラドフォード監督は彼なりにクリエイターとしての意地を張り、映画制作を戦い抜き、ユーリズミックスもまた映画という枷の中で自由な楽曲を残したと言えるからだ。
自由を掴め! 屈従するな! 無知と戦え!
作品の答えとなるその想いがふたつの『1984』には存在する。そう、それはラヴ・オブ・ビッグ・ブラザー、巨大なヴァージン・グループの腹の中で生まれたのである。
2020.05.17