有感満載の80年代洋楽ヒット!ビルボード最高位2位の妙味 vol.65 Let's Wait Awhile / Janet Jackson ジャネット・ジャクソンが、マドンナやホイットニー・ヒューストンと並び称され、“20世紀を代表する歌姫” として君臨するきっかけとなったアルバムは、とにもかくにも名盤『コントロール』(86年)だった。このアルバムから誕生した、時代のトレンドセッターたるアバンギャルドかつポップでダンサブルなヒットシングルたち、ジャネットのスターダム街道はそこから始まったのだ。 実はジャネットは、兄マイケルが歴史的名盤『スリラー』(82年)を発売する直前にソロデビューを果たしていた。マイケルがアルバムから次から次へと大ヒットシングルを連発、『スリラー』旋風を世界中に巻き起こしていた一方で、ジャネットは人知れず2枚のアルバムをリリース、一般的な大ヒットシングルを生み出すことは残念ながらなかった。 所属レコード会社 A&M は、“ジャネット大スター化計画” に本腰を入れるにあたり、当時のデジタル・ファンク・シーンにおいて目覚ましい台頭を見せていたプロデューサー・チーム、ジミー・ジャム&テリー・ルイス(通称ジャム&ルイス)にすべてを任せる。3枚目のアルバム『コントロール』は、作品のすべてがジャム&ルイスがプロデュースを担ったのだ。 ジャム&ルイスの起用は目論見通り、見事に当たった。時代の先端をいく新たなデジタル・ファンク・ビートを提示したシングル群は、次から次へと大ヒットを記録したのだ。 「恋するティーンエイジャー(What Have You Done For Me Lately)」(86年4位)、「ナスティ」(86年3位)、「あなたを想うとき(When I Think Of You)」(86年1位)、「コントロール」(87年5位)、そして「愛の法則(The Pleasure Principle)」(87年14位)、これらアップテンポのシングルカット曲は、ことごとく大ヒットとなった。 アルバムからは『スリラー』に迫る勢いで6枚のシングルがカットされたのだが(スリラーは7枚!)、ここで肝心だったのが5枚目のカットとなったバラード曲だ。それが80年代63番目に誕生したナンバー2ソング「急がせないで(Let’s Wait Awhile)」(87年3月2位)だ。 そもそも1枚のアルバムから4枚以上のシングルをカットしていくのは、80年代以降のメガヒットアルバム作品の特徴になっていたわけで、おそらくジャネットサイドは6枚以上のシングルカットの順番を、アルバムリリース前から綿密に組み立てていたと思われる。 派手でキャッチーでアバンギャルドなダンス・ビート・シングルで立て続けに攻め、5枚目という絶妙なタイミングでバラードを挟み込む… 1枚のアルバムから6~7枚のシングルヒットを生んで、モンスターアルバムを目論むのならば、バラード曲はそのタイミングしか考えられないだろう。 これはおそらくマイケルの『スリラー』における5枚目のシングル「ヒューマン・ネイチャー」、そしてマドンナの初トップ10「ボーダーライン」から数えて5枚目のシングル「クレイジー・フォー・ユー」あたりをひな形にしているのは間違いない。どちらもまさしく絶妙なタイミングだったのだ。これはもうジャム&ルイスの慧眼としか言いようがない…。 そうなると、遡ってジャクソン5のデビュー時、モータウン社長ベリー・ゴーディーの、「最初から4枚目のシングルはバラードで決めていた」という発言が思い出される。デビューから立て続けに3枚のアップテンポ作品で畳みかけ、4枚目の「アイル・ビー・ゼア」で本格シンガーの片鱗を見せつける… 見事デビューから4曲続けて全米ナンバーワン獲得という新記録(当時)を樹立したのだ。 これを80年代の、1枚のアルバムから6~7枚カットという状況に当てはめて “5枚目をバラード” にしていたのなら、あらためてジャム&ルイスというか、ジャクソン・ファミリー恐るべし。 そしてジャネットの次作『リズム・ネイション1814』(89年)でも、5枚目のシングルにバラード「カム・バック・トゥ・ミー」をカット。ジャム&ルイスはこの法則を踏襲して、見事7枚のカットをすべてトップ10入りさせ、うち4曲がナンバーワン!『コントロール』超えどころか、『スリラー』超えを達成していたのだ。
2019.10.10
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YouTube / Janet Jackson
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