8月22日

クイーンを支えた寡黙なベーシスト、ジョン・ディーコンの代え難き存在感

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クイーン「地獄へ道づれ」Spotifyで10億回再生突破


クイーンの「地獄へ道づれ(Another One Bites the Dust)」が、音楽ストリーミングサービスのSporifyで、10億回再生を超えたニュースが報じられた。映画『ボヘミアン・ラプソディ』に端を発する一大ブームが、記録達成の大きな要因になったのは間違いないだろう。

映画の大ヒットは、クイーンの音楽のみならず、メンバーのパーソナリティへの興味も引き出した。ストーリーの中心で描かれ、その半生が広く世に知れ渡ったフレディ・マーキュリー、現在もクイーンの音楽を伝承し続けるブライアン・メイ、ロジャー・テイラー。ロックスターらしい輝きを持つ3人と比べると、デビュー以来、ジョン・ディーコンの印象が最も希薄なのは否めない。映画においても、ジョンにまつわる描写は少なかった。

けれども、1980年に全米1位を獲得し、クイーン史上に残る大ヒットシングルとなった「地獄へ道づれ」を書いたのが、誰あろうジョンであるのは広く知られる事実だろう。

バンド内で独自のポジションを築いてきたジョンに、僕は不思議な魅力を感じてきた。クイーンブームが何度巻き起ころうと、なかなか注目を浴びないジョンにスポットを当て、その魅力の一端を振り返りたい。

クイーンに新風を吹き込んだ、ジョン・ディーコンの非凡なる作曲能力


メンバー全員が、それぞれ個性を生かし楽曲を作ってきたクイーンにおいて、初めてジョンの楽曲が採用されたのは、3作目『シアー・ハート・アタック』収録の「ミスファイア」だ。2分にも満たない小曲を皮切りに、ジョンの楽曲が1~2曲程度、各アルバムに収録されることになる。

その非凡なる作曲能力は、早い段階で開花していく。次作『オペラ座の夜(A Night At The Opera)』収録の「ユア・マイ・ベスト・フレンド」は、ジョンが書いた楽曲で、最もファンに親しまれる1曲だろう。自身の奥さんを “ベスト・フレンド” と表現したこの曲は、マルチに楽器をこなすジョンのエレピで軽快に始まるポップな曲調の中で、優しく素敵なメロディが踊り、いつ聴いてもほのぼのとした気分にさせてくれる。

その後のクイーンの作品でも同様に、ジョンの卓越したポップセンスを生かしたナンバーが散見される。大仰かつリリカルで、緊張感のある曲調が多いクイーンの作品において、ホッと息をつける暖かい曲調は、ジョンが手がける楽曲の特徴であり、魅力とも言えるだろう。

一方でジョンは、『世界に捧ぐ(News Of The World)』収録の「永遠の翼(Spread Your Wings」のような、クイーンの王道路線の楽曲も書いている。ドラマチックな旋律をフレディが歌い上げるパワーバラードで、クイーン史上初めて、コーラスワークを一切使わない曲に仕上がった。ちなみにこの作品にはもう1曲、ラテン風味の穏やかなアコースティック曲「恋のゆくえ(Who Needs You)」が収められており、その曲作りの振り幅に驚かされる。

こうしたクイーンの音楽性を拡げるきっかけの多くをジョンはつくっており、それは時として他のメンバーとの摩擦を生んだ。問題作『ホット・スペース』の制作過程では、ソウル / ファンクに傾倒するあまり、従来のロック色の堅持を主張するブライアンと意見が食い違う中、自身の「バック・チャット」に、ギター排除という常識破りのアレンジを持ち込もうとした。

「地獄へ道づれ」にしても、当初はシックに強く影響を受けたジョンのベースラインが生み出した異色作扱いで、ロジャーはあの機械的なドラムに乗り気でなかったという。従来のクイーンらしさに捉われないジョンの姿勢がなければ、あの大ヒットは生まれなかったかもしれない。温厚な性格のジョンが、他のメンバーとの軋轢を生んでまで、自らの音楽的嗜好を貫こうとしたのは意外だけど、それだけ自身の創る音楽への強い拘りを感じるのだ。

ここではジョンの楽曲全てを網羅しきれないが、80年代以降も「ブレイク・フリー(自由への旅立ち)」などの人気曲や、サックスをフィーチャーしたバラード「ワン・イヤー・オブ・ラヴ」などを次々と書き上げ、共作も含めクイーンに欠かせないソングライターとして、その存在感を示し続けた。

クイーンサウンドを豊かに彩る“歌うようなベースライン”


僕がジョン・ディーコンに魅力を感じる一番の理由は、クイーンのメンバーである以前に、いちベーシストとしてのプレイが、何より素晴らしいからだ。リアルタイムで初めて聴いたクイーンの楽曲「バイシクル・レース」で、僕はその一風変わったベースラインに、忽ち耳を奪われた。以来、クイーンの楽曲を聴く時には、ジョンが奏でるベースラインをいつしか自然と耳で追うようになった。

クイーンにおけるジョンのベースは、その大人しそうな雰囲気とは裏腹に、曲中を通じて絶え間なく主張する “攻めのベースプレイ” が特徴だ。ロックバンドであるクイーンの音楽性を考えると、低めのルート音をキープして、根幹を支えるプレイに徹するのがセオリーだけど、ジョンのアプローチは明らかに異なる。

ジョンは、ロックバンドのベースとしては高い音域を大胆に多用し、且つかなり動きのあるベースラインを構築していく。それはフレディの歌バックでも変わらず、ヴォーカルの旋律と絶妙に絡み合う様は、さしずめ “ベースを使って歌っている” ようにすら聴こえるのだ。

こうしたプレイは、特に静かめの楽曲において顕著で、一般的なロックベーシストでは成し得ないアプローチが、クイーンの楽曲を特別なものにするスパイスとなったのは間違いないだろう。ほんの一例として、「ミリオネア・ワルツ」「ユア・マイ・ベスト・フレンド」「キラー・クイーン」等を挙げておきたい。

ベースパートを意識して! きっと広がるクイーンの楽しみ方


ロック色の強い楽曲においても、動きのあるベースラインを聴かせるが、楽曲を勢いよく聴かせる、卓越したドライヴ感も特筆すべきポイントだ。時にギターリフとシンクロしたプレイを繰り出し、楽曲に絶妙なノリを生み出すのは、ジョンならではのタイム感が成せる技だ。こちらのほんの一例としては、「ブライトン・ロック」「デッド・オン・タイム」等が挙げられる。

分厚いギターオーケストレーションを用いたブライアンのギターと、ボトム低めにチューニングされたロジャーのドラムが、クイーンのサウンドに充分な重さを与えているのを考えると、ロックベースながら敢えて高い音域を多用するのは、アンサンブルのバランスからも理に叶っていると言えよう。

ライヴにおいては、フェンダーのプレジションベースを抱え、ドラムライザー中段の定位置で、黙々とベースを奏でる姿が印象的だ。コーラスも取らずに、ひたすらプレイに集中する姿は、何とも潔くジョンらしい。

クイーンの曲を聴く際に、ベースパートを意識していなかった方がいるなら、まずは「ボヘミアン・ラプソディ」や映画のエンディングで流れる「ドント・ストップ・ミー・ナウ」のベースを、一度耳で追ってほしい。ジョンが奏でるカラフルなベースラインから、いつもと違ったクイーンの楽しみ方がきっと広がるはずだ。

ジョン・ディーコンがバンド内にもたらした空気の大きさ


最後にクイーンへ加入したジョンは、メンバー内で最年少だった。ジョンを加入させたのは、それまでのベーシストのように自己主張がなく、謙虚で温厚な性格だったからだという。インテリ揃いのクイーンの中で、ジョンもまた大学で電子工学を学び首席で卒業しており、機械への知識も決め手となった。

その狙い通り、他の3人の間における緩衝材的な存在として、ジョンはバンド内に絶妙のバランスをもたらした。また、学業での才能を生かして、オリジナル機材の製作にも力を発揮した。

クイーンのメンバーをよく知る関係者のエピソードを読むと、いかにジョンがロッカーらしさとは無縁の、ごく普通の人だったのかがわかる。僕がレコード会社のディレクター時代に関わった海外のバンドでも、バンド内であまり注目されないメンバーに限って、全くロックミュージシャンぽくない良い人だったことが多かった印象がある。きっとジョンも同じような雰囲気だったのかなあと、勝手に想像してしまう。

そういえば他の3人のメンバーは、ソロアルバムをリリースしているけど、ジョンだけはソロ活動をしなかった。もしクイーンのベーシストがジョンでなければ、フレディの死を待たずして、クイーンは空中分解していたかもしれない。ジョンがバンド内にもたらした空気の大きさを、改めて感じるのだ。

フレディ・マーキュリーのいないクイーンで…


1991年、フレディ死去の一報を知った時、僕は、もうクイーンは終わりだ‥と正直思ってしまった。同じように感じたファンも少なくなかっただろう。メンバーの心中を察すると、その衝撃たるや想像できない。

ブライアン、ロジャーは苦難を乗り越え、クイーンの名の下でバンドを継続する道を選んだけど、頑なに「クイーンのシンガーはフレディ以外にありえない」と結論づけたのがジョンだった。元来、音楽業界の喧騒を好まなかったジョンは、フレディのトリビュートコンサート等に出演したものの、1997年頃を界に公の場から姿を消し、ブライアン、ロジャー、強いては音楽業界から距離をおき、事実上引退してしまう。

コーラスを排除し歌メロのみで紡いだ前述の「永遠の翼」、初めてファルセットのみで歌われた「クール・キャット」など、ジョンが作った楽曲における、ヴォーカルパートへのチャレンジングな試みが実現したのは、ジョンのフレディに対する全面的な信頼と、深い敬意があったからこそだろう。そう考えると、フレディのいないクイーンで活動を続けるのは、ジョンにとっていかに困難だったのか、自ずと理解できるだろう。

クイーンに必要不可欠なメンバーだったジョン・ディーコン


ジョンが姿を消して10年余りの月日が流れ、映画「ボヘミアン・ラプソディ」は公開された。ジョンは映画化に当たっての許諾こそ出したものの、制作過程に関与することなく、完成後のプロモーションの場にも姿を見せなかった。

けれども、ジョンの動向を気にかけるファンに、少し嬉しいサプライズが用意されていた。それは、ジョンの息子であるルーク・ディーコンが、映画の中にわずかではあるけど、出演していたのだ。

自分が表舞台に戻るのではなく、自身の息子が映画に痕跡を残すなんて、恥ずかしがり屋のジョンらしいではないか。息子が手渡したであろう完成した映画を、おそらくジョンは観ているに違いない。映画に登場する若い頃の自分やフレディの半生を、どんな気持ちで観たのだろう? 興味は尽きない。

こうして、ジョンの魅力をひとつずつ思い起こしていくと、改めて彼がクイーンに必要不可欠なメンバーだったことが、はっきり浮かび上がってくる。ジョンがいたからこそ、僕たちが愛してやまないクイーンが生まれ、スターダムを昇り詰めたのだ。

叶わぬ願いだとわかっている。それでもあと一度だけ、3人のメンバーがクイーンとして同じステージに立ってくれたら、こんなに嬉しいことはない。


2021.08.19
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カタリベ
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