五輪真弓は名曲「恋人よ」について、2013年のインタビューでこのように話している。
「私自身、この歌を歌い始めた時は、“この1曲を歌いきることで、他に何も歌わずとも満足する”くらいに完成された歌と感じていて、多くの人が共感するだろうと確信していました」
彼女にとって、この曲がいかに自信作であったかが伺える。レコードが発売されたのは1980年8月21日。すぐにはヒットしなかったが、秋が深まり、街に冷たい風が吹き始めると、次第に注目を集めるようになった。
僕が「恋人よ」を初めて聴いたのは、1980年11月、『ザ・ベストテン』に初登場したときだったと思う。母はテレビからこの曲が流れてくると、「素敵ねぇ」とよく言っていたが、僕は少し苦手だった。聴いていると、なんだか悲しくなるのだ。でも、そんな僕の気持ちをよそに「恋人よ」は順位を上げていき、12月半ばに1位まで登り詰めると、新しい年が明けてもその座を譲ることはなかった。
「恋人よ」は、その年のレコード大賞にもノミネートされている。つまり、彼女が大晦日のあの舞台に立っていたとき、この曲はヒットチャートのトップにいたことになる。そして、あの夜の五輪真弓の歌唱は、本当に素晴らしかったのだ。今でも鮮明に思い出すことができるし、もしかすると、歌の中に女の人の情念みたいなものを感じたのは、あのときが初めてかもしれない。重たいイントロに導かれ、五輪真弓が歌い出した瞬間、背中がぞくりとした。そして、それまで苦手だったはずの歌に、僕はどんどん惹き込まれていった。
曲の後半、オーケストラの演奏が大きくなったときだ。彼女は迷うことなくステージの前方へ駆け出すと、渾身の力で最後のサビを熱唱した。思わず息を呑んだ。あの瞬間こそがハイライトだったと思う。
「恋人よ」が、木田高介のことを歌った曲だと知ったのは、それから30年近くが経ってからだ。木田高介は、ジャックス、六文銭、ザ・ナターシャー・セブンなどのメンバーとして活躍し、五輪真弓やかぐや姫をはじめ多くのアーティストのプロデュースやアレンジを担当した人物だ。その彼が、あの年の5月に交通事故で亡くなっている。五輪真弓はその死に大きなショックを受け、「恋人よ」を書いたという。
しかし、彼女と木田高介が恋仲だったわけではない。むしろ家族ぐるみのつきあいで、信頼できる仕事仲間だったようだ。葬儀では悲嘆に暮れる木田の妻があまりに痛ましく、しばらくはその姿が脳裏から離れなかったという。だから、彼女は悲しむ妻の代わりに、もう2度と会うことのない木田に向けて、こう歌ったのかもしれない。
この別ればなしが
冗談だよと 笑ってほしい
1980年12月31日の日本レコード大賞。あと数時間で新しい年を迎えようとしていたあの夜、彼女はなにかを背負っていたのだろうか。心を深く抉られていたのだろうか。
街に冷たい風が吹く頃、不意にこの歌を思い出すとき、僕はそんなことを思うのだ。
2018.12.31
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