5月21日

伊藤銀次の80s:持ち歩けるマイステレオ、ウォークマンは強い味方!

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佐野元春のシングル「Sugartime」がリリースされた日(WONDERLAND<ウォークマンのテーマ>収録)
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沢田研二さんのアルバム、『G.S. I LOVE YOU』や『STRIPPER(ストリッパー)』の編曲を担当したおかげで、1980年代を迎えるやいなや、いきなりアレンジャーとしての仕事が急増。そしてアルバム『BABY BLUE』のリリースがきっかけで、再びソロシンガーとしての活動も始まった銀次は、その後とにかく忙しい日々の80年代を送ることになった。

手元にある、当時の仕事ぶりを書き留めた過去帳で、最も忙しかった1985年を見てみると、1年の間に、自分のアルバム『PERSON TO PERSON』も含めた6枚のアルバムをアレンジ&プロデュースしていた。なんと2ヶ月に一枚のペースだ。しかも同時期に、3つの FM番組のパーソナリティーをつとめ、学園祭やツアーもやってたんだからむしろ生きてたのが不思議なくらい。家には寝に帰るだけだったことを今もよく覚えてるよ。この頃、佐野元春に、「銀次はほんとにワーカホリックだね」と会うたびに言われたものだった。

そんな多忙だったこの頃、ほんとにお世話になった僕の強い味方が「ウォークマン」だったのである。今でこそ、電車の中や雑踏の中で、ヘッドフォンやイヤフォンで音楽を聴いている人を普通に見かけるようになったけれど、当時の東京の街角ではまだあまり目にすることはなかった。

80年代は音楽的に欧米での日進月歩が著しい時代だったから、とにかくその流れを追いかけるのが大変。その上忙しくてゆっくり新しいサウンドの流れをチェックしたり研究する時間がなかった僕は、この「持ち歩けるマイ・ステレオ」、ウォークマンを仕事の移動中に必携してここから生なサウンド情報を貪欲に摂取、自分のサウンド作りのヒントにしたのだった。まだ CD が世に出てないこの頃、僕は宇田川町にあったタワーレコード渋谷店の常連で、LP盤を大量に買うのはコスパ的に厳しいので、もっぱらアナログの洋盤シングルを大量に購入してはその中で気に入ったアーティストの LP盤に手を伸ばすということをしていた。

毎晩その中からアレンジ的に新しかったりカッコいいなと思う曲をカセットに録音して、仕事の行き帰りやツアーの移動中にせっせと聴いてはインスパイアされた。これがこの時期に、忙しさに負けることなくエネルギッシュにサウンド作りをすることができた僕の栄養源だったのである。

僕も佐野元春もこの時期は常に、日本のポップス軸と欧米のポップス軸の2軸を持ち、その対比を強く意識しながら、前に進んで行っていた。

佐野君の話が出てきたのでちょいと脱線すると、1980年に衝撃のデビューを飾ったものの、ブレイクのきっかけをつかめなかった佐野元春に、ウォークマンの CM音楽の話がきた時はほんとにうれしかったね。70年代の音楽にさよなら告げ、これからの時代を切り開きリードしていくアーティストというイメージで彼のサウンドを構築したかった僕としては、この CM依頼は願ったり叶ったり。佐野君はその期待に応えて、ビートルズの匂いをさせながらも、それを欧米のリメイク・ムーブメントに見事に呼応させ、80年代型のアップ・トゥ・デイトなポップサウンドに書き上げてくれた。

今思えば、これはその後の『ナイアガラ・トライアングル Vol.2』への参加や、NHK-FM の『サウンドストリート』の DJ担当に比べると地味だけれど、彼のブレイクへの小さな第一歩だったにちがいないと思う。

最初のウォークマンは、その後どんどん軽量化されていった機種と比べると、結構ズシリとしたもので、僕たちはこれを「弁当箱」と呼んでたね。確かにその後のモデルの方が軽くてよかったけれど、一度落としたりするとネジがなくなったりで壊れやすくなっていった。それに比べると、少しかさばったけれど「弁当箱」の方はなかなか壊れない優れもので、僕はこの初期の機種に愛着があったね。

今思えばこの「ウォークマン」こそが、その後のデジタル時代の始まりを告げるものだったのかも。やがてソニーからアップルに受け継がれていく、若者文化のプラットフォーム上に咲くエンタメ家電のはしりだったんだろな。

2019.03.24
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カタリベ
1950年生まれ
伊藤銀次
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