2021年 4月28日

沢田研二ソロデビュー50周年「ザ・ベストテン」で1等賞にこだわったジュリー!

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沢田研二の快進撃! “1等賞” は「ザ・ベストテン」での決まり文句


1970年代後半、特にレコード大賞を獲った1977年の「勝手にしやがれ」からの沢田研二の快進撃はすごかった。それは1978年1月19日にスタートしたTBS『ザ・ベストテン』の人気とも重なる。

「憎みきれないろくでなし」が番組第1回と第2回にギリギリで間に合った後、第3回では次のシングル「サムライ」がランクインしてくる。登場4週目で1位を獲得し、4週連続でキープ。6月から8月にかけては次の「ダーリング」が7週連続1位となる。誰よりも沢田自身がそれを大層喜んで、“1等賞” は『ザ・ベストテン』におけるジュリーの決まり文句となってゆくのだ。

続いての「ヤマトより愛をこめて」「LOVE(抱きしめたい)」はいずれも最高2位に留まるも、翌1979年には、「カサブランカ・ダンディ」で再び1等賞に。ただしすぐに強敵「ヤングマン」が現れて1週のみの首位となってしまうのだが。続く「OH!ギャル」はまたもや2位どまりで、その後の「ロンリー・ウルフ」に至っては、ベストテン内へのランクインも叶わず、70年代も終焉となる。

新時代1980年の幕開けに相応しいゴージャスなナンバー「TOKIO」


そこで1980年代を迎えての一発目、起死回生が図られたであろうシングルが、1980年1月1日発売の「TOKIO」であった。しばらくの間、作詞・阿久悠、作曲・大野克夫のコンビが続いていたところに、「危険なふたり」や「追憶」の加瀬邦彦が久しぶりに曲を書き下ろし、気鋭のコピーライター・糸井重里が作詞した意欲作は、新時代の幕開けに相応しいゴージャスなナンバーとなった。なによりテレビ画面に映える、バラシュートのセットと電飾が仕込まれたド派手な衣装で、お茶の間で見ていた視聴者の度肝を抜くパフォーマンスだった。

1月24日の放送で8位にランクインし、翌週は4位、さらに翌週は3位と、順調に順位をあげてゆくのだが、2月14日からは5週連続で2位。結局1位を獲れないままにランクダウンしてしまう。いずれもクリスタルキング「大都会」に阻まれてしまったのだった。さすがに5週目の2位となった3月13日の放送に至っでは、なんとか1回くらいは「TOKIO」に1位を獲らせてあげられないものかと、祈るような想いで番組を見守ったことを思い出す。

その後も、1981年の「ス・ト・リ・ッ・パー」は近藤真彦「ギンギラギンにさりげなく」に、1982年の「おまえにチェックイン」は岩崎宏美「聖母たちのララバイ」に阻まれて最高2位に留まり、惜しくも1等賞のチャンスから遠ざかってしまった。それだけ強力なヒット曲が多かったことの証拠でもある。もちろん2位だって充分立派な順位なのであるが、1等賞を信条とするジュリーはさぞかし悔しい思いをしたであろう。それこそ “2位ではダメ” だったのである。

沢田研二が拘ったランキング1位、テレビ黄金期に習得した“見せ方”


しかしながら、実際には順位などは関係なく、フジテレビ『夜のヒットスタジオ』然り、歌番組における沢田研二のパフォーマンスの斬新さ、カッコよさは、目を見張るものがあった。さらには歌だけではなく、バラエティ番組やドラマにおいても、テレビにおける沢田研二の佇まいは、並み居るスターの中でも特に際立っていた。それはきっと、沢田が渡辺プロダクションの所属だったことも大きい。

タレント事務所でありながら、早くから番組制作にも乗り出した渡辺プロは、『ザ・ヒットパレード』や『シャボン玉ホリデー』、『新春スター・かくし芸大会』といった番組を自社で制作していた。そこにもザ・タイガース時代から出演していた沢田は、テレビ時代の申し子のひとりといえるだろう。ザ・タイガースの名前も、当時『ザ・ヒットパレード』のディレクターで、後の作曲家・すぎやまこういちが番組出演に際して命名したのであった。

大阪出身だからタイガースという単純な発想だったが、そのわかりやすさが功を奏したのかもしれない。ちなみに “ジュリー” の愛称は、『メリー・ポピンズ』や『サウンド・オブ・ミュージック』のジュリー・アンドリュースが好きで、ステージネームとして名乗ったことに由来する。

事務所の先輩だった、クレージーキャッツやザ・ピーナッツ(の一人とは一時期結婚していたのであるが)をテレビスターの第1世代とすれば、沢田研二はそれに続く第2世代にあたる。テレビの黄金時代に、そこでの見せ方を充分に習得したことが、後のパフォーマンスに繋がった。元祖ビジュアル系といわれるメイクや、派手な衣装、特徴的な振り付けによる最高の見せ方は、周りのスタッフの意向もさることながら、沢田本人のアイデアも大いに反映されていたことだろう。ランキングで1位に拘ったのも頷ける。

歌でもドラマでもコントでも最高に輝く!


「TOKIO」がリリースされてすぐ、1980年1月3日にTBSで放映された新春スペシャルドラマ『源氏物語』は印象に残る作品である。妖艶さを感じさせるほどに美しい光源氏を演じ、八千草薫、いしだあゆみら多くの女優陣との共演が話題になったドラマは、向田邦子の脚本、 久世光彦の演出であった。ほかにも1980年代に沢田が出演したドラマ『いつか黄昏の街で』や『山河燃ゆ』などでも強烈な存在感を放ち、俳優・沢田研二をアピールした。

正月の恒例番組だった『新春スターかくし芸大会』内での、「龍馬がゆく」や「宮本武蔵」も、バラエティ番組とは思えぬ真剣さが画面から漂っていた。1984年に梅沢富美男と共演した娯楽篇「遊び屋研ちゃん」の軽妙な演技も忘れがたい。一方で、『8時だョ!全員集合』や『ドリフ大爆笑』で、三枚目に徹してコントに挑む姿もサマになっていた。歌でもドラマでもバラエティでも、テレビの沢田研二はいつも最高に輝いていたのだ。

TBSテレビの沢田研二出演映像がDVD-BOXで登場!


さて、今年2021年に沢田がソロデビュー50周年となるのを記念して、新たにDVD-BOX『沢田研二 TBS PREMIUM COLLECTION』が発売になった。1973年から1990年にかけてのTBSテレビにおける出演映像が集められた、全7枚に及ぶ大ボリュームである。

初商品化となる『日本レコード大賞』の映像をはじめ、お馴染みの『8時だヨ!全員集合』、『ザ・ベストテン』から、伝説の『セブンスターショー』まで、ヒット曲が満載されている。テレビの沢田研二が満喫出来る待望のDVD、映像部門ランキングで1等賞を獲れますように!



2021.04.28
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カタリベ
1965年生まれ
鈴木啓之
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