7月3日

80年代映画の金字塔「バック・トゥ・ザ・フューチャー」とヒューイ・ルイスの主題歌

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見事なまでの伏線と回収が魅力「バック・トゥ・ザ・フューチャー」


エイティーズ映画のナンバーワンを決めるとなれば、これはもう百花繚乱、十人十色。とても合議で決まるとは思えない。ただ、この映画をベストテンに入れることに異論を挟む人はいないはずだ。そう、1985年に公開された『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のことである。

スピルバーグ製作総指揮、監督はロバート・ゼメキス、そしてご存知マイケル・J・フォックス主演の、SFアドヴェンチャー恋愛青春コメディ。伏線とその回収が見事すぎる作品で、演出の勢いもパーフェクト! もし、観たことのない人がいるのなら今からでも遅くない、Blu-ray はアマゾンで973円(※2022年7月6日現在)、速攻で手に入れるべきです。

さて、この映画の主題歌はみんなも知ってる「パワー・オブ・ラヴ」。映画制作サイドからのオファーを受け、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースが書き下ろした力強いロックンロールナンバーです。最近では “街鳴り” なんて言葉もあまり聞かなくなったけれど、80年代はヒットを肌で感じられる時代。この曲に限らず、大体の人が知っていて何処へ行っても必ず流れているヒット曲というものが多数存在していました。「パワー・オブ・ラヴ」はその中でも代表的な1曲ですね。

主題歌「パワー・オブ・ラヴ」ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース、念願の全米1位




とは言え、ヒューイ・ルイスはなかなかの苦労人。1976年にニック・ロウの誘いを受けて渡英するも、パッとした成果を残せずに失意の帰国。鳴かず飛ばずの歳月を経て、サンフランシスコで失業中のミュージシャンを集めたバンド、ザ・ニュースを結成。酒場のバンドからの再スタートを切り、1982年に「ビリーヴ・イン・ラヴ」でブレイクした時は30歳を超えていました。これ、当時のシーンにおいては非常に遅咲きです。

その後、1983年に発表したアルバム『スポーツ』が800万枚以上をセールスするヒット作となるも、人類史上最も売れた驚異のモンスターアルバム、マイケルの『スリラー』に阻まれ年間2位。アルバムからシングルカットされた曲も最高位が6位。う~ん、もう一つ抜けきれません。

そんな流れを受け、1985年6月に満を持してリリースされた曲がこの「パワー・オブ・ラヴ」。翌月に公開された映画もメガトン級の特大ヒット、その勢いを味方に付けて初の全米ナンバーワンになった作品です! 長い道のりを経て、念願のシングル1位を勝ち取ったヒューイさん、決してぽっと出の一発屋ではありません。

これぞ80sの象徴! 共有感満載の映画と音楽に異論なし!


さて、同時期の日本で繰り広げられていたのが「VHS vs β」のビデオ規格戦争。この頃にはVHSの実質的勝利が目に見えていて、街にはレンタルビデオ店が急速に普及していきました。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のような特大ヒットはその稼ぎ頭の筆頭でしたから、劇場公開が終わった後も数年間、1989年にテレビ放映されるまで(視聴率23%!)常に人目の触れる場所に置かれていたのです。もちろん、みなさんも借りたでしょ?

この間、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュースは3度も来日公演を行い、東京エリアにおいては、武道館(1985)→後楽園球場(1987)→東京ドーム(1989)と、絵に描いたような人気っぷり! 1989年の春からオンエアされた、マイケル・J・フォックスの出演するホンダ・インテグラの CM でも「パワー・オブ・ラヴ」が使われ、街鳴り感はさらに加速度を増していきました。かっこインテグラ! そしていよいよ、続編である『パート2』が12月に封切られ、翌年の『パート3』公開のタイミングでは、ドク役のクリストファー・ロイドがフジテレビ初の自社キャンペーンに起用されるなど、ますます盛り上がりを見せていくことになるのです。

80年代のド真ん中、1985年という “デケイドのへそ” に世に出た作品であると共に、その後も数年間にわたって、ずーっと “街鳴り” していた共有感満載の『バック・トゥ・ザ・フューチャー』と「パワー・オブ・ラヴ」。これぞまさにエイティーズの象徴と言わずして何をか言わんや!


※2016年11月26日、2019年7月8日に掲載された記事をアップデート

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2022.07.08
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カタリベ
1966年生まれ
太田秀樹
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