洋楽のきっかけはTVK、「ファンキートマト」や「ミュージックトマト」
何度でも言うが(言ってないけど)、私の洋楽デビューは遅い。ミーハー魂が花開いたのはMTV時代の幕開けと同時期という、高校2年の遅咲きガールである。
小学時代にキッスとクイーンにハマりかけながら、中学時代は日本のニューミュージックやヒット歌謡にずっぽり。ビートルズやカーペンターズ、ツェッペリンやジミー・ペイジも聴いたが、聴いていただけだった。
洋楽リスナーに方向転換したきっかけは、高校に入ってから『ファンキートマト』や「ミュージックトマト」と言ったテレビ神奈川(TVK)の洋楽MV番組に夢中になったせいである。デュラン・デュラン、カルチャー・クラブ、カジャグーグー、マドンナ、プリンス、諸諸諸。割とルックス至上主義の気難しい16歳だった私は、そこで初めて天使を見かけた。バンド・エイドのMVだ。それは誰だ。ザ・スタイル・カウンシルのポール・ウェラーだ。「この美しい生き物は誰?」臆面もなく目がハートになり、以降、私はスタカンのレコードを集め始めた。お小遣いは駅ビルのレコード屋 “マツイ”で使った。そして音楽誌『ロッキング・オン』を買うようになった。当時の価格は280円。
80年代は貸レコードブーム、行きつけは下校途中の “友&愛”
音楽の知識が少しずつ増え、テレビではなかなかお目にかからないようなバンドの名前を覚えていく。彼らのレコードが欲しくても、まず“マツイ”には置いていなかったし、限られたお小遣いはそう簡単に使えない。そんなビンボーなJKの耳と心を救ってくれたのが、貸レコード店 “友&愛” だった。
貸レコードの元祖は、1980年6月に東京・三鷹で創業した “黎紅堂” と言われている。1979年発売のSONYウォークマンの流行から、“借りたレコードをカセットテープに録音して持ち歩く” という音楽の楽しみ方が広まった。その後、東京・吉祥寺の “友&愛(以下、YOU&I)”(1980年11月創業)などが続々と開店し、1982年頃には貸レコード店は全国で1,000店以上にもなったという。
また、1984年の著作権法改正により、貸レコードはアーティストに使用料を払うことで合法とされ、ますます数を増やした。1984年には約2,000店近く。1986年にCDのレンタルが開始されたこともあり、1989年にはその3倍以上の数になったそうだ。
レンタルの流れってこんなんだったよね?
通学路にあった “YOU&I” はマンションの一階で、案外広々としていた。家の近所にも何軒か店は存在したけど、私は洋楽の品揃えが良いここを根城に決めていた。
LPレコードにはレンタル用を示す黄色いシールが貼ってあり、録音用にA面とB面の時間が書いてあった。当日返却だと300円、一泊二日だと350円。新作はさらに100円くらい高かったと思う。会員証を出し、レンタル手続きが終わったら保温バッグのような厚めの銀色の袋に入れて帰る。途中そのLPの時間数にあったカセットテープを買い、家でカセットに録音する。そしてカセットレーベルにアルバムや曲の題名を書くのだが、インスタントレタリング(インレタ)に凝っていた友達も多く、彼らの整然と曲名が並ぶレーベルにはほとほと感心した。私はただ書きなぐる手書き派だった。
翌日店に返却に行き、返す前に店奥のコピー機で歌詞カードやライナーノーツをコピーする。あまり情報のない時代、洋楽好きにはこれが重要だった。さあ、これにてレンタルの儀式は終了である。あとは友達にダビングしたりされたり、ポータブルカセットプレイヤーで聴きながら学校や予備校に通ったり、思う存分ライナーノーツを読み込むだけだ。
バイトのお兄さんのお勧めは、スミス、エコバニ、ウォーターボーイズ
それは9月頭頃だった。妖しい季節だったかはわからない。夏休み明けのぼーっとした顔で店に寄ったものの、壁のディスプレイはよく知らない洋楽バンドばかり。その中でふとアズテック・カメラに目が止まり、12インチ企画盤を借りることにした。ヴァン・ヘイレンのカバー「ジャンプ」が気になったのだ。カウンターにレコードを置くと、バイトのお兄さんがこちらをジロジロと見てきた。髪をちょっと逆立てたメガネの黒スリム風。
「こういうの聴くの?」
「はあ。あまり知らないんですけど」
「あそこのディスプレイ見てたよね? どうだった? 俺が選んだんだ」
私はO型人間なのでこういう時、気遣いを発揮する。
「え、そうなんですか? 気になってたんです。何かお勧めを教えてもらえますか?」
彼は嬉しそうに笑い「少々お待ち下さい」と言ってカウンターを飛び出し、レコードをサクサクし始めた。「これもいいよ」と、ディスプレイから2枚、レコード棚から1枚。計3枚を私の前に置いた。
1. ミート・イズ・マーダー / ザ・スミス
2. オーシャン・レイン / エコー&ザ・バニーメン
3. 異教徒の大地 / ザ・ウォーターボーイズ
「あ、ロッキング・オンで見たことあります!」
「へーそうなんだ。全部いいよ」
ハマった! ザ・スミスとUKロック沼
財布の中身と相談して、結局全部借りることにした。4枚のレンタル代はバカにはならない。でも借りて良かった。本当に良かった! あれが私とUKインディー / ニューウェーブとの出会いになったのだから! ザ・スミスとの出会いになったのだから!!
なんたってジャケットの帯には “肉食うな!” の文字である。アコースティックなギターサウンドにうねるリズム。そこに乗る抑揚のないボーカル。カルチャーショックだった。
ライナーノーツの解説文に心を鷲掴みにされて、気づくと朝まで読んでいた。歌詞の訳も何度も読み返した。攻撃的で、容赦なくて、恨み節でユーモラスで、内面にぐいぐい分け入ってくる。英語詞は音読した。
特に当時日本盤のみに収録されていたシングル曲「ハウ・スーン・イズ・ナウ?」の切れ味ったらなかった。
ぼくは人間
他の誰かと同じように
ぼくだって愛されたいんだ
対訳:中川五郎ぎゃー! 部屋を真っ暗にして聴いていた女子高生の私涙目!(笑)。
ちなみにジャケットは1968年の反戦映画「イン・ザ・イヤー・オブ・ザ・ピッグ」からの引用写真。ヘルメットの文字をアルバムタイトルに差し替えている。『ミート・イズ・マーダー』は46分テープでギリギリ録音できた。
とにかくその日はスミスに圧倒されまくってしまい、エコバニとウォーターボーイズ、アズカメは後日の堪能となったが、もちろん全部気に入った。ナイスセレクト!
今も音楽好きなのは貸レコードのおかげ! お世話になりました
翌日は学校が終わるのが待ち遠しかった。終業ベルが鳴るや否や「早く感想を言いたい! 質問したい!」と、即レコードを返却に行った。でもバイトのお兄さんはいなかった。それ以降、店で一度も見かけたことはない。その後の甘酸っぱいエピソードも、師匠としての指南の歴史も何もないのだよ。まさかの一期一会。もしかしたらあれは神が私に遣わしたお告げの天使だったのかも? とまで考えてしまう。
もし会えたらたくさん言いたいことがあった。今だって言いたい。会えるわけなどないけれど。このUKロック沼に私を引き摺り込んでくれてありがとう。スミスの魅力と哲学と世界を教えてくれてありがとう。名前すら知らなくても、今私がこうして35年スミスのファンでいるのは、音楽を聴いているのは、きっとあなたのおかげ。そして “YOU&I” のおかげです。
その後も “YOU&I”には断然お世話になった。ゼン・ジェリコにニュー・オーダー、ザ・キュアーも借りた借りた。店舗が廃業すると聞けば閉店セールに飛んで行き、レコードを買い漁った。当時はまだまだアナログカルチャー。サブスク配信の今の時代からは信じられないような労力をかけ、自分の足で音楽を自分のものにしていたんだなと思う。
未だに中古レコード屋などで「レンタルレコード」のあの黄色いシールに遭遇すると、そんな淡いエピソードを思い出してしまう。
まさに「青春は一度だけ!」なのかもしれないね。
2020.09.07