2018年 11月9日

クイーンの映画「ボヘミアン・ラプソディ」で “あの曲” がカットされた理由

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クイーンの伝記映画「ボヘミアン・ラプソディ」が劇場公開された日
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photo:Queen Photos  

ライヴエイドでアンコール的に歌われた「悲しい世界」


2018年に映画が大ヒットし、翌2019年にDVDとブルーレイがリリースされた『ボヘミアン・ラプソディ』。そこでは映画でカットされた「愛という名の欲望(Crazy Little Thing Called Love)」と「ウィ・ウィル・ロック・ユー」も特典映像として収められ、ライヴエイド全曲収録が謳われている。

しかし “全曲” というのには違和感がある。そこには「悲しい世界(Is This the World We Created…?)」が収められていないからだ。

1984年2月にリリースされたクイーンのアルバム『ザ・ワークス』の最後に収められたこの曲は、クイーン4人ではなくフレディ・マーキュリーとブライアン・メイの2人で、しかもクイーンの出番の3時間後すっかり暗くなったウェンブリー・スタジアムで、アンコール的に歌われたものだった。

いわば例外的な曲だからカットされても当然かと思ったのだが、改めてこの頃のクイーンの歴史をひも解いてみると、この曲が映画から完全にオミットされた理由が見えてくるのだ。

1984年のバンド・エイドにクイーンが参加できなかったワケ


クイーンのライヴエイドでのパフォーマンスは、DVD及びブルーレイでリリースされている『伝説の証~ロック・モントリオール1981&ライヴ・エイド1985』で観ることが出来る。このソフトには「悲しい世界」もきちんと収められているのだが、石角隆行氏によるライナーノーツが実に示唆に富んでいる。以下このライナーを参考に話を進めたい。

まず改めて意外に思ったのが、ライヴエイドのきっかけとなった前年1984年のバンド・エイドの「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」にクイーンが参加していないということだ。

実はこの年の10月、クイーンは南アフリカの白人専用リゾート地、サンシティでコンサートを行っている。当時の南アフリカはアパルトヘイト(人種隔離)の真っ只中。その結果クイーンは国連のブラックリストに載せられ、アパルトヘイトに反対していたイギリスの音楽家ユニオンからは制裁金を科せられてしまう。バンド・エイドに参加しないかと声はかかったが、到底参加出来る状況ではなかったのである。

綿密なリハーサルを重ねてクイーン復活、ライヴエイドに参加!


翌1985年になっても余波は続く。南米ツアーの『ロック・イン・リオ』では、労働者階級のアンセムとなっていた「ブレイク・フリー(自由への旅立ち)」でフレディがMVと同じ付け胸をした女装姿で現れたため、アンセムを汚されたと大ブーイングを浴びてしまう。続く豪州ツアーでは空港に前年のサンシティ公演に抗議するデモ隊が待っていた。この後5月にクイーンは日本公演を行うのだが覇気を欠いていたという。無理もないだろう。

この後ボブ・ゲルドフから汚名を返上すべきという熱心な働きかけもあり、空中分解しかけていたクイーンは綿密なリハーサルを重ね、7月13日にウェンブリー・スタジアムのステージに臨む。その結果はご存知の通り。伝説が生まれ、クイーンは見事に復活を果たした。ここから1991年のフレディの逝去までクイーンは何回目かの黄金期を迎えるのだ。

一部の “通な” ファンからは「史実からかけ離れている」と批判を受けている映画『ボヘミアン・ラプソディ』。しかしそれならば、ここまで述べてきたサンシティ公演とそれにまつわる騒動、失態を描くべきだったのだろうか。ノンフィクションではないのだから僕は決してそうは思わない。そしてクイーンのメンバーにとっても、亡きフレディを含め誰もが触れられたくはない過去だったのではないだろうか。

それでも「悲しい世界」がオミットされた理由とは


ライヴエイドの伝説のステージが、解散危機(これは誇張はされていたがある程度は史実)と、フレディのエイズ発症によるメンバーの再結束(これは史実と全く異なる)から産まれたという “おとぎ話” も、クイーンのメンバーも認め、また僕を含めた多くの人の涙を誘ったのだから、映画としては許されてしかるべきではないだろうか。映画を観た後に改めて史実を確認した時の僕の感想は次の通りだった。

「盛りやがったな、このやろう。でも泣かされちゃったよ」

これこそが映画に対する誉め言葉ではないかと僕は思うのだ。

それでは「悲しい世界」は何故映画から完全にオミットされてしまったのか。実はこの曲はフレディとブライアンがアフリカの惨状をテレビで観て書いた曲であった。何のことはない、バンド・エイドに先立つこと1年も前に彼らは既にアフリカについて歌っていたのだ。この曲がライヴエイドでアンコールの如く歌われたのも至極当然であった。

しかしこの曲が映画か、もしくは特典映像に使われると、他のクイーンの曲とは明らかに色合いが異なる。映画でのライヴエイドでの復活劇にもマッチしない。引いてはサンシティ公演の騒動すら想起させかねないだろう。これがこの曲が完全にオミットされた理由ではないかと僕は思うのだ。

我々は「悲しい世界」を聴くことで、映画と離れた所で、バンド・エイド以前にクイーンが既にアフリカの惨状を憂いていたことをただ噛みしめればいいのだ。


最後に余談である。

ライヴエイドでフレディとブライアンが「悲しい世界」を歌い終わった後に慌てて撤収する中で、スタッフが抜いてはいけない次のミュージシャンのマイクのプラグまで抜いてしまった。結果、そのミュージシャンのヴォーカルは途中までウェンブリーの観客のみならず全世界の視聴者に届かないことになる。

そのミュージシャンこそが、「レット・イット・ビー」を歌ったポール・マッカートニーであった。


※2019年2月25日、2021年9月5日に掲載された記事をアップデート


2022.03.27
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  YouTube / Queen Official(動画は Live At Wembley Stadium,1986.7.11.)


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1970年生まれ
ジャン・タリメー
想いだしました。そうです、あの当時、なぜクイーンは出ないんだ、サンシティが原因かと、話題になっていました。そうでした。そうでした。それでも、あの当時も思ったので想いだしたのですが、なぜあれだけ善悪はっきりしていて、みんなが非難しているコンサートをわざわざ決行したのでしょうかね。いわんや、アフリカの惨状に思いをはせていたのなら、それでもやったのには何か理由があったのでしょうか。伝記映画の中での「盛り」は置くとして、そちらが気になりました。
2019/02/28 02:06
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返信
カタリベ
1965年生まれ
宮木宣嗣
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