9月14日

奇跡の年【1984】第1回 MTV アワードを揺るがせたマドンナの媚態

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2017年9月9日、奇しくも SMAP のデビュー26周年と重なったその日、テレビ朝日の『SmaSTATION!!』に生出演する香取慎吾サンが、出待ちする数百人のファンの前にサプライズで現れ、神対応したニュースが話題になったが―― 同番組は同年9月23日をもって終了した。個人的に残念なのは、ナレーションを務める小林克也サンの声が、これで地上波のテレビで聴けなくなってしまったこと。

小林克也サンと言えば、やはり原点は MC を務めた80年代の名物番組『ベストヒットUSA』だろう。毎週、全米ヒットチャートや最新のミュージックビデオを、流ちょうな英語とうんちくを交えつつナビゲートしてくれた。奇しくも、同番組はテレビ朝日の土曜深夜23時台の放送―― そう、『SmaSTATION!!』と同じ枠だった。これは単なる偶然だろうか。

思えば、80年代は今よりずっと洋楽が身近にあった。『ベストヒットUSA』に限らず、民放各局とも洋楽紹介番組を持っていた。ピーター・バラカンさんが MC を務める『Poppers MTV』(TBS系)に、大友康平サンや なぎら健壱サンなど日替わり MC で構成される『TOKIO ROCK TV』(テレビ東京系)、萩原健太サンが MC の『MTVジャパン』(TBS系)、ひたすらミュージックビデオを流し続ける『SONY MUSIC TV』(TVK系)―― etc.

僕の地元・福岡にも、日テレ系の FBS が放送する『Night Jack FUKUOKA』というローカル枠の人気の洋楽紹介番組があった。洋楽を知らないと、友人たちとの会話についていけなかった。女の子とのドライブで流すマイ・フェイバリットソングのカセットテープを編集できなかった。

それらの洋楽番組の原点は、言わずと知れたアメリカの『MTV』である。MTV とは Music Television の略。世界初の24時間ミュージックビデオを流し続けるケーブルチャンネルとして、1981年8月1日に華々しく開局した。だが、当初はミュージックビデオがまだ一般的ではなく、初日に集まったビデオクリップはわずか165本だったという。

有名なエピソードだけど、MTV で最初にオンエアしたビデオはバグルスの「ラジオスターの悲劇」だった。テレビの登場で仕事を追われた、かつてのラジオスターの悲哀を歌った曲である。同番組の船出に相応しい洒落た選曲だ。

実際、同チャンネルは最初こそ苦戦したものの、次第に契約者を増やし、83年にマイケル・ジャクソンの「スリラー」が登場する頃には、音楽シーンをリードする一大勢力になっていた。時に、音楽は聴くものから、見るものへと変わっていた。

そして1984年―― この年、記念すべき第1回 MTV Video Music Awards(以下、MTV アワード)が、NY のラジオシティ・ミュージックホールにて開催される。それは、MTV が主催するミュージックビデオの祭典。過去1年間に発表されたミュージックビデオの中から、優れた作品に各賞を贈るというもの。その第1回の授賞式が行われたのが、1984年9月14日だった。

少々前置きが長くなったが、今回のテーマは、この第1回 MTV アワードの授賞式で起きた、ある事件である。

まず、なんたって、ノミネートされた作品がすごかった。14分もの長尺で、名匠ジョン・ランディスが監督したマイケル・ジャクソンの「スリラー」を筆頭に、シンディ・ローパーを一躍有名にした「ハイ・スクールはダンステリア(現タイトル:ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン)」、ポリスの大ヒット曲「見つめていたい」、ヴァン・ヘイレンの名曲「ジャンプ」、ビリー・ジョエルの傑作「アップタウンガール」、ハービー・ハンコックの世界的名曲「ロックイット」(『踊る!さんま御殿!!』のテーマ紹介で流れるあの曲ですナ)、クイーンの大ヒット曲「レディオ・ガガ」(ちなみに、レディー・ガガの名前はこの曲へのオマージュ)、そしてデヴィッド・ボウイの「チャイナ・ガール」―― etc.

俗に、20世紀最高の科学者アルベルト・アインシュタインにとって1905年は、ブラウン運動を始め、特殊相対性理論や光量子仮説など、物理史に燦然と輝く重要な5つの論文を立て続けに発表した “奇跡の年” と呼ばれる。その意味では、差し詰め、音楽界にとっては1984年が、奇跡の年だろう。

だが、その記念すべき第1回 MTV アワードを揺るがせた事件は、先に挙げた以外の音楽家によってもたらされる。

―― マドンナである。パフォーマンスのゲスト枠で呼ばれた彼女は、既に82年にデビューして、そこそこヒットも飛ばしていたが、後のブレイクに比べると、まだ一般的な知名度は低かった。

この日、彼女は巨大なウエディングケーキのセットの上に板付きで登場する。衣装はウエディングドレス風である。そう―― かの「ライク・ア・ヴァージン」の衣装だ。だが、当時はまだリリース前。観客やテレビの前の視聴者の誰も、その曲を知らない。この日が、世間に向けて同曲の初披露だったのだ。


 Like a virgin, hey
 Touched for the very first time
 Like a virgin
 When your heart beats
 Next to mine


最初は大人しく歌っていたが、ベールを脱ぎ棄てる辺りから、次第に様相が変わってくる。髪をわざとかき乱し、ステージへ降りると、寝転がる。二転、三転する姿は、まるでベッドの上の娼婦のようだ。よく見ると、ウエディングドレスもなんだか下着みたいだ。そのうち、とうとう腰まで振り出した。

やりすぎだ! もうパンツなんて丸見えである。断わっておくが、観客にとって、その日が初「ライク・ア・ヴァージン」だった。

パフォーマンスが終わり、まるでストリッパーのようにステージ上で寝転がるマドンナに、観客が戸惑い気味に、少し遅れて拍手する。放送事故とは言わないが、明らかにそれは事件だった。

一夜にして、マドンナは伝説になった。その後の活躍はご承知の通り。この2ヶ月後にリリースされたシングル「ライク・ア・ヴァージン」は彼女にとって初の全米1位の曲となり、世界的に大ヒットする。彼女は一躍スターダムへと駆け上がった。

そして翌85年1月、マドンナはプロモーションのために来日する。いわゆる「マドンナ旋風」が日本で吹き荒れるのは、そのタイミングである。僕も夢中になった。マドンナは聴く対象ではなく、明らかに見る対象だった。なんたって、エロい盛りの十代である。

余談だが、かつて和製マドンナと言われた NOKKO(レベッカ)が「フレンズ」で一躍ブレイクするのは、その85年の晩秋である。


歌詞引用:
ライク・ア・ヴァージン / マドンナ



※2017年9月14日に掲載された記事をアップデート

2019.08.16
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  YouTube / MadgeVideos1
 

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カタリベ
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