9月14日
奇跡の年1984。第1回MTVアワードを揺るがせた最大の事件―マドンナ
77
0
 
 この日何の日? 
第1回 MTV Video Music Awards が開催された日
この時あなたは
0歳
無料登録/ログインすると、この時あなたが何歳だったかを表示させる機能がお使いいただけます

 
 1984年のコラム 
デヴィッド・ボウイがグラミー受賞! ブルー・ジーン以来32年ぶり?

インパクト抜群「よろしくメカドック」の主題歌によろしくチューニング!

岡田有希子をめぐる3つの四月物語(後篇)

アートスクール出身の歌姫、シャーデー・アデュとコリーン・ドリュリー

KONTAと杏子のWボーカル、バービーボーイズのスリリングな駆け引きロック

大沢誉志幸が教えてくれた「途方に暮れる」男性の優しさと強がり

もっとみる≫


先の9月9日、奇しくもSMAPのデビュー26周年となるその日、テレビ朝日の『SmaSTATION!!』に生出演する香取慎吾サンが、出待ちする数百人のファンの前にサプライズで現れ、神対応したニュースが話題になったが―― 同番組はこの9月で終了するという。個人的に残念なのは、ナレーションを務める小林克也サンの声が、これで地上波のテレビで聴けなくなること。

小林克也サンと言えば、やはり原点はMCを務めた80年代の名物番組『ベストヒットUSA』だろう。毎週、全米ヒットチャートや最新のミュージックビデオを、流ちょうな英語とうんちくを交えつつナビゲートしてくれた。奇しくも、同番組はテレビ朝日の土曜深夜23時台の放送―― そう、『SmaSTATION!!』と同じ枠だった。これは単なる偶然だろうか。

思えば、80年代は今よりずっと洋楽が身近にあった。『ベストヒットUSA』に限らず、民放各局とも洋楽紹介番組を持っていた。ピーター・バラカンさんがMCを務める『Poppers MTV』(TBS系)に、大友康平サンやなぎら健壱サンなど日替わりMCで構成される『TOKIO ROCK TV』(テレビ東京系)、萩原健太サンがMCの『MTVジャパン』(TBS系)、ひたすらミュージックビデオを流し続ける『SONY MUSIC TV』(TVK系)―― etc.

僕の地元・福岡にも、日テレ系のFBSが放送する『Night Jack FUKUOKA』というローカル枠の人気の洋楽紹介番組があった。洋楽を知らないと、友人たちとの会話についていけなかった。女の子とのドライブで流すマイ・フェイバリットソングのカセットテープを編集できなかった。

それらの洋楽番組の原点は、言わずと知れたアメリカの『MTV』である。MTVとはMusic Televisionの略。世界初の24時間ミュージックビデオを流し続けるケーブルチャンネルとして、1981年8月1日に華々しく開局した。だが、当初はミュージックビデオがまだ一般的ではなく、初日に集まったビデオクリップはわずか165本だったという。

有名なエピソードだけど、MTVで最初にオンエアしたビデオはバグルスの「ラジオスターの悲劇」だった。テレビの登場で仕事を追われた、かつてのラジオスターの悲哀を歌った曲である。同番組の船出に相応しい洒落た選曲だ。

実際、同チャンネルは最初こそ苦戦したものの、次第に契約者を増やし、83年にマイケル・ジャクソンの「スリラー」が登場する頃には、音楽シーンをリードする一大勢力になっていた。時に、音楽は聴くものから、見るものへと変わっていた。

そして1984年―― この年、記念すべき第1回MTV Video Music Awards(以下、MTVアワード)が、NYのラジオシティ・ミュージックホールにて開催される。それは、MTVが主催するミュージックビデオの祭典。過去1年間に発表されたミュージックビデオの中から、優れた作品に各賞を贈るというもの。その第1回の授賞式が行われたのが、33年前の今日―― 1984年9月14日だった。

少々前置きが長くなったが、今回のテーマは、この第1回MTVアワードの授賞式で起きた、ある事件である。

まず、なんたって、ノミネートされた作品がすごかった。14分もの長尺で、名匠ジョン・ランディスが監督したマイケル・ジャクソンの「スリラー」を筆頭に、シンディ・ローパーを一躍有名にした「ハイ・スクールはダンステリア(現タイトル:ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン)」、ポリスの大ヒット曲「見つめていたい」、ヴァン・ヘイレンの名曲「ジャンプ」、ビリー・ジョエルの傑作「アップタウンガール」、ハービー・ハンコックの世界的名曲「ロックイット」(『踊る!さんま御殿‼』のテーマ紹介で流れるあの曲ですナ)、クイーンの大ヒット曲「レディオ・ガガ」(ちなみに、レディー・ガガの名前はこの曲へのオマージュ)、そしてデヴィッド・ボウイの「チャイナ・ガール」―― etc.

俗に、20世紀最高の科学者アルベルト・アインシュタインにとって1905年は、ブラウン運動を始め、特殊相対性理論や光量子仮説など、物理史に燦然と輝く重要な5つの論文を立て続けに発表した “奇跡の年” と呼ばれる。その意味では、差し詰め、音楽界にとっては1984年が、奇跡の年だろう。

だが、その記念すべき第1回MTVアワードを揺るがせた事件は、先に挙げた以外の音楽家によってもたらされる。

――マドンナである。パフォーマンスのゲスト枠で呼ばれた彼女は、既に82年にデビューして、そこそこヒットも飛ばしていたが、後のブレイクに比べると、まだ一般的な知名度は低かった。

この日、彼女は巨大なウエディングケーキのセットの上に板付きで登場する。衣装はウエディングドレス風である。そう―― かの「ライク・ア・ヴァージン」の衣装だ。だが、当時はまだリリース前。観客やテレビの前の視聴者の誰も、その曲を知らない。この日が、世間に向けて同曲の初披露だったのだ。


 Like a virgin, hey
 Touched for the very first time
 Like a virgin
 When your heart beats
 Next to mine


最初は大人しく歌っていたが、ベールを脱ぎ棄てる辺りから、次第に様相が変わってくる。髪をわざとかき乱し、ステージへ降りると、寝転がる。二転、三転する姿は、まるでベッドの上の娼婦のようだ。よく見ると、ウエディングドレスもなんだか下着みたいだ。そのうち、とうとう腰まで振り出した。

やりすぎだ! もうパンツなんて丸見えである。断わっておくが、観客にとって、その日が初「ライク・ア・ヴァージン」だった。

パフォーマンスが終わり、まるでストリッパーのようにステージ上で寝転がるマドンナに、観客が戸惑い気味に、少し遅れて拍手する。放送事故とは言わないが、明らかにそれは事件だった。

一夜にして、マドンナは伝説になった。その後の活躍はご承知の通り。この2ヶ月後にリリースされたシングル「ライク・ア・ヴァージン」は彼女にとって初の全米1位の曲となり、世界的に大ヒットする。彼女は一躍スターダムへと駆け上がった。

そして翌85年1月、マドンナはプロモーションのために来日する。いわゆる「マドンナ旋風」が日本で吹き荒れるのは、そのタイミングである。僕も夢中になった。マドンナは聴く対象ではなく、明らかに見る対象だった。なんたって、エロい盛りの十代である。

余談だが、かつて和製マドンナと言われたNOKKO(レベッカ)が「フレンズ」で一躍ブレイクするのは、85年の晩秋である。



歌詞引用:
ライク・ア・ヴァージン / マドンナ

2017.09.14
77
  YouTube / MadgeVideos1
 

Information
あなた
Re:mindボタンをクリックするとあなたのボイス(コメント)がサイト内でシェアされマイ年表に保存されます。
カタリベ
1967年生まれ
指南役
コラムリスト≫
29
1
9
8
4
カーズ、マイケルのスリラーをおさえてMTV大賞を勝ち取ったバンド!
カタリベ / DR.ENO
45
1
9
8
2
マイケルの「スリラー」に味方した偶然のような必然 ー MTV篇
カタリベ / 太田 秀樹
89
1
9
8
4
共有感満載の80年代洋楽ヒット!ビルボード最高位2位の妙味 vol.2
カタリベ / KARL南澤
44
1
9
8
4
ジャンプ!今日もヴァン・ヘイレンは無責任に誰かの背中を押している
カタリベ / 宮井 章裕
29
1
9
8
4
ジャンルを超えた「見つめていたい」メヌードからポリスに架けられた橋
カタリベ / clake
43
1
9
8
5
レベッカの「フレンズ」は僕にとってサイコーのドライブミュージック!
カタリベ / 藤澤 一雅
Re:minder - リマインダー