沢田研二『TOKIO』の話を続けます。『TOKIO』と言えば、何といっても、あのギターイントロです。
前回
「80年代は沢田研二『TOKIO』で幕が開いた」という話を書きましたが、ということはつまり、「80年代は沢田研二『TOKIO』《のイントロ》で幕が開いた」ということになります。
♪ジャッ・ジャラ・ッジャ・ッジャ||ッジャ・ッジャ・ジャラ・―ン||ジャッ・ジャラ・ッジャ・ッジャ||ーン
これを階名(ドレミ)で書くと、
♪ミッ・ミミ・ッミ・ッミ||ッミ・ッミ・ファミ・ーン||レッ・レレ・ッレ・ッミ||ーン
となります(本当はもう少し色んな音が鳴っていますが)。で、この音使いのポイントは「ミ」と「ファ」です。この、「ミ」との関係における「ファ」のことを、専門用語で「sus4」(サス・フォー。suspended4の意味)と言います。難しい音楽理論のことは一旦措いておきつつ、この「ミ」と「ファ」を使ったイントロを、ここでは「sus4イントロ」と呼ぶことにします。
実は、この『TOKIO』あたりから、「sus4イントロ」が、やたらと増えてくるのです。時系列で並べてみます。
■沢田研二「TOKIO」
(1980年1月1日)
■渡辺真知子「唇よ、熱く君を語れ」
(1980年1月21日)
■太田裕美「南風 - SOUTH WIND -」
(1980年3月21日)
■松田聖子「青い珊瑚礁」
(1980年7月1日)
ぜひイントロを聴いてみてください。すべて「ミ」と「ファ」による、同じような音使いになっています。というわけで、1980年は、さしずめ「sus4イントロの当たり年」となるのですが、それ以降も、80年代を通して「sus4イントロ」が散見されます。ざっと思い付くだけでも……
■ビートたけし「OK! マリアンヌ」
(1982年9月5日)
■吉川晃司「モニカ」
(1984年2月1日)
■アースシェイカー「ラジオ・マジック」
(1984年9月21日)
■うしろゆびさされ組「渚の『・・・・・』」
(1986年8月27日)
■小泉今日子「学園天国」
(1989年11月1日)
で、なぜ1980年代に「sus4イントロ」が増えたのか、何か元ネタはあるのか、ということを、この一週間ほど考えていたのですが、残念ながら、ハッキリとした理由が分かりませんでした。ただ言えることとして、以下3点。
(1)「sus4」は明るい。
こちらも難しい理論は省きますが、「sus4イントロ」は、「ミ」というメジャー(長調)コードを決定付ける音を強調することで、明るい感じが強くなり、それが(陰鬱な70年代に対する)80年代の気分に合っていたのではないか。
(2)「sus4」は弾きやすい。
コードにもよりますが、特にギターにおいて、「sus4」はとても弾きやすいのです。オープンの「D」「E」「G」「A」など、あらゆるコードで、簡単に「sus4」=「ファ」の音を弾けることが広まって、多用されたのではないか。
(3)つまり、「sus4」はニューウェーブだ。
明るくて弾きやすい「sus4」。それが、軽佻浮薄で軽薄短小な、80年代の新しい波=「ニューウェーブ」の感覚の音楽に、ピッタリ合ったのではないか。
と分析することが出来ます。そして、そんな明るく弾きやすい「ニューウェーブ」サウンドの象徴として、沢田研二『TOKIO』のイントロが、80年代の初日=1980年の元日に鳴り響いたのです。
で、最後に。沢田研二『TOKIO』のイントロについて、1曲だけ元ネタを思いつきました。ちょっと細かいのですが、セックス・ピストルズの『アナーキー・イン・ザ・U.K.』(1976年)の2回目の間奏の影響を受けているような気がしましたが、どうでしょうか? 下の映像リンクで。ちょうど2分あたりのところです。聴いてみてください。
とりあえずの暫定結論―― 明るく弾きやすい「ニューウェーブ」な「sus4イントロ」の源流は、ロンドンパンクだった!
2018.01.20