1994年 8月31日

伊藤銀次とウルフルズ ④ 曲作りだけで3ヶ月!アルバム「すっとばす」プロデュース秘話

36
0
 
 この日何の日? 
ウルフルズのセカンドアルバム「すっとばす」発売日
この時あなたは
0歳
無料登録/ログインすると、この時あなたが何歳だったかを表示させる機能がお使いいただけます
▶ アーティスト一覧

 
 1994年のコラム 
中島みゆきと吉田拓郎の「ファイト!」カバーはオリジナルを超えるか? <後篇>

【ミリオンヒッツ1994】EAST END × YURI「DA.YO.NE」と 日本語ラップのリアリティ

2024年を感じながら聴く【90年代ロック名盤ベスト10】懐かしむより、超えていけ!

オザケンこと小沢健二が渋谷系と騒がれ “王子様” と呼ばれていた時代の名盤「LIFE」

2024人気記事【小沢健二「LIFE」30周年】90年代の音楽を “今の時代” に再現する意味は?

渋谷系最大のヒット「LIFE」小沢健二は時代のど真ん中にいて震えるほどカッコよかった

もっとみる≫




連載【90年代の伊藤銀次】vol.10

突けば突くほどおもしろいフレーズが出てくるトータス松本


1994年の1月から始まった、のちに『すっとばす』というタイトルでリリースされるセカンドアルバムのためにトータス松本との曲作りが3ヶ月もかかったのは、決してダラダラとやってたからではなかった。突けば突くほどおもしろいフレーズが出てくるトータス。僕が描いていた最低限の高さのハードルに達するまで、とにかく辛抱強く期待して粘ることを繰り返した結果だった。

世にはさまざまなスタイルの音楽プロデューサーが存在する気がする。ソングライティングをしないアーティストのために作詞・作曲・編曲のすべてを1人でこなす小室哲哉君のようなスタイルもあれば、リンダ・ロンシュタットのプロデューサー、ピーター・アッシャーのように、アルバムコンセプトの全体像を俯瞰で捉えて、アレンジや作詞・作曲者を選び任せるタイプなどさまざまなやり方があるようだ。

僕のプロデュースのスタイルは、アーティストがソングライティングをしないタイプのシンガーなら小室君のように、そしてウルフルズのようにメンバーが曲を書ける場合は、もちろん編曲もするが、あくまでアーティストに詩曲を書いてもらい、そこにアイデアを出してより魅力的な曲に持っていくスタイルなのだ。トータスのまだ曲としては形になってはいないけれど、すばらしいアイデアの点線を、アドバイスしながら実線に変えていく作業こそやりがいのある僕の仕事なのだった。

アーティストのやりたい音楽を実現するために手助けをするのが僕のプロデュース


かくいう僕も、1982年にアルバム『BABY BLUE』を制作した頃は、メロディの断片がいくつも次々と浮かんでくるのだがそれをまとめられず、プロデューサーだった木﨑賢治さんに導いてもらって形にすることができた。おもしろいことにその体験がここで生きることとなった。

アーティストのやりたい音楽を実現するために手助けをするのが僕のプロデュース。佐野元春の時もそうだった。まるで歌舞伎の “黒衣”(くろご)のような存在。この頃よく、僕はまるで “クロゴでいるロック” なんて駄洒落を言って周りを笑わせてたっけ。そのためには、トータスの音楽的な感じ方や考え方をしっかり理解していなければならない。なのでとにかくいろいろな角度で彼に質問をしたものだった。

たとえば “初めて自分のお金で買ったシングル盤は?” とかね。トータスの答えはダウン・タウン・ブギウギ・バンドの「スモーキン・ブギ」だったよ。なんだか、その後のウルフルズの作風を予言してたかのような気がしないかい?



そんな会話の中で印象的だったのは “ウルフルズはどんなバンドなの” という質問に “僕らはソウルをやったりブルースをやったり、サーフミュージックをやったり、レゲエををやったりしているけど、どれも深く研究してやるつもりはないんです。なんちゃってでいいんです。僕らはバチモンやバッタもんでいいんです” の発言。

トータス松本がかっこいいと思う男像とは?


まじめに音楽を追求している人たちが聞いたら怒りまくってしまう言動かもしれないが、僕はこのちょっと不埒に聞こえる彼の発言をとても気に入ってしまったのだ。ポップスというのは多かれ少なかれどこかバッタもの的な匂いがあるものだ。たとえば初期のビートルズやストーンズのアメリカのR&Bのカバーには本物とはちがうなんちゃって感はあったけれど、それがオリジナルとは一味違う新しさを生み出していたような気がする。ポップスは音楽保存会ではないのだ。

そしてさらにトータスいわく “僕がかっこいいと思う男像は、クリスマスに彼女のためにホテルの最上階を予約してブランド物の指輪をプレゼントする男ではなくて、お金はなくても彼女のために汗かきベソかきシタバタジタバタ生きてく男なんです” という発言に妙に説得力を感じてジンときたものだったよ。その時から、彼らの音楽のコンセプトの中心にいつもこの2つの考え方を置いて、なにがあっても動かさずに行こうと決心したものだった。

▶ ウルフルズに関連するコラム一覧はこちら!



2024.12.02
36
  Songlink
 

Information
あなた
Re:mindボタンをクリックするとあなたのボイス(コメント)がサイト内でシェアされマイ年表に保存されます。
カタリベ
1950年生まれ
伊藤銀次
コラムリスト≫
27
1
9
8
1
名曲満載! ビートたけしの歌世界 ~ タケちゃんの思わず歌ってしまいました
カタリベ / 鈴木 啓之
36
1
9
8
3
伊藤銀次のクリスマスアルバム「ウインター・ワンダーランド」制作秘話
カタリベ / 伊藤 銀次
27
1
9
8
9
第4回:伊藤銀次のプロデュースイベント「BRITISH COVER NIGHT」汐留PITで開催!
カタリベ / 伊藤 銀次
38
1
9
9
2
伊藤銀次とウルフルズ ① まだまだ未完成だったバンドのプロデュースを引き受けた条件は?
カタリベ / 伊藤 銀次
43
1
9
7
7
佐野元春やウルフルズを輝かせた伊藤銀次の “どこか不思議な存在感” の正体とは?
カタリベ / 前田 祥丈
50
1
9
9
0
伊藤銀次「テレジオ7」収録エピソード! KANが、永井真理子が、BUCK-TICKが…
カタリベ / 伊藤 銀次