音楽と空気は「どこにでもある」という点で似ている。それは人を包み込むし、それ無しでは人間は生きられない。そして空気がなければ音の波動が生まれないので音楽もないということになる。
音楽は音からなるので、人が生きている限り音楽を鳴らす。呼吸ですら一つの音楽だろう。恋人が隣で寝息を立てて寝ているとする。これは至上の音楽である、と考えるのは僕のせん妄だろうか。
さて、僕の周りを取り囲んでいた空気のような良い音楽となるとサザンオールスターズとなる。
我が家では、母の好きなサザンの曲が常にかかっていた。それは空気と同じく家にいつもあった。そしていつの間にかその空気は奇妙なサザン好きの小学生を醸成したわけだ。中でも『タイニイ・バブルス』を特に母は好きだったようで、いつもかかっていたのは記憶している。
僕は当時から未だ変わらない、物覚えの悪い脳みそしか持ち合わせていない。それに加えて手が不器用ときている。そんな時、小学校の音楽のテストにかなり難しい曲をリコーダーで演奏するものがあった。僕にそのような芸当ができるはずもない。
通っていた小学校には教員になりたての若い女性音楽教師がいた。彼女はそんな情けない僕を見て「君の好きなサザンの曲で練習しましょう!」と助け舟を出してくれ放課後、音楽室で特訓を受けることとなった。
先生は僕が大したサザンファンと知っていた。好きな音楽は体臭のように身体へ染み付いてしまうから、自然と好きさ加減が出てしまう。そんなことから、この生意気な10歳児は小学校でもサザンファンとして有名になっていたのだ。それからリコーダーと『タイニイ・バブルス』のカセットを手に、恐る恐る音楽室に通う日々が続くことになる。
先生は運指のできない僕に、アルバムに入っている「松田の子守唄」をリコーダーで練習するようプログラムを組んでくれた。リズムがゆっくりだから、ということもあったのかもしれない。
友だちみんなは帰ってしまった。悲しみの中で壊れそうな優しさを感じるこの曲を先生は楽譜に起こしてくれ、僕は夕陽が差し込む音楽室で、指の動きを練習した。
すると、驚くことに日に日にスッと運指が手に馴染んできたのだ。私の腕が順調になった頃、先生がふと「私はピアノ」を聴いて音楽の道へ進む決心をしたとしみじみ語ってくれた。彼女はサザン直撃世代だったわけである。
僕はその時まで、大人から自分の心の内を明かされた経験がなかった。先生は「私はピアノ」をピアノで弾き始めた。僕はそれに合わせて、先生の思いに応えたいと感じて一生懸命に歌った。夕陽の差し込む音楽室に、あの優しい戦慄とはあまりにベタであるが、今でも強く心に残っている。
そんな先生のご助力もあってテストは無事、パスできた。しかし不思議なのが、なぜすんなりリコーダーの腕が上がったのかということである。
練習すれば誰でも出来るようになるだろうし、先生の教え方の良さもあるだろう。しかしやはり空気のようにそこにある音の「良さ」を本当に実感できたからなのかもしれない。
「良い」音楽に触れてふっと心が晴れてしがらみがなくなると、自然と身体は動き出す。何か身体に訴える優しさと強さをサザンの楽曲は持っているのではないか。
空気のようにある「良い」音。それは聞き流せるという意味では全くなくて、呼吸を整えるかのような一つの芸術だ。だから今でもアリーナクラスのライブを彼らは満席にできるのだろう。
「ここからは私の空気、吸わないで!」ということが無理であるのと同じで音楽は誰かの占有物ではない。しかしそれは同時に誰のものにでもなりうるという可能性を持っていて、思い出がそれを完成させる。
つまり僕の呼吸と身体の動きまで整えて、音・音楽とはなんだろうと今もって考えさせてくれた一曲が『タイニイ・バブルス』の「松田の子守唄」だったということだ。
それはもう身体で感じた「良さ」に尽きるので、血液の中にあの子守唄が流れているのを今でもしみじみ感じる。
2018.03.21
YouTube / サザンオールスターズ
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