11月10日

40周年!中森明菜「セカンド・ラブ」来生姉弟が17歳の少女に贈った恋の叙情詩

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中森明菜のサードシングル「セカンド・ラブ」がリリースされた日
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サードシングル「セカンド・ラブ」でバラードに回帰した中森明菜


今から40年前、1982年11月10日にリリースされた中森明菜「セカンド・ラブ」は、瞬く間にヒットチャートを駆け上り、翌12月2日、『ザ・ベストテン』で6位初登場を決めた。その勢いは止まることなく2週間後には9,416点を獲得し、第1位まで一気に上り詰めたのだ。

デビュー曲の「スローモーション」そして「少女A」というタイプの違う2つの楽曲で着実にファンを獲得してきた中森明菜。続くサードシングルで再びバラード曲に回帰した「セカンド・ラブ」が見事に当たり、彼女はアイドル歌手としてその地位を確固たるものにした。

当時まだ17歳だった中森明菜。頬がふっくらとしていてあどけなさを感じさせる笑顔や、屈託のない振る舞い、さらに抜群の歌唱力を備えているとあれば、アイドルとして成功するのは当然だったのかもしれない。

けれど、才能がどんなにあっても花開くことなく消えていったアイドルもたくさんいる。だから「少女A」のヒットを受けて、好調なツッパリ路線で中森明菜を推していこうとする声がスタッフから上がってくるのは当然の流れであった。しかし、その提案を退け、中森明菜の歌い手としての資質を信じ、敢えてバラード曲に舵を切った寺林晁(制作宣伝統括)は「セカンド・ラブ」が大ヒットしたことでホッと胸を撫で下ろしたことであろう。

生放送「ザ・ベストテン」で “口パク” 提案を拒否


それは、翌年1983年1月13日放送の『ザ・ベストテン』で起こった事件である。

年が明けても「セカンド・ラブ」は首位を守り続け、中森明菜は『ザ・ベストテン』に5週連続1位で登場した。ただ、その日彼女は体調を崩していて喉の調子が万全ではなかったのだ。実は番組が始まる前に様子を察した番組スタッフが “口パク” の提案をしたという。これに対し彼女は「テレビを観ている人に失礼だから」と、気丈にも生で歌うことを選択したそうだ。これぞプロ魂である。

真っ白なドレスでステージに立つ中森明菜。画面越しではあるが、いつもの憂いを含んだ表情とは明らかに違う困惑した顔つき。よく見ればチョーカー巻きにした白いリボンが明らかにおかしい。いま思えばそのリボンはきっと包帯の役目であり、もしかしたら湿布が仕込まれていたのかもしれない。

司会の久米宏の曲紹介、そして前奏が終わり彼女は「セカンド・ラブ」を歌い始める―― スタッフはもちろん視聴者も明らかに声の異変に気付いたはずだ。いつもの伸びやかな歌声は影を潜め、語尾が擦れている。実に痛々しい。

その後も、声が途切れてしまった場面で何度も取り繕おうとした彼女は笑顔を見せてくれた。その度に喉が痛いのかすぐ苦しそうな顔つきに戻ってしまう。きっと特別なファンでなくても、1番を歌唱したわずか2分ほどのステージをテレビの前でハラハラしながら見守ったに違いない。

プロとして成長した証、中森明菜が流した涙


曲の最後、中森明菜の歌声は聴きとることができないほどに擦れてしまっていた。

彼女は歌い終わった瞬間少しだけはにかんだような笑顔をカメラに向ける。ただそれは、悔しさを心にグッと抑えこんだ不安定な表情にも見てとれた。曲のエンディングが流れるなか、CMに切り替わるまで彼女は何度も何度も深々と頭を下げた。カメラの向こう側にいる視聴者へ申し訳ない気持ちでいっぱいだったのだろう。

中森明菜へのこの日の1位プレゼントは「セカンド・ラブ」を作曲した来生たかおからの生電話だった。来生は電話越しに彼女を応援していたのだが、歌唱後に司会の黒柳徹子から彼女への言葉を求められると「やっぱりちょっと、喉、苦しそうだった…」とコメント。

その言葉に彼女は堪えてきた気持ちが堰を切って溢れてしまい、折り曲げた人差し指で何度も目尻を拭っていた。曲を提供してくれた来生に対して、ちゃんと歌えなかった悔しさと申し訳なさがそうさせたのだろう。でもこの瞬間、彼女はプロとして一段階成長を遂げたに違いない。

これは、長い歴史を持つ『ザ・ベストテン』の中でも名場面のひとつに挙げられるシーンで、「セカンド・ラブ」を語るとき絶対に外せないエピソードである。

美しく叙情的な旋律、来生たかおが放つメロディー


中森明菜のファーストシングル「スローモーション」とサードシングル「セカンド・ラブ」は、来生えつこ・たかお姉弟が作詞・作曲を担当したバラードである。

姉弟で作詞・作曲のタッグを組む例は珍しく、他にパッと思いつく人がいない。姉弟ではないが、80年代に活躍した歌手やミュージシャンならば、チェッカーズの藤井フミヤ・尚之兄弟、鈴木聖美・雅之(ラッツ&スター)姉弟、岩崎宏美・良美姉妹、そして、米米CLUBのカールスモーキー石井とMINAKO兄妹… といったところか。

ともあれクリエイティブな才能を考えると、血の繋がる者同士が影響し合って同じ世界に身を置くことはよくあると思うけれど、作詞と作曲で上手くハマったパターンは来生姉弟の他には思い当たらない。今後、来生姉弟のような例があるかどうかはわからないけれど、このタッグの成功は日本の音楽業界にとって宝だ。特にふたりのタッグはバラードがよい。

有名どころでは、「セカンド・ラブ」や「スローモーション」。ほかにも、大橋純子に提供した「シルエット・ロマンス」も僕好みの楽曲だ。来生たかおが放つ美しく叙情的な旋律は、どこをとっても楽曲のサビで使えるほど洗練されている。薬師丸ひろ子が歌った「セーラー服と機関銃」(1981年)は、冒頭のイントロからAメロが始まるメロディーの流れとか、僕だけかもしれないけれど、どこかノスタルジーな雰囲気を感じませんか?

もともと中学では “歌もの” よりもベンチャーズなど “インストもの” をよく聴いていたという来生たかお。その音楽的地盤は、高校生のころビートルズのライブを観たことで変化し、20歳のときにポールがピアノを弾きながら歌う「レット・イット・ビー」(1970年)を観たことで「ピアノもいいな」と、さらに刺激を受けた。それを契機にピアノ教室に通い譜面の書き方なども習い始めたという。それまで独学で作曲はしていたものの、ちゃんとした音楽知識は皆無だったのだ。

その後、ギルバート・オサリバンの楽曲「さよならが言えない(No Matter How I Try)」(1971年)「アローン・アゲイン」(1972年)と巡り合うことで本格的に作曲の才能を開花させる。ギルバート・オサリバンのメロウで少しだけ物哀しさを伴った旋律と、来生たかおのメロディアスな数々のフレーズは、この辺りが大きく影響しているのだろう。 来生たかおは、その後ギルバート・オサリバンと共演も果たしている。

美しい情景と心の機微を描いた来生えつこ


来生姉弟の作品は、弟の来生たかおが先に曲を作り、それに合わせて姉の来生えつこが歌詞を書いていくスタイルが多い。姉えつこが書く歌詞は、弟たかおのメロディーに乗ることで、まるで物語に命を吹き込まれるような感じを僕は覚える。

たとえば、“夢” という文字を多用するためどこかフワフワしてしまいそうだけど、どっこい彼女の書く歌詞も弟同様にどこを取っても聴く者にキャッチコピーのような鮮烈なイメージを与えてくれるのだ。

僕が好きな歌詞の一節を挙げるとすれば、

 さよならは別れの 言葉じゃなくて
 再び逢うまでの 遠い約束
 (セーラー服と機関銃より)

 出逢いは スローモーション
 軽いめまい 誘うほどに
 (スローモーションより)

 恋する女は 夢みたがりの
 いつもヒロイン つかの間の
 (シルエット・ロマンスより)

 舗道にのびた あなたの影を
 動かぬように止めたい
 抱きあげて 時間ごと…
 (セカンド・ラブより)

挙げはじめるとキリがないけれど、どの歌詞も美しい情景と心の機微が表現されている。

ちなみに今回紹介している「セカンド・ラブ」は、もともと大橋純子に提供した「シルエット・ロマンス」のヒットを受けて “続編の依頼がある” と思って来生たかおが書いていた楽曲である。それが使われることなくお蔵入りになろうか… というところ、中森明菜を担当するディレクター島田雄三の目に留まったのだ。

来生えつこは、大橋純子でイメージしていたその曲に、改めて中森明菜のために歌詞を書くことになった。これについて、来生えつこは過去のインタビューでこう答えている。

「大橋さんが歌うなら大人の女性になりますけど、明菜さんはまだ10代でしたから。“まだ恋をよく知らない女の子” のイメージで、詞を書きました」

これは「セカンド・ラブ」の重要なコンセプトと言えよう。たとえば、“好き” というひと言がいえないもどかしさを表現するために「♪ あなたのセーター 袖口つまんで うつむくだけなんて」という歌詞は、なんと来生えつこ本人の経験が基になっているのだそうだ。これは彼女が20歳ぐらいのころの記憶から導き出したフレーズで、これぞ “恋をよく知らない女の子” という繊細な女性心理を表現したのだ。

中森明菜の成長と、来生姉弟が贈った隠しメッセージ


「キャパの一歩か二歩先を僕らは作品で与える」

これは、当時アイドルの双璧として君臨していた松田聖子の話として、作詞家の松本隆がとある番組の中で語っていたことだ。

また別の番組だが、来生たかおも中森明菜に対して、こう話していた。

「セカンド・ラブっていうのが、またこれがですね、大変難しい歌で。それが逆にですね、自信ていうんですか。それ以降が安定してきました」

アイドルから歌手へ。作詞家も、作曲家も、アイドルを取り巻く大人たちはみんな、新人を大きく成長させるためにちょっとずつ背伸びをさせて育てていた。それは「セカンド・ラブ」の歌詞冒頭にちゃんと書かれている。

 恋も二度目なら 少しは上手に
 愛のメッセージ 伝えたい

そう、この一節こそ、来生姉弟が中森明菜を成長させるために贈った隠しメッセージなのかもしれない。


※2020年11月10日に掲載された記事をアップデート

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2022.05.04
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カタリベ
1967年生まれ
ミチュルル©︎たかはしみさお
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