11月5日
ブラック・キャッツ!ゴーゴーズに抜擢された原宿ロカビリーレジェンド
29
0
 
 この日何の日? 
ブラック・キャッツのアルバム「HEAT WAVE」がリリースされた日
この時あなたは
0歳
無料登録/ログインすると、この時あなたが何歳だったかを表示させる機能がお使いいただけます

 
 1982年のコラム 
歌が大好きだった父、阿久悠の書いた「居酒屋」と甘いキャンディーの記憶

プリンスとマイケルはコインの裏表、その始まりは「1999」!?

ナイトフライの魔力、ドナルド・フェイゲンにハマったら抜けられない?

感無量!ついにエイティーズ代表となったゲイソング、君の瞳に恋してる

胸をしめつける「セカンド・ラブ」ひとりの女性としての中森明菜

フィービー・ケイツだけじゃない「初体験 リッジモント・ハイ」は音楽も豪華

もっとみる≫

photo:Discogs  

80年代初頭『ビューティ・アンド・ザ・ビート』『ヴァケーション』と立て続けに2枚のアルバムをヒットさせたガールズバンド・ゴーゴーズ(The Go-Go's)は、アメリカ出身のバンドでありながら、どこかロンドン経由の匂いを放っていた。それは、シンディ・ローパーがソロデビュー以前、BLUE ANGELというロカビリーエッセンスをふんだんに散りばめたバンド出身であったことと酷似している。

彼女が、ルーツミュージックである乾いたロカビリーに未来を見出したようにゴーゴーズのサウンドも50年代の初期衝動であるロックンロールを基盤にPUNKを通過させたガールズバンドならではの蓮っ葉で(誉め言葉!)華やかなサウンドを作り出していた。

それは、つまり、温故知新型のニューウェイヴの完成形だったように思う。そんな彼女たちのサウンドをマッドネスが後押ししてロンドンを拠点に活動できたというのも頷ける。

ゴーゴーズが『ヴァケーション』をリリースし、人気が絶頂であった82年の夏、アメリカツアーが敢行された。ロサンゼルスからシアトルまで西海岸を北上していく大規模なツアーだ。このツアーのフロントアクトとして大抜擢されたのが、日本のブラック・キャッツだ。いまだにジャパニーズロカビリーのレジェンドとして多くのファンを持つ彼らは、フィフティーズの聖地、原宿クリームソーダの店員で結成されたバンドであり、当時、ビルボードのトップ10を賑わせているアーティストが日本のバンドを指名するのは異例中の異例だった。

当時、アメリカ、特に西海岸においても、50年代のオーセンティックな音楽に根差したロカビリーブームがあったのだが、これとは色合いの違う、イギリスのロックンロールリバイバルから派生し、ロンドン~原宿経由で確立されたロカビリーが海を渡りアメリカを横断するというエポックメイキングな出来事だったと思う。

ブラック・キャッツは81年7月21日にビクター・インビテーションからデビューすると瞬く間に日本全土をロカビリー旋風に巻き込んだ。だが、ツアー、レコーディングという多忙な日々を送るようになっても彼らは、クリームソーダの店頭に立ち続け、何事もなかったかのように客と接していた。ストリートが生んだカリスマたちは、僕らと一番近い場所にいた。

そんな彼らに当時のビックネームからのツアーの依頼。それも、フロントアクトとしては異例のギャラが支払われ、ツアー用のグレイハウンド・バスが用意されたという。ツアーの行程には、野外を含みスタジアム級の大きさのヴェニュー(開催地)もあった。

後に雑誌『GALS LIFE』の増刊として主婦の友社より発売された彼らの写真集『BLACK CATS IN U.S.A』(83年1月25日発売)を見れば当時の熱狂は手に取るように分かる。

黒髪のグリースを光らせた艶のあるウルトラリーゼントにアメリカンコミックのようなペイントを施した赤い裏地のレッド・ネックと呼ばれる革ジャンを着たブラック・キャッツのメンバー6人。彼らはスタンディング・ドラム、グレッチのホワイトファルコンという見栄の美学を具現化した楽器を武器にステージに一列に並び演奏する。

ロカビリーバンドの象徴でもあるウッドベースの上に飛び乗り、サーカスバンドさながらに動き回る彼らにアメリカ人は熱狂した。当時のアメリカ人が日本人にどのようなイメージを抱いていたかは不明だが、派手なフィフティーズファッションに身を包んだ、今まで見たことのないリーゼントの東洋人。その強烈なキャラクターは、ミッキーマウスやマイティマウスがスクリーンから飛び出した実写版のように映ったのだろう。

しかし、広大なアメリカ。この熱狂も場所によっては、思わぬ方向に転じることもあった。彼らの楽曲「悲しきテディ・ボーイ」の中の “FUCK YOU” という歌詞が、オーディエンスを激昂させ、ステージに様々な物が投げ込まれるなど、暴動寸前になったことをリーダーでヴォーカルの覚田修氏は後に述懐していた。

それでも動じず、オーディエンスと向き合い圧倒的なパフォーマンスを見せつけたブラック・キャッツは、ゴーゴーズのメンバーとも親交を深め、時にはヴォーカルのベリンダ・カーライルが、オープニングのMCを務めたことがあったという。

それは、ゴーゴーズのメンバーがブラック・キャッツと同じく、結成前には、ブティックの店員だったことも関係しているのかもしれない。どちらのバンドも音楽をファッション、生き方と連動させたスタイルに昇華させていたことが共通していると思う。

ブラック・キャッツは帰国後、すぐにサードアルバムの制作に取り掛かる。そして、82年11月5日、このツアーで得たインスピレーションを真空パックし、ネオロカビリーの最高峰と名高い『HEAT WAVE』をリリース。ひと夏のツアーで、ベリンダ・カーライルと恋に落ちたギターの片桐孝氏が「いとしのベリンダ」という楽曲を遺している。

あなたは82年の夏、何をしていましたか? 

僕は海を渡った日本のロカビリーに恋い焦がれ、アメリカを北上するブラック・キャッツのメンバーに思いを馳せていた。そして、この思いが、今の自分の確固たる価値観の礎になっていることは間違いない。

2017.08.17
29
  YouTube / HEPCAT



BLACKCATS / いとしのベリンダ(Live) 投稿者 tuckn19611105
  Dailymotion / BILLY 


  YouTube / TheGoGosVEVO
 

Information
あなた
Re:mindボタンをクリックするとあなたのボイス(コメント)がサイト内でシェアされマイ年表に保存されます。
カタリベ
1968年生まれ
本田隆
コラムリスト≫
23
1
9
8
2
眩しすぎた西海岸の夏、ゴーゴーズのバケーションはヴェイケイション!?
カタリベ / 太田 秀樹
17
1
9
8
2
先輩からの愛のムチ?ゴーゴーズのトップを阻んだジョーン・ジェット
カタリベ / KARL南澤
21
1
9
8
1
1981年夏、アイスクリーム・エクスプレスとビートを手に入れたゴーゴーズ
カタリベ / 時の旅人
41
1
9
8
3
あくなき反骨精神、マドンナの知られざるパンク・スピリット
カタリベ / 後藤 護
32
1
9
8
3
クリームソーダとピンクドラゴン、洗練されたロカビリースタイルの秘密
カタリベ / inassey
22
1
9
8
4
ロックとパンクの壮大なパロディ、キッチュが売りのフランキーとジグジグ
カタリベ / ジャン・タリメー
Re:minder - リマインダー