2020年 7月15日

森川美穂デビュー35周年、ガールポップシーンをけん引した真の歌姫

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森川美穂のアルバム「VERY BEST SONGS 35」がリリースされた日
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photo:YAMAHA MUSIC COMMUNICATIONS  

80年代から変化していった音楽のリスニングスタイル


週末テレビを見ているとCX系『ミュージックフェア』、NHK『SONGS』と音楽番組に TUBE の出演が目立った。番組を見ていると、どうやら2020年の今年、彼らもデビューから35周年を迎えたということがわかった。稼ぎ時の季節を迎えた彼らも、今年ばかりは恒例の夏の風物詩、甲子園ライブもコロナ禍の影響で断念せざるを得なかったというから、こればかりは何とも残念な巡りあわせという他ない。

ところで、彼ら “も” というからには、僕には思い当たる節があった。それは、同じ1985年にデビューし、現在、大阪を拠点に音楽活動を続けている女性ヴォーカリスト森川美穂のことである。この度、やはり35周年を記念したベストアルバム『VERY BEST SONGS 35』をリリースしたという。ひと口に35年というが、なかなかの年月だ。その間、僕らは彼女の楽曲を追い続けながら、技術革新と共にリスニングスタイルの変化を経験してきた。

僕が最初に彼女のアルバムを手にしたのは、間違いなくLPレコードであったし、我が家からターンテーブルが撤去されても、そのライブラリーはカセットテープに長く保存されていたはずだ。そして時が流れ、スマホにアーカイブにできるようになると、ドライブの定番としてよく聴いていた「ブルーウォーター」は、もう2度とCDで聴くことはないだろう。さらにサブスク配信曲であれば、ファイルのダウンロードすら不要だ。

彼女の初期の代表曲「おんなになあれ」は、幾度となくレコーディングされているが、オリジナルからリマスターのアレンジに至るまで、僕はその違いを即座に聴き比べることだってできる。過去には彼女が所属するレコード会社が変わった際に、とたんに旧譜が入手困難になるというハプニングが生じたことがあるが、ほぼ全曲がアーカイブ化されている今ではありえないことだ。聴く機会が無いまま一時廃盤になってしまったデビューアルバム『多感世代』の収録曲も選べるし、気に入った曲をプレイリストに登録してしまえば、マイ・オリジナルのベストアルバムが編集できるのである。

森川美穂がデビューした1985年のミュージックシーン諸事情


森川美穂がデビューした1985年頃のミュージックシーンを振り返ってみると、松田聖子、中森明菜といった歌い手たちが全盛期を迎えアイドルの域を脱し、ビッグネームとしての地位を盤石にしつつあった。また、ニューミュージックの制作者たちは歌謡曲へ進出し始め、彼らの楽曲を高いレベルで形にしてくれる歌い手を探した。やがて飛鳥涼が森川美穂に出会い、曲を提供することになるが、それはまだ少し先の話になる。

この年のデビュー組の顔ぶれはというと、本田美奈子、渡辺美里、中山美穂、少年隊… あとは、おニャン子クラブ、モモコクラブといった面々である。アイドルの存在が商業主義に傾いてきた頃だったかも知れない。ドラマやバラエティ番組と歌を掛け持ちするアイドルも多かった。本田美奈子が健在だったらわからないが、今も歌い続けているといえるのは、他には渡辺美里ぐらいだろう。35年もの間、歌でステージに立ち続けるというのは、それぐらい難事業なのだと改めて思う。

だが森川美穂はキャリア初期には不本意な形でのデビューを経験している。数多くのコンテストやオーディションに出場して、プロとなるチャンスをうかがってきた彼女は、ヤマハが当時『ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)』に続く新たな音楽の登竜門として開始した『ヤマハ・ボーカルオーディション ザ・デビュー』を経て、そのまま主催社との契約に至った実力派だ。どちらかといえばアーティスト志向が強かったが、契約するレコード会社の方針でアイドル路線で売り出されたという。

おそらく当時の業界的な背景が影響したのだろう。彼女が最初に所属することになったレコード会社のバップは、前年に菊池桃子のデビューを成功させて勢いに乗っていた。しかし、日本テレビ系列の同社としては、フジテレビ系列でおニャン子クラブを擁するキャニオン・レコード(現・ポニーキャニオン)に対抗する必要もあった。求められたのは派手な振り付けで歌うアイドルではなく、きちんと歌を歌える清純派の女子高生キャラクターだった。

ヴォーカリストとしての方向性が見えた「おんなになあれ」


デビュー曲「教室」は、1985年7月21日、そうしたイメージ戦略に則ってリリースされたが、結果的に彼女のパーソナリティにはフィットしなかった。これはあくまで僕らの世代的な事情でしかないが、アイドルとして売り出された彼女については、ファンであることを言い出しにくい雰囲気があった。そろそろアイドルにうつつを抜かす年でもないだろうと感じていたから、結果的に彼女のアイドル路線は僕らにもハマらなかった。そういった存在とは距離を置き始めたから「会員番号、何番がいい?」とか適当にお茶を濁して、周囲と話を合わせる方がよかった。ちょうど、“オタク” カルチャーが蔓延し始めた頃で、僕らの中でも “アイドルオタク” を小バカにするような風潮があったからだ。

彼女の雰囲気がガラっと変わった感じがしたのは4枚目のシングル「姫様ズーム・イン」からだろうか。ミノルタカメラとの大型のCMタイアップだったから耳にすることも多く、何よりタガが外れたように溌溂と歌う彼女に、その後の可能性が見えたような気がした。清純派というにはかなり問題があるテーマだが、不思議と彼女が歌い飛ばすといやらしさを感じないことに気づかされたのだ。

こうした経緯を経て、彼女は自身でもキャリアのターニングポイントに挙げている楽曲「おんなになあれ」と出会う。彼女に飛鳥を引き合わせたのは所属事務所であるヤマハだ。幅広い声域と声量を求められるこの楽曲をヒットさせたことで、彼女のヴォーカリストとしての方向性が見えてきた。どんな楽曲も全力で歌い、元気をくれる。各地の学園祭に呼ばれ一時期は “学園祭の女王” と呼ばれたこともある。もはや彼女のファンであることを公言することには、何のためらいもなくなっていた。

ガールポップのシーンをけん引、最大のヒット「ブルーウォーター」


80年代後半からは、女性シンガーの人材が枯渇していった時期だったように思える。おニャン子達がヒットチャートを席巻し、歌番組が消え、兼業アイドルたちがドラマに重きを置くようになると、80年代前半のようにスターを育成できなかったツケが回ってくる。クリエイターたちには、もっとパフォーマーが必要だった。その供給源になったのは、異業種参入とバンドブームだ。担い手となったのは、元モデルや女優、ガールズバンドやそこから独立したメンバー達と、森川美穂らシンガーとして成長を果たしアイドルを脱した者たちだ。

年号が平成に変わり、J-POPという概念が次第に浸透し始めると、アイドル的なルックスを兼ね備えながら、あくまで音楽的なアプローチで同性のファンも獲得していく… この出自もバラバラな彼女たちのことをカテゴライズした概念が登場する。それが、同名の雑誌を創刊したソニーマガジンズ提唱のムーブメント、“GiRL POP” だ。ちなみに、この “i” のみ小文字というのが正式な表記ということである。

森川美穂は自らの信条に従って歌い続けてきたが、やがて時代の方が彼女を捉えようとしていた。90年代に入り心機一転、レコード会社を移籍した第1弾シングルは、NHKのアニメ『ふしぎの海のナディア』の主題歌「ブルーウォーター」だった。当初は「アニメなんて…」と難色を示したという事だったが、既にアニメ市場は「キャッツ・アイ」や「シティーハンター」などの例が示す通り、プロモーション効果を見込んだアーティスト達の草刈り場となっていた。この曲は彼女にとって最大のヒットとなり、続くアルバム『Vocalization』も立て続けに上位にチャートイン。まさにガールポップのけん引役として相応しい活躍を見せていたのである。

デビューから35年、森川美穂の歌は人生のエール


ガールポップの概念はその後もしばらく継承されたが、やがて大きなムーブメントは去って形骸化していった。J-POPの主導権は再び制作者たちの手に委ねられていく。ビーイング系、エイベックス系のレーベルが台頭し、特定のクリエーターたちによって引き起こされたブームに集約されていく。タイアップ全盛で音楽は大量消費され、マーケットは拡大していったが、むしろ多様性は失われていった時代だ。ピュアなヴォーカリスト達にとっては、存在感を示すのが難しい時代に変わっていったように思う。

森川美穂にとっての90年代は序盤から大きく飛躍し、中盤以降は、その成功を礎にしてやりたいことにチャレンジできた時期であったかも知れない。ミュージカルにも活躍の場を広げ、新たなジャンルにも挑む意欲的なアルバム制作やライブ活動を続けていった。やがて家庭を持ち、2000年以降も活動のペースを落としながらも音楽を続け、定期的にステージに立っては、必ずファンの前に元気な姿を見せ続けてくれている。また様々な創作活動の成果と豊富な経験は、彼女が指導者として大学で教鞭をとる上で大いに生かされているに違いない。

昨年リリースされた松井五郎プロデュースのカバーアルバム『another Face - tribute to Goro Matsui + Koji Tamaki -』は安全地帯・玉置浩二へのトリビュートアルバムだ。あの吐息のような声色のナンバーの数々を、全力投球を身上とする彼女がどう表現するのかと勝手にイメージを膨らませたが、聴けばそれは今の森川美穂そのものだったように感じられた。彼女は自分の解釈と声で自分の愛するナンバーを表現したに過ぎない。彼女の歌にはどんな楽曲も自分の元に引き寄せてしまう力がある。1ミリでも原曲らしさを期待した自分の過ちに気づき、トリビュートアルバムとはどういうものかを思い知らされた気がした。

彼女のデビュー以来の歩みは、僕らが社会人として歩んできた半生と重なる。勢いに乗って攻めた時もあれば、防戦一方だった時期もある。20代の頃と変わらない全力投球の歌には、今でも元気をもらえる。実は僕らの方にこそ、森川美穂をトリビュートしたい気持ちがあるのだ。それを歌って返すことなどできるはずもいないが、リスナーとして今も彼女の歌を必要とすることで役割を果たせるなら、きっとそれが一番いい方法に違いない。

2020.07.22
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  YouTube / 森川美穂
 

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1975年生まれ
はやしとも
VAP時代
東芝移籍直後も文句なしの森川美穂
でも1995年リリースの「Close Your Eyes」が収録され無かったのは残念で仕方ありません。
テレビタイアップもついてたノリノリなユーロビートに森川美穂のヴォーカルが乗るともうテンション上がる名曲なんですけど。。。。。

でもオリジナル音源でここまでのベストはありがたいですね!

「Domino」カラオケに入れて欲しいのでこの機会にこのベスト全曲カラオケに入れて欲しいです!
2020/07/22 15:58
3
返信
カタリベ
1965年生まれ
goo_chan
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