タクシー。それは公共の場で最も「プライベート」な場所なのかもしれない。
例えば終電を無くした深夜。手を上げて乗ったタクシーの運転手は、もちろん知らない赤の他人。そんな運転手に目的地を告げてのドライブ。誰かと乗ったなら運転手が「耳をそばだてて」いないか気にしてしまう。そしてもし運転手と二人きりなら沈黙がズシリと重く感じる。
近所の美味しいラーメン屋さんを訊いたりしてそれをやり過ごすこともあるし、深夜なのに滔々と語り続けるベテラン運転手さんもいる。そして大抵、タクシーの運転手の話は面白かったりするのだ。
ジャームッシュが91年に発表した『ナイト・オン・ザ・プラネット』は、つまりそういう話なのだ。舞台はロサンゼルス・ニューヨーク・パリ・ローマ・ヘルシンキの五つの都市。自転によって太陽と反対方向を向いている地球の「夜側」を走るタクシーの車内模様を、ジャームッシュはオムニバス形式で丁寧に描いていく。
…… 夜。それは昼の労働に疲れた人たちが憩う時である。疲れた心から、ついホンネが表れてしまうこともしばしば。赤の他人のタクシー運転手には話してもいいかなどと思い、口を滑らせることもあるだろう。そしてそのような客には、運転手も上手く話を合わせてくれたりする。
しかし、ジャームッシュの映画ではそうはいかない。何しろ一癖も二癖もある運転手ばかりなのだから。素晴らしく美しいウィノナ・ライダーが演じるロサンゼルスのボーイッシュなタクシー運転手は、チューインガムを噛みながらラッキーストライクを常に吸っている。
ニューヨークではもっとひどい。東独・ドレスデンから来た英語も不自由な男は、タクシードライバーにもかかわらずオートマ車を「運転できない」のだ! ローマの運転手は、一方通行の道を逆走し心臓の悪い神父にとんでもない懺悔をし続ける……。ジャームッシュの描く夜は、日の当たる昼間より興味深いことで溢れているようだ。
タクシーという極めて狭い空間で、登場人物は多くて4人。しかし、その中で語られる物語は一際胸を打つものばかりだ。タクシーの車内というミニマムな空間を「夜」という地球規模のスケールでくくり上げ、日没から夜明けまでを一つの作品に。監督の発想は見事としか言いようがない。
声高な政治や理想の恋愛論などいらない。プライベートの小さなエピソードこそ、地球を回しているのだとでもジャームッシュが言っているようにも感じてしまう。それは「わびさび」といった言葉で表せられるかもしれない情緒だ。
ユーモアとペーソスに満ちたこの映画の極め付けは、ラストに流れるこの上なく暖かいトム・ウェイツの「バック・イン・ザ・グッド・オールド・ワールド」だ。僕はいつもこのシーンで涙してしまう。
「酔いどれ詩人」のウェイツが全編にわたって音楽を担当したこの作品には、しっかり彼の歌う「郷愁」と「哀愁」の印が押されている。そして「地球規模のロードムービー」とも呼べそうなこの映画は、夜の孤独をそっと包み込んでくれる作品なのだ。
2017.08.09
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