遊佐未森のデビュー前、遊佐にくっついてきた妙な男… 方針検討過程にことごとく口を出し、態度はおだやかながら、上質の米を丁寧に搗き上げた餅のごとき粘り腰で、自説を主張して引かない外間隆史くんは、歌詞もいくつか持ち込んできたのですが、私はそれらを気に入らず、ダメ出しを続けていたのでした。
そんな外間くんが、ある日自作曲のデモテープを持ってきた。それまで曲を作れるなんておくびにも出さなかったことは既に述べました。不思議なヤツだと思いながら、テープを再生してみると… 意外や意外、私の心の琴線が、チリンと音を立てました。衝撃的でした。身体の中が幸福感で満ちていくのを感じました。いい音楽を聴いた時の、私に起こる反応です。
記憶の中では、それは、「地図をください」という詞がついて、2ndアルバムに収録されることになる曲。私は初めて彼に褒め言葉を使いました。すると彼は、続いて、「瞳水晶」や「Happy Shoes」を作ってきて、私を狂喜させました。
曲は既に集め始めていて、アルバム全体のアレンジをお願いすることになった成田忍くん、松尾清憲さん、“くじら” のキオトくん、後に “東京バナナボーイズ” というユニットで CM 音楽などで活躍する近藤由紀夫くん、太田裕美と、様々な人たちから提供してもらっていましたが、遊佐未森という新人をアピールするための、新鮮で希望に満ちた音楽性、詞は工藤順子さんでいいとして、曲がまだ足りないと感じていました。
灯台下暗し。こんな近くにいました。楽器ができるわけでもなく、コードも少ししか知らず、4分音符が何かも分からない男が、生まれて初めて作った曲がこれ。新鮮で希望に満ちているどころか、それしかない天才作曲家が、突然目の前に降臨したのです。
大げさに書いているんだろう、と思われるかもしれません。私ももし、人がこんなふうに書いていたら、“話半分” と受け取るでしょう。だけど事実はこの通り、何の誇張もありません。
これは後に外間くん自身が語ってくれたことなのですが、頭の中に、メロディだけではなくサウンド全体が、それを構成する個々の音の音程・音量・音色など細部に至るまで、鳴り響いたのだそうです。その鳴っている音をシンセで探して形にしたのが彼のデモテープというわけです。これはつまり、アレンジもでき上がっているということ。
1stアルバム『瞳水晶』は成田忍くんがアレンジャーとしてがんばってくれたのですが、外間くんが、自作の曲については、細かいところまでこだわり抜き、思い通りでないと承知しないので、なかなか進まないという場面が屡々ありました。頭の中に鳴っている音と違えば、それは納得できないでしょう。それを自分では出せないのでもどかしかったでしょう。
こうして、遊佐がデビューするころには、私の中で、“妙な男” から “天才クリエイター” にまで、蝶のように華麗な変態を遂げた外間隆史くんは、2ndアルバム『空耳の丘』からは、中心となって、遊佐未森ワールドをプロデュースしていくことになります。
2019.02.12
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