12月5日

sus4イントロの源流を探る旅、ストーンズ、ビリー・ジョエル、アリス…

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さて、「sus4話」をまだ続けます。前回、「沢田研二『TOKIO』のイントロは、セックス・ピストルズ『アナーキー・イン・ザ・U.K.』(1976年)の2回目の間奏から影響を受けているのではないか」と書きました。

しかし、『アナーキー・イン・ザ・U.K.』だけでは、同80年の「sus4イントロ」ラッシュ=渡辺真知子『唇よ、熱く君を語れ』、太田裕美『南風 - SOUTH WIND -』、松田聖子『青い珊瑚礁』までの説明には至らないとも、思っていました。

そこで今回は、一大歴史絵巻=「sus4イントロの歴史」をご紹介したいと思います。ツイッターなどで、「sus4イントロ」同好の士(?)の方々から、たくさんの助言をいただきました。ありがとうございます。

まずは、やはりビートルズです。『ア・ハード・デイズ・ナイト』(64年)のあの「♪ジャーン」が、「sus4イントロ」史が始まる号砲です。あの音の響きは、様々な研究家によって研究されていますが、基本的には「Gsus4」の響きにかなり近いものです。

そして本格的な「sus4イントロ」の世界初・第一号が、ママス&パパス『マンデー・マンデー』(66年)の「♪パ・ラー・パー・ララ・ッラ」。機を見るに敏な浜口庫之助が2年後に、このイントロの影響の下、島倉千代子『愛のさざなみ』(68年)を作ります。これがおそらく、日本初の「sus4イントロ」。

『マンデー・マンデー』が「アメリカ版・sus4イントロ」の始祖なら、イギリス版は、フリーの『オール・ライト・ナウ』が始祖となります。ただしこのイントロは、厳密には、「sus4」ではなく、サブドミナント(キーAに対するD)を使っています。その流れをくむのが、ロッド・スチュワートがボーカルのイギリスのバンド=フェイセズによる翌年の『ステイ・ウィズ・ミー』ですが、「イギリス版・sus4イントロ」はこの程度で終わり、大きなうねりにはなりませんでした。

ここで「sus4イントロ」の特大ヒットが生まれます。71年のローリング・ストーンズ『ブラウン・シュガー』です。ストーンズということは、額面上はイギリス版ということになりますが、響きも、ブリティッシュブルース臭の強い『オール・ライト・ナウ』とは異なる、アメリカ的な軽快な感じですし、事実、アメリカでも大ヒットしたので、のちのクイーン『愛という名の欲望(Crazy Little Thing Called Love)』同様、「アメリカ版」と区分けする必要はないと考えます。

しかし、日本の音楽シーンに「sus4イントロ」が広まるきっかけとしては、実は、これらの曲よりも、自国日本の曲の方が、大きかったのではないでしょうか。それは75年のアリス『今はもうだれも』、76年の風『ささやかなこの人生』、78年のアリス『涙の誓い』、世良公則&ツイスト『宿無し』などです。特にアリス『今はもうだれも』のイントロは、sus4の快感を日本に広く知らしめたという意味で、「sus4イントロの歴史」上、とても重要なものとなるでしょう。

日本における「ザ・sus4バンド」がアリスだったとしたら、アメリカのそれはボストンです。彼らの大ヒット=『宇宙の彼方へ(More Than A Feeling)』(76年)と『ドント・ルック・バック』(78年)は、両方とも「sus4イントロ」。「sus4イントロ=軽快でアメリカンな感じ」という図式は、ボストンによって確立されたと思われます。

そして、「アメリカ版・sus4イントロ」の決定打が、78年のビリー・ジョエル『マイ・ライフ』。加えて、その二の矢として、ドゥービー・ブラザーズ『ホワット・ア・フール・ビリーヴス』(78年)が追い打ちをかけます。『唇よ、熱く君を語れ』『南風 - SOUTH WIND -』『青い珊瑚礁』に加えて、79年の浜田省吾『風を感じて』などの元ネタは、おそらくこのあたり。

ちなみに79年には、アコースティックギターの美しい「sus4イントロ」が鳴り響く、クイーンの『愛という名の欲望』がリリースされますが、これもアメリカ市場を意識した音作りで、アメリカでも大ヒットしたので、『ブラウン・シュガー』同様、アメリカ版と別個にしなくていいでしょう。

という流れが、一大歴史絵巻=「sus4イントロの歴史」になります。まとめると、

①「sus4イントロ」は、基本的にアメリカ発のものである(『ブラウン・シュガー』『愛という名の欲望(Crazy Little Thing Called Love)』も含む)。

②世界初の「sus4イントロ」は、ママス&パパス『マンデー・マンデー』で、日本初は、島倉千代子『愛のさざなみ』。

③日本における80年(以降)の「sus4イントロブーム」には、『マイ・ライフ』や『ホワット・ア・フール・ビリーヴス』、そしてボストンのヒット曲などが、強く影響している。

④アリスの『今はもうだれも』や『涙の誓い』、『宿無し』などの、「from日本to日本」の影響も見逃せない。

⑤『アナーキー・イン・ザ・U.K.』発と思われる、沢田研二『TOKIO』のイントロは、「sus4イントロの歴史」上は亜流。

こうして、80年前後に、浜田省吾『風を感じて』、渡辺真知子『唇よ、熱く君を語れ』、太田裕美『南風 - SOUTH WIND -』、松田聖子『青い珊瑚礁』などの「sus4イントロ」が量産され、その後、ビートたけし『OK! マリアンヌ』、吉川晃司『モニカ』、アースシェイカー『ラジオ・マジック』、松任谷由実『青春のリグレット』、うしろゆびさされ組『渚の「・・・・・」』、小泉今日子『学園天国』につながっていきます。

今後、さらにこの歴史を精緻化していきたいと思っています。情報お待ちしております。

2018.02.03
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1962年生まれ
るりっぺ
そうか、ワタシってSUS4が好きだったのね〜 ってわかるまでに40年かかってしまったw
2018/02/05 00:14
3
返信
1966年生まれ
スージー鈴木
【宣伝】リマインダー新ネタ入りました。ミとファを使った「sus4イントロ」の歴史を研究してみました。恐らく世界初の論文です。他の人には書けません。てか、バカバカしくって、他の人は研究しようとしないでしょう。
2018/02/03 09:11
3
返信
カタリベ
1966年生まれ
スージー鈴木
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