最高傑作の有力候補「afropia」に集ったオールスター
1991年5月、小泉今日子の最大のヒット曲「あなたに会えてよかった」がリリースされた。自身の主演ドラマ『パパとなっちゃん』の主題歌となった本曲は、当時桑田佳祐~サザンオールスターズ作品への参加で知名度を高めていた小林武史が作編曲を担当。藤原ヒロシ、屋敷豪太らクラブミュージック方面の音楽家を起用した冒険作『No.17』から一転、彼女のアイドル的な側面を1990年代型の “J-POP” として表したような、明快なポップソングに仕上がっている。
(『No.17』の音楽性については、
『時代の一歩先をゆく小泉今日子、藤原ヒロシや屋敷豪太が参加した冒険作「No.17」』を参照いただきたい)
本曲を収録したオリジナルアルバム『afropia』は「1980年代から日本のメインストリームの音楽シーンに携わってきた音楽家」と「当時のクラブミュージックなどの “新しい” 表現方法に精通した音楽家」の双方が制作陣に名を連ねている。前者の例としては関口和之(サザンオールスターズ)や藤井尚之(チェッカーズ)など、後者の例では朝本浩文・藤原ヒロシ・EBBY(JAGATARA)らが挙げられる。
こうした豪華かつ非常に珍しい座組みのもと、彼女は前作『No.17』に引き続き様々な音楽性にトライしつつ、ポップミュージックとしての魅力も前作以上の水準で両立している。その上、前述の通りキャリア最大のヒット曲をも収録している本作は、彼女の全ディスコグラフィー中でも “最高傑作” の有力候補のひとつだろう。
小泉今日子のクールな自己認識? キャリアの頂点で歌った「なんてったってアイドル」
1980~90年代にかけて小泉のディレクターを務めた田村充義は、彼女の音楽面での先鋭的な取り組みには常に肯定的であった。1980年代末の小泉はドラマでの活躍のみならず “CM女王” としての側面もあったため、“面白いこと・新しいことをやる人” というイメージがついていたから―― というのがその理由である。
加えて、当時の彼女は東京FMの冠番組『KOIZUMI IN MOTION』(1988~92年)で近田春夫、藤原ヒロシ、高城剛、川勝正幸ら、時代を彩るクリエイターたちと次々に接近。彼女の音楽性がアルバムごとに大きく変化していくのも、ある意味では必然だったように思える。
なお当時、本作の発売記念ライブ『Kyoko Koizumi afropia night '91』が日清パワーステーションで開催されているが、その際アンコールで披露されたのは「なんてったってアイドル」であった。発売当時も “アイドル” という自身のポジションをメタ的に表現した歌詞が話題となった本曲。メインストリームとアンダーグラウンド、あらゆる気鋭の人物たちを引き寄せ続けたキャリアの頂点のようなアルバム『afropia』のイベントで、同作の収録曲でなく、あえてこの曲をアンコールに選んでいる所からも、彼女のあくまでクールな自己認識が垣間見える。
オールスター・アルバム「afropia」が放つ、小泉今日子のキャリア随一の存在感
小泉は本作以降も、シングルでは「優しい雨」(1993年)などの “J-POP” 的な楽曲でヒットを飛ばしつつ、アルバムではピチカート・ファイヴや小山田圭吾ら “渋谷系” 周辺人脈を起用した『BANBINATER』(1992年)、小滝満(“戸川純とヤプーズ” ほか)や高木完らとの『TRAVEL ROCK』(1993年)などのマニアックな充実作を次々とリリースしていく。
『afropia』は、一枚のアルバムとしての統一感では、上記の作品や過去の『KOIZUMI IN THE HOUSE』(1989年)らに譲る部分もあるかもしれない。しかし、一枚のアルバムに様々な属性を持つメンバーを結集させた上、そうした “オールスター” の楽曲が絶妙なバランスでまとめられている点で、本作の存在感は一段上のものに思える。加えて、多数のテレビ出演やヒットチャートでの好成績など、彼女の芸能界における存在感がキャリア屈指に達した瞬間を切り取ったドキュメントとして、本作の魅力はこの先も色褪せないだろう。
【参考:アンビエント / ニューエイジ / バレアリックとしての小泉今日子】
小泉今日子のアンビエント / ニューエイジ / バレアリック方面の楽曲をまとめたプレイリストを、彼女の音楽的冒険を知っていただくための補足としてリマインダーのコラムページ下部に紹介。彼女がハウスミュージックをいち早く取り入れたことは広く知られているものの、こうした静的な音楽性の方面での再評価はまだまだ足りないと感じる。ぜひ本稿と併せてチェックしてみてほしい。
40周年☆小泉今日子!
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2022.03.20