「Still Waters Run Deep」(深い川は静かに流れる)ということわざがある。「能ある鷹は爪隠す」がこれに近い意味らしいが、マイペースで泰然自若としたさまを現しているようでもある。醸し出す字面の格好よさも相まって、僕が好きなことわざのひとつである。 そんな「Still Waters Run Deep」を地で行くような活動を80年代から現在に至るまで続けているひとりのアーティストを今回は取り上げてみたい。彼の名は「KAN」である。 九州は福岡出身の KAN(本名:木村 和)は1987年4月25日、シングル「テレビの中に」及び同名のアルバムでデビューを果たした。やはり、世間的には彼の代名詞と言えば、1990年にリリースした「愛は勝つ」であろう。 力強いピアノによるイントロと、単純明快で振り切った歌詞が印象的なこの曲を初めてラジオで聴いた時、「あっ! 90年代が来た!!」と直感したことを覚えている。不思議なもので、80年代の時に抱いていた、来るべき90年代の無機質でデジタルなイメージとは真逆のような、この「愛は勝つ」のメロディから90年代の到来を、僕は肌で感じたのだ。 この「愛は勝つ」であるが、KAN 本人は、ベストアルバム『IDEAS』に添付したブックレットの自主全曲解説で次のように記している。 『私の存在を広く認知していただくキッカケとなったいろんな意味で重要な楽曲は、着想から作曲・編曲まで83年の Billy Joel 作品「Uptown Girl」を明確な目標にし、できあがってみたらベートーベン的王道メロディに仕上がったストレートなロックナンバー』 KAN は優れたメロディメーカーであるが、本人も記述しているとおり、彼の楽曲からはビリー・ジョエルであったり、ポール・マッカートニー、スティーヴィー・ワンダーの影響が端々で垣間見られる。そうかと思うと、これまた彼が好むマイケル・ジャクソン等々、崇拝するアーティストが憑依してしまったかのような一面を見せてくれる楽曲も幾つかある。 このように、彼なりの豊かなインプットに基づいた自由なアウトプットで、いつも聴く者を楽しませてくれる KAN であるが、そんな彼を、変幻自在とかエキセントリックという形容詞で表現するのはちょっと違う気がする。むしろ、実から食べても皮から食べても、KAN の歌は一貫して、いつも食べ慣れた「KAN の味」である。食べるといつもと変わらぬ秘伝の味に安心する。 KAN の味… その成分の多くは優しさから出来ていると思う。 音楽を料理になぞらえたら、人それぞれ好みの味があって然るべきと思うが、ちょっと引っ込み思案で奥手な人生を送ってきた僕には、不良で粋がった荒々しい味よりも、KAN のちょっと善良で実直な優しい味がしっくりきた。 ここでは、その味の秘密を紐解くにあたり、「ピーナッツ」という曲の歌詞に注目してみたい。寄り添っていた二人をピーナッツに例え、失恋して一人殻の中に残された「ぼく」が途方に暮れている様子を歌っている、そんな切ない失恋ソングだ。 小学校 歩道橋 郵便局 中古車センター 歩いても立ち止まっても 君思い出してシンとする 曲調は70年代初期のポール・マッカートニー、或いはギルバート・オサリバンを彷彿とさせるような穏やかでノスタルジックなものなのだが、僕は、この何気ない風景の切りとり方に、現代の「侘び・寂び」を感じる。こんな風景の切りとり方は、あとは、ドラえもんに会えなくなった時ののび太くんくらいにしかできないんじゃないだろうか。 何か急に変なことを書いているようだけど、KAN の歌詞や声が醸し出す優しさや、ちょっと不器用な所、時としてロックな正義感だったりは、のび太君が生まれ持ったパーソナリティと根底で通じる部分があるのでは? とも、密かに思っている。 天気のいい日には自転車に乗ろうよ ぼくのほうが少し速いけど 別に君を おいこしたりはしない 君の髪が風にゆれるのを 見ながら走るのが好きだから これは、「プロポーズ」の一節。スティーヴィー・ワンダーの「Overjoyed」を思い起こさせる優しいメロディに包まれた、どこまでも優しいこの歌詞、もしも大人になったのび太くんが、しずかちゃんを妄想するラブソングを作ったら、こんな歌詞を書くかもなあ、と少しニヤっとしてしまうのだ。 最後に、僕が特に好きな「小羊」という曲を紹介したい。 確かに少々あせりはあるものの 人生は死ぬまでまだゆっくりある 幸運なことに僕にはきみがいる It’s OK I’m OK 問題はない この曲も先述した「ピーナッツ」同様、比較的最近の曲である。ピアノ・16分音符を基調とした美しい曲だけれども、シリアスで張り詰めたこの歌詞は、40代半ばを迎えた僕の心を代弁する『40代の地図』といった鳴り響き方をして胸に迫る。静かで美しい曲調とは裏腹に、この曲で歌われている内容そのものが、今の僕にとっての等身大のロックンロールにも思える。 その言葉は、まるで深く静かに流れる川のように、しんしんと心に染み入ってくる。 今年でデビュー32周年を迎え、現在、齢56と円熟期に突入しているKANは、Mr.Children の桜井和寿や aiko、平井堅といった多くのアーティストからのリスペクトを集めていることでも知られる。そんな彼はまさに、「J - POP界の盲点に君臨する男」と呼ぶに相応しい。今回取り上げた曲をはじめとする彼の多くの佳曲群が、「愛は勝つ」と同様に、この先さらに多くの人々の耳に届くことを僕は願ってやまない。歌詞引用: ピーナッツ / KAN プロポーズ / KAN 小羊 / KAN
2019.04.25
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YouTube / Billy Joel
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