10月2日

1986年12月21日 — 武道館を包む、渡辺美里の向こう見ずでまっすぐな声

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photo:SonyMusic  

僕が渡辺美里の名前を知った時、彼女はまだ19歳だった。まぁ、僕は15歳だったわけだが。でも、結局のところ、10代であることが重要だったのだろう。

あれは「My Revolution」が出る少し前で、友達が僕に聴かせたのは「GROWIN' UP」だった。まるで歌が弾けて飛び出してくるみたいに感じた。「セックス・ピストルズや U2 が好きらしいよ」そう友達が言ったのは、洋楽ばかり聴いていた僕に、少しでも興味を持たせようとしたからだと思う。

なんであれ、こうして僕は渡辺美里の名前を覚えた。

ある夜、ラジオのスイッチを入れると、レオン・ラッセルの「ソング・フォー・ユー」が流れてきた。大好きな歌だった。曲が終わると、パーソナリティーの女性が「電気がビリビリッてきますよね」と興奮気味に言った。それが渡辺美里だった。以来、僕は折に触れて彼女の番組を聴くようになった。

番組では彼女自身の歌もよくかかった。僕は「eyes」という曲が好きだった。「目覚まし時計が鳴るまで待てない」という歌い出しや、「固い歯ブラシの あの痛さが好き」といった日常的なフレーズが素敵で、曲のテンポも、彼女の声も、あの頃の自分と無理なく重ね合わせることができた。

僕はレンタルレコード店でその曲が入ったファーストアルバム『eyes』を借りてきた。ボーイッシュな女の子が髪にハサミを入れられているジャケット。澱みないまっすぐな眼差しが、彼女の歌と同じだと思った。

そして『eyes』をテープに録音し、繰り返し聴いた。洋楽以外のアルバムを聴くこと自体が珍しかったから、なんだか気恥ずかしくて、しばらくは隠れてこっそり聴いていた。その頃には「My Revolution」が大ヒットし、渡辺美里はその年でもっとも注目されるアーティストのひとりになっていた。

周りにも熱心なファンが何人かいたし、夏には西武球場で大きなライヴが開催されるなど、とてもデビュー2年目とは思えない熱気が当時の彼女からは感じられた。

夏には早くもセカンドアルバム『Lovin' you』が、2枚組というボリュームでリリースされた。友達がテープに録音してくれたのでそれなりに聴いたが、もうひとつしっくりこなかった。いい曲もあったし、音もまとまっていたけれど、こなれているというか、『eyes』にあった向こう見ずな感性が失われてしまったような気がした。

季節が秋から冬へと変わろうとしていた頃、一通の郵便が家に届いた。TBS が開局35周年記念として日本武道館で開催する「アニバーサリーロックフェスティバル」のペアチケットが抽選で当たったのだ。出演は、白井貴子、岡村靖幸、TM NETWORK、そして渡辺美里。

1986年12月21日、僕は渡辺美里ファンの友達を誘って日本武道館に向かった。その日は日曜日で学校がなかったから、友達も僕も制服じゃなかった。友達が濃い色のネクタイをしていたのを覚えている。

既にライヴハウスの女王と呼ばれていた白井貴子は別としても、岡村靖幸は数週間前にデビューしたばかりの新人で、この日が初めての本格的なライヴだった。TM NETWORK も「Come on Let's Dance」のスマッシュヒットでようやく名前が知られ出した頃のブレイク前夜。でも、岡村靖幸も小室哲哉も、『eyes』や『Lovin' You』にたくさんの曲を提供していたので、彼らの名前だけは知っていた。

ライヴは、白井貴子、岡村靖幸、TM NETWORK の順番で進んでいった。だが、正直なところ、熱気に溢れていたとは言いがたい。出演者の知名度がまだ十分ではなかったせいもあるのだろう。でも、僕が気になったのは、一様にヴォーカルが聴こえにくかったことだ。バンドの音にかき消されて、歌詞がよく聴き取れない。「やっぱり日本人は声が細いんだな」とぼんやり思ったのを覚えている。

そのライヴのトリが渡辺美里だった。彼女がステージに登場すると、会場の雰囲気が一変した。ボルテージが上がり、熱気が武道館全体を包み込んでいくのがわかった。

ドラムがカウントをとると、ほとんどノンイントロで渡辺美里は歌い出した。「悲しき願い (Here&There)」だった。まるで歌が目の前に押し寄せてくるみたいだった。さっきまでのストレスが嘘のように、歌詞が明瞭に耳に飛び込んでくる。その圧倒的な声量に僕は文字通りのけぞった。隣りに目をやると友達が雄叫びを上げている。そして、気がつけば僕も大きな声を出していた。

このまっすぐさなのだ。僕の胸を打ったのは、この向こう見ずな声だったのだ。

あとは何を歌ったのかは忘れてしまった。友達と興奮気味に話した帰り道とか、家に着いてすぐ『Lovin' You』を聴いたことくらいしか覚えていない。ただ、あの時の火照るような空気だけは、今も思い出すことができる。

でも、このライヴの後、僕は渡辺美里を聴かなくなった。高揚と共に何かが去ってしまったかのように。『eyes』と『Lovin' You』のテープも、他のレコードを録音して消してしまった。どうしてなのかはわからないが、10代の日々とはそういうものなのだろう。

あのライヴの時、渡辺美里は20歳になっていた。僕はまだ16歳だった。ただそれだけのことなのかもしれない。

2018.12.21
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カタリベ
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