歌手・松本伊代の高いポテンシャル
松本伊代は歌手として過小評価されすぎている――。
筆者がかねてから抱えている不満である。おそらく世間一般の認識は「ちょっと変わった声で歌う元アイドル」あるいは「『センチメンタル・ジャーニー』ばかり歌っている人」といったところだろう。近年はバラエティ番組で見せる天然キャラや、夫君・ヒロミとの“理想の夫婦”ぶりが定着したこともあり、歌手としてのイメージが薄らいでいることも一因かもしれない。
アイドルらしからぬ鼻にかかったアルトヴォイスや、サードシングル「TVの国からキラキラ」(1982年)に代表されるノベルティソングのイメージが強烈すぎたせいか、過小評価はデビューした頃から彼女につきまとっていた。が、その反面、『よい子の歌謡曲』などのミニコミ誌では “ヴォーカリストとしての個性” と “どのカテゴリーにも属さない独自路線” が評価されていた。筆者も全く同意見だが、それが一部好事家にとどまっている現状が歯がゆくてならない。
縁あって筆者は2009年より、松本伊代のリイシュー企画や周年プロジェクトに参加している。その中で、歴代ディレクター(飯田久彦~川原伸司~東良睦孝~野澤孝智)や関係者(元所属事務所社長の高杉敬二、キャプテンの北澤清子と山本恵子)、メインアレンジャー(鷺巣詩郎、船山基紀)の各氏に話を聞く機会に恵まれ、その都度リリースされた新曲のレコーディングにも立ち会ってきた。それらを通じて確信したのは、歌手・松本伊代のポテンシャルの高さ。決してスタッフの身びいきではない。
筒美京平が見抜いた松本伊代の魅力
松本伊代本人は謙遜するが、プロジェクトに関わった人物が異口同音に証言するのは彼女の「声の良さ」。のちにSMAPなどでヒットを連発する音楽プロデューサーの野澤孝智は「伊代は表現力が豊かだし説得力もある。しかもすごく器用。人によっては最初に歌ったときの到達点が100点中10点くらいの場合もあるけど、彼女は1回目で成立するくらい到達点が高い。あとは微修正するくらいで済んじゃうんです。だからレコーディングには全く苦労しませんでした」(2009年『SWEET 16 BOX』ライナーノーツより)と絶賛している。
その魅力はかの名匠・筒美京平も見抜いていたようで、2004年リリースの『松本伊代BOX』に以下のコメントを寄せている。少々長いが全文を引用しよう(原文ママ)。
はっきり言って美声ではないが、実にユニークな響きのある声、
ちょっと甘えっぽく、少年的でもある伊代さんの声が私は大好きです。
「真夏の出来事」を唄った平山三紀の低くブツブツ切れる様な声、少年時代の
郷ひろみの妙に鼻に抜ける声と共に、私の好きな三大ヴォイスのひとつです。
アイドル歌謡と言われるジャンルの仕事をしていてとても勉強になるのは、
その人が日に日に成長して行く様子をまのあたりに見ることが出来る事です。
歌について言えば、音域は広くなって行くし、音程は正確になって来るし、
表現の幅もどんどん広がるし、また、顔も会う度に綺麗になって、
写真撮りは良くなるし、喋り方も知らない間に、みるみる自信に溢れて、
ひとつの個性がはっきり形成されて来るのを見るのは、とても気持ち良く、嬉しいものです。
そうして完成されて行く姿を見るとスタッフとして安堵にも似た満足感に浸るわけですが、
私としては、デビューから1、2年位迄の歌がやはり一番好きです。
下手でも、精一杯、無心になって歌に取り組んで行く感じが、ヒシヒシと伝わって来るからです。
もうお母さんになった伊代さんを時々TVで見かけたりすると、すぐに私の心の中では
“なぁにかに、さっそわァーれてェー”というメロディーがこだま(木霊)してしまいます。
“懐かしいなあ・・・ 懐かしいなあ・・・ 懐かしいなあ・・・”
はっきり言ってこれは作曲家のエゴです。
―― 生涯裏方に徹し、作品や歌手に対する公式発言を滅多にしなかった筒美にしては珍しい長文の寄稿。それだけ思い入れのある歌い手だったということだろう。実際、筒美はデビュー曲「センチメンタル・ジャーニー」(1981年)以来、シングルA面7曲を含む29曲を松本伊代に提供。サードアルバム『オンリー・セブンティーン』(1982年)と7thアルバム『センチメンタル ダンス クラブ』(1985年)では全曲の作曲を手がけるなど、アルバムにも多くの楽曲を書き下ろした。これは1980年代にデビューした女性アイドルでは河合奈保子、本田美奈子.、小泉今日子に続く作品数である。
デビュー40周年記念アルバム「トレジャー・ヴォイス」
その松本伊代のデビュー40周年記念アルバム『トレジャー・ヴォイス[40th Anniversary Song Book] Dedicated to Kyohei Tsutsumi』が12月22日に発売された。タイトルが示すとおり、2020年10月に他界した恩師・筒美京平への敬意と感謝が込められた同作は全収録曲を筒美作品で構成。全編、新録によるアルバムは1991年の『MARIAGE~もう若くないから』以来、実に30年ぶりとなる。
とはいえ、その間、歌手を休業していたわけではない。テレビの特番やイベントではたびたび歌声を披露しており、2009年には尾崎亜美から提供された「私の声を聞いて」、2012年には自身が作詞を手がけた「オールウェイズ・ラヴ・ユー」を発表するなど、折に触れて新曲もリリースしてきた。バラエティの印象があまりに強いせいか、本人いわく「最近は“歌わない人”と思われているようです」とのことだが、実は着実に音楽活動も展開しており、ブランクはないのである。
百聞は一聴に如かず――。先行公開されているYouTube動画や、アルバム発売と同時に各種音楽サイトで配信が開始された音源を聴けば、そのヴォーカルが「あの頃のまま」どころか、寧ろ「進化している」ことを実感してもらえるに違いない。
今回、新たにレコーディングされたのは全10曲。ここからはその概要を紹介しよう。
時を経ても色褪せない松本伊代のニューヴォーカル
まずは筒美が松本のために書き下ろした作品のセルフリメイクが5曲。バックの演奏はいずれも完成度の高いオリジナル音源が使用されているが、時を経ても全く色褪せない、松本伊代のニューヴォーカルが堪能できる。発売順に並べると以下の通りである。
「センチメンタル・ジャーニー」(1981年10月 / ファーストシングル)
「ラブ・ミー・テンダー」(1982年2月 / セカンドシングル)
「虹色のファンタジー」(1982年2月 / セカンドシングル「ラブ・ミー・テンダー」C/W)
「ビリーヴ」(1984年11月 / 13thシングル)
「ポニーテイルは結ばない」(1985年6月 / 16thシングル)
松本に提供された筒美作品は傑作揃いで、本人も選曲には相当悩んだようだが、今回のアルバムは筒美が惚れ込んだ声を前面に打ち出すことがコンセプト。よって、キャラクター色の強い「TVの国からキラキラ」や4thシングル「オトナじゃないの」(1982年)、今歌うには歌詞がかわいすぎる「マイ・ブラザー」(1981年/「センチメンタル・ジャーニー」C/W)などは見送られた。
他の歌手に作られた筒美作品を、今の松本伊代が歌う
続いて、他の歌手のために制作された筒美作品のカバーが4曲。原曲はいずれも筒美が編曲も手がけているが、こちらも「今の松本伊代のヴォーカルが光る」ことを前提に多彩な楽曲がセレクトされた。
西田佐知子「くれないホテル」(1969年)
平山三紀「真夏の出来事」(1971年)
郷ひろみ「あなたがいたから僕がいた」(1976年)
岩崎宏美「シンデレラ・ハネムーン」(1978年)
ちなみに「くれないホテル」は2021年4月に東京・国際フォーラムで開催された筒美京平のトリビュートコンサートで、閉幕直後に会場で流れた曲。それまで原曲を知らなかった松本はステージ上で耳にした時「素敵な曲だなぁ」と惹かれたそうだが、歌謡曲マニアの間では「ヒットはしなかったが隠れた名曲」として知られていた。今回はディレクターの推薦もあって収録されることになったが、ジャズ調にアレンジされた同曲を情感豊かに歌い上げるヴォーカルは新たな魅力を湛えている。先行公開されたYouTubeには称賛のコメントが多数寄せられており、世の先入観や偏見を払拭しつつあるようだ。
ほかにも「真夏の出来事」はデビュー時、一部で「平山三紀(現・平山みき)の再来」と言われた松本が歌手になる前にレッスン曲として歌っていた作品、「あなたがいたから僕がいた」はやはり筒美のお気に入りヴォイスだった郷ひろみのヒット曲、「シンデレラ・ハネムーン」は4月のトリビュートコンサートで、岩崎宏美のバックで歌った曲… と、何かしらゆかりのある楽曲がセレクトされているが、それぞれタイプの異なる歌を持ち前の表現力で歌いこなしているところが聴きどころだ。
収録された新曲「イエスタデイ・ワンス・モア」
そして―― これが一番の目玉とも言えるが、ニューアルバムには嬉しいことに新曲「イエスタデイ・ワンス・モア」も収録された。この作品は1975年頃、ビクターのディレクターが預かっていたメロディで、たまたま世に出る機会を逃していたもの。今回、その未発表曲に、「センチメンタル・ジャーニー」の作詞を担当した湯川れい子が詞をつけることを快諾し、久しぶりの「筒美×湯川×松本」のタッグが実現した。
「筒美×湯川×松本」といえば、ドリス・デイの「センチメンタル・ジャーニー」(1944年)、エルヴィス・プレスリーの「ラブ・ミー・テンダー」(1956年)を思わせる“洋楽タイトルシリーズ”を展開したトリオだが、新曲「イエスタデイ・ワンス・モア」はその第3弾。カーペンターズの代表曲にちなんだタイトル通り、バカラック風の筒美メロディにノスタルジックな詞が乗って、新たな名曲が誕生した。
その新曲とカバー4曲の編曲を担当したのは、筒美作品を300曲以上アレンジし、名匠と最も多くの仕事をしてきた船山基紀。名盤の誉れ高い松本のアルバム『天使のバカ』(1986年)と『風のように』(1987年)の全曲を編曲するなど、松本伊代プロジェクトとも浅からぬ縁があった船山は、音楽監督と指揮を務めた筒美のトリビュートコンサートで松本と34年ぶりに再会したことが今回のコラボレーションに繋がった。
デビュー40周年にして実現、筒美京平×船山基紀×松本伊代
意外なことに「作曲:筒美京平 / 編曲:船山基紀 / 歌唱:松本伊代」の組み合わせは今回が初めて。これまでの松本のレパートリーは、筒美作品は船山以外の編曲家がアレンジを担当し、船山の編曲作品は筒美以外の作曲家によるものだったからだ。デビュー40周年にしての初トリオ。そういう意味では、2020年10月に旅立った筒美が導いてくれたコラボとも言えるだろう。
その船山はアルバム発売に際し、以下のコメントを寄せている。
松本伊代さんは声のトーンもいいし、テクニックもある。総合的に見て、とても音楽的な人だと思います。今回は、京平先生に喜んでもらえて、なおかつ伊代さんに楽しんでもらえるアレンジにしようと思いました。だから何の苦労もなく、自分でも楽しみながら作ることができました。
船山によると、今回のレコーディングに参加したギターの増崎孝司、コーラスの比山貴咏史とアマゾンズ(斉藤久美・大滝裕子・吉川智子)、バイオリンの石亀協子・亀田夏絵、ビオラの三品芽生、チェロの西方正輝らは口々に松本のヴォーカルを称賛していたという。一流のミュージシャンたちをも魅了する松本伊代の磨きのかかったヴォーカル。この機会にぜひ多くの方に味わっていただき、驚きを体験してもらいたい。
なお、生産限定盤には日本テレビの歌番組における歌唱映像を収録したDVDに加え、船山と松本の1万字に及ぶスペシャル対談を掲載したブックレットが付属する。松本伊代の足跡を知るには絶好の内容なので、より深く堪能したい向きにはこちらをお勧めしたい。
デビュー40周年を迎えた松本伊代の魅力を総力特集!
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2021.12.22