ある日曜日の昼下がり、思いにふけてみた。日曜昼12時を中心とした時間帯、どんなテレビ番組があったのか、と。
今でこそ地上波、BS、CS といったチャンネルが揃っているけれど、多感な年ごろだった80年代に、どんなテレビ番組を観ていたのか、を。
ビートたけし? 和田アキ子? 高島忠夫? 横山やすし? 西川きよし? 桂三枝? あと他に誰がいたっけ? 色々と観ていたのは確かだ。ど忘れはご愛敬。そこでさらに思う。
「我思う、ゆえに我あり」
フランスの哲学者ルネ・デカルトが言った言葉である。これは、疑わしいことは全部疑って、それでも疑えないものがあればそれが真理であるとの考えから始まっており、「自分は存在しないのではないか」と疑ったときに、疑っている自分がそこに居ることが否定できず、結果「コギト・エルゴ・スム」という冒頭の発言につながったのであった。
ところが、人々は定年退職をするとこの真理が崩れていることに気が付くのである。デカルトは1596~1650年の生涯であった。つまり54歳で逝去しているのだ。定年退職は大体60歳なので、彼にしてみれば定年退職して家でゴロゴロし、毎日カミさんからゴミ同然の扱いを受けている姿は想像できなかったのである。
定年退職した旦那は「我思う、でも我なし」という、自分は思っていることがあるが、そのすべてがカミさんから否定されてしまい、存在価値どころか存在自体を否定されてしまう訳である。
我が家でも定年まで後10年を切った昨今、「ありえない」とか「意味判らない」とか言われ始めており、デカルトが見つけられなかった真理に近づきつつある。
事実、25年前、うちの親父も退職金で真っ赤なスポーツカーを買う夢があったが、その資金はすべて没収されていた。
それでも、このまま存在自体を否定されるのを座して待つわけにはいかない。そこで、せめて自分の青春時代を彩ってくれた音楽だけは死守するべく、年末から同じ境遇の仲間とその活動に取り組んでいる。
例えば「あの頃は夢を見ていたな~」という発言があったら、伊藤つかさの「少女人形」を口ずさむ。
♪ 夢を見る 人形と みんな私を呼ぶの
「ちっちぇ~な~」という発言があれば、チェッカーズの「ギザギザハートの子守歌」を口ずさむ。
♪ ちっちゃな頃から ちっちゃくて
「それ悪ガキだろ」とお約束の突っ込みが入るか、もしくはそれに被せて、
♪ 大きくなっても ちっちゃくて
と続けるか。いずれにしても、自分が生きていた証を日常に取り戻すのである。歌を唄うことによって手に入れるのである。
こう書くと「じゃあ今のお前は死んでいるのか」と言う事になるが、このまま座していては、確実に定年後は「生きながら死んでいる」という、北斗神拳で秘孔を突かれた状態に陥ってしまう。
何を言いたいかというと、近々6月1日にリマインダーのイベント『
80年代イントロ十番勝負 vol.4 - 夏のINTROフェスティバル!』が開催されるのだが、そのイントロクイズの次は、キーワードからその言葉が使われている80年代音楽を歌うという「キーワードでハイどうぞ!」という早押しゲームをしてはどうだろうか!? という提案でした。たとえば、
「パソコン!」
「はいっ!」
♪ 右手にパソコン 左手に~
「正解っ!」
※ピンクのじゃじゃ馬 / 松本明子(1983年9月21日)思い出した。イントロクイズの番組『クイズ・ドレミファドン!』が好きで「いつか自分も出てみたいな」などと思いながら観てたっけ。当時、その願いは叶わなかったけど、今度は叶いそう。渋谷の LOFT9 ね。
2019.05.23