「言葉」が都市の上空から消えていくのを見たのは、四年前のことでした。
これは、1986年発表の1stアルバム『未来はパール』のライナーに書かれているサエキけんぞうによる序文、“パールの誕生” からの引用だ。バンド結成に絡めた所信表明のような、つぶやきのような内容。私はこの序文が、もう全文掲載したいほど好きなのだ。
「ねぇ〜、いく晩もいく晩もいろんな人がするオシャベリや話は、一体どこへいってしまうんだろうね〜?」という窪田晴男の問いかけから、答えを探す旅に出たというパール兄弟。
パソコンも携帯電話も、ワープロすら家にまだなかった時代のこと。夜中に何時間も話す友達との長電話の中身はどこに消えるんだろう。幼い頃父に聞かされた石原裕次郎の全盛期の話、祖父が酔っ払って話した関東大震災で命からがら逃げた話、全部どこに行ってしまったのか。だいたい、どこにとっておけばいいの?
18歳の私はこの序文を読んだだけで、そんな気持ちでいっぱいになった―― そして、ニューウェイヴ最前線にいる2人が、こんな物語のようなスタンダードな序文を掲げたことにちょっと驚いたのだった。
ハルメンズのサエキけんぞう(しかも歯科医)と、近田春夫&ビブラトーンズの窪田晴男という、もともとニューウェイヴシーンで活躍していた2人を中心に結成。そこに、メトロファルスのバカボン鈴木(しかも僧侶)と松永俊弥が合流した。
今ネットを探ると、テクノユニットやら無国籍バンドなど、色々形容されているけれど、本作のレコード帯のキャッチコピーでは、
「エレキでもどうだい!」新世紀最強のロック・ユニット登場!! ―― と謳っている。やっぱりロックだ。私もそう思う。
“バカヤロウといってくれよ” と本音の付き合いに飢えた若者の魂の叫び「バカヤロウは愛の言葉」。
“エレキでもどうだい” と言葉遊びが楽しい音頭のようなニューウェイヴレゲエ「江戸時代の恋人達」。
クレジットにはないけれどコーラスが福岡ユタカだと信じたい、すごいタイトルの「○。○○○娘」。ギターが冴えまくる窪田晴男の真骨頂、直訳で “season of sex” と題した海辺のハントソング「快楽の季節」。
イケイケと根暗が同居する、ちょっとサブ “軽” チャーな視点からの青春ソングがカラフルに並ぶ。まさに、バブルとニューウェイヴのマリアージュ!
サエキけんぞうの歌詞はどれもこれもキレキレなのに親しみやすく、ちくりと毒を持ってるのに笑っちゃう。今聴くとこっぱずかしいのに胸にグッとくる。それを窪田晴男の超絶ギターとアレンジ、鉄壁で老獪なリズム隊でぐんぐん押し出していく。
私は基本的にギターソロがさほど好きではないが、このアルバムはほぼ全曲でぎゅんぎゅんのギターソロがある。呼吸が荒くなるほどの緩急とテクニックとテンションで攻めてくる。ぐわー。参った参った。ギターソロと切なさとコシの強さと、である。
パール兄弟は、当時の TUBE やユーミンと同クオリティで “青春”(特に男子)を鋭利に描き切っていた。その方法がニューウェイヴだっただけ。だからこそ、斜に構えた見方もできたし、モラトリアムも〇金(まるきん)も〇ビ(まるび)もユーモアも交えられたし、それこそ80年代の実像に迫っていけたんじゃないかと思うのだ。
あれから30余年―― なんと2016年には『未来はパール』発表30周年を記念して、オリジナルメンバーで復活ライブを行っている(観たかった!)。その後、2018年4月にバンド復活後初の新作『馬のように』をリリース。パール兄弟は走っている。馬のように。
円熟というフレーズはパール兄弟には似合わないのだ。
引用文:
アルバム『未来はパール』セルフライナーノーツより
2018.09.03
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