「タンデム」というものをご存知だろうか。本来は二人乗りの自転車の意味なのだが、転じて語学学習の一種でもある。
例えば日本語を学びたい外国語ネイティブと2人で組み、初めの1時間は英語のみで会話する。そして次の1時間は日本語のみで話す。これはかなりハードで鍛えられる。
僕は大学でドイツ文学を専攻していたので、そのタンデムなるものをちょうど大学へ留学していたドイツ人から教えてもらって、そのパートナーになってもらっていた。他にも2人のドイツ人とタンデムをしていたから、ドイツではポピュラーなのかもしれない。
僕にタンデムを教えてくれたドイツ人学生は、5つほど歳の離れたジャーナリスト志望の髭を生やした愉快だがストイックな男だった。
初めの頃はもちろん共通の話題がない。そんな時に音楽は実に便利だ。彼はロックをめっぽう愛しているようで、僕はいわゆるクラウトロック談義などでドイツ語オンリーの「地獄の1時間」をやり過ごした思い出がある。
その流れで日本の音楽で何か好きなものはあるか、訊いてみたことがある。彼は「君は『TAMA』、知っている?」と語り始めたのだった。
これには僕も驚いた。日本語の勉強のためにあらかじめYouTubeで日本のバンドを調べて来日したそうだ。なぜよりによって「たま」なの? と僕は驚いて訪ねたのだが答えがまた斜め上であった。「彼らはある種の民族音楽のエッセンスをポップミュージックに昇華しているんだ、すごくクールだ」と感じたそうだ。
「民族音楽?! そういう解釈もできるのかぁ」などと当時驚いた記憶がある。僕は高校生の頃から友部正人を経由して「たま」の音楽を愛していた。けれども僕が特に好きだったのは彼らの「詩」だった。彼の指摘を受けて曲を改めて聴いて「なるほど」と感銘を受けたのだ。
僕は彼が敬虔なユダヤ教徒だということをその後、彼自身から聞いた。彼は100年以上前のユダヤの民族音楽と「たま」を交互に聴かせてくれ「似てるだろ?」と教えてくれた。実際のところ僕にはよくわからなかったが、音像などに共通するものは感じられた。そういった時の寡黙な彼の笑顔は今でも覚えている。
もちろん彼も僕も当時の熱狂的な「たま現象」などは知らない。しかし音楽自体が持つ「強さ」のようなものが民族を超えて心に訴えた瞬間に立ち会えたのは幸運としか言いようがない。
僕は彼に「たま」のCDをいくつか貸してあげた。僕は僕でユダヤ神学について興味があったし色々彼から本を貸してもらっていたから、そのお返しという意味もあった。
彼は2年ぐらい日本に滞在してドイツに帰った。あまりに突然のことだったので驚いたが、彼はその後すぐにイスラエル国籍を得てエルサレムに移住したと聞いた。さらなる緊張状態を見せている中東情勢に何か思うところがあったのかもしれない。
僕は難解で彼の教えなしでは読めないユダヤ神学の本を返せていない。そして彼からも「たま」のCDを返してもらっていない。彼はエルサレムでも「たま」を聴いているのだろうか。そうだと僕はとても嬉しい。
2017.08.30
YouTube / Tama Music Video
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