7月9日

B.B.クィーンズ「おどるポンポコリン」ミリオンセラー連発の扉を開けた織田哲郎!

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B.B.クィーンズのシングル「おどるポンポコリン」がオリコンチャートで1位を記録した日
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メロディが9割 Vol.5
おどるポンポコリン / B.B.クィーンズ


アニメ「ちびまる子ちゃん」で上書きされた記憶


よく、記憶は上書きされるという。

尾崎豊が「夜の校舎 窓ガラス壊してまわった」と歌った1985年―― 世は校内暴力が吹き荒れた時代と回想されがちだが、実際のツッパリ文化は『3年B組金八先生』第2シーズンが放映された1980~81年をピークに、せいぜい1983年まで。尾崎がブレイクした1985年は、もはや “ツッパリ” はパロディの対象になっていた。

また、清純派アイドルだった宮沢りえが、角界のホープ・貴花田(当時)との婚約発表から急転直下の解消後、脱アイドルを掲げてヘアヌード写真集『Santa Fe』を発表したと思われがちだが、実際は貴花田と婚約する1年前に同写真集を発売していた。

アニメ『ちびまる子ちゃん』(フジテレビ系)にもその手の話はある。1990年1月の放映開始から今日まで、僕らは「おどるポンポコリン」がずっとオープニングを飾ってきたと思いがちだが、最初の3年間は「ゆめいっぱい」がオープニングで、「おどる~」はエンディング曲だった。同曲がオープニングに定着するのは意外と遅く、2000年以降である。

そう、記憶は上書きされる――。
歴史を語る際に、ことさらリアルタイムの空気感を読み取ることが求められるのは、そういうことである。

さて、そこで「おどるポンポコリン」である。今日、7月9日は、今から31年前の1990年に、同曲がオリコンチャートで初めて1位になった記念すべき日。僕は勝手に「メロディの復活の日」と呼んでいる。

原作者さくらももこ×稀代のメロディメーカー織田哲郎、鉄板の座組


 なんでもかんでも みんな
 おどりをおどっているよ
 おなべの中から ボワっと
 インチキおじさん 登場

作詞・さくらももこ、作曲・織田哲郎。言うまでもなく、『ちびまる子ちゃん』の作者と、稀代のメロディメーカーとの鉄板の座組だ。だが、この当時、織田サンは、TUBEに提供した「シーズン・イン・ザ・サン」等のヒットはあったものの、一般にはほぼ無名。同曲でブレイクして、ここからビーイング所属の作曲家として90年代、怒涛のヒット曲を量産する。

織田哲郎、生まれは1958年、東京である。13歳の時に父親の仕事の都合で渡英し、中学時代をロンドンで過ごす。西暦だと、1971年から73年。ビートルズの解散の翌年であり、ブリティッシュロックを始め、音楽界全体が過渡期だった時代だ。そんな時代をイエスやレッド・ツェッペリン、デヴィッド・ボウイらがリアルに台頭する空気の中で過ごした経験が、彼の音楽的土壌に与えた影響は想像に難くない。

帰国した織田サンは、高校時代にいくつかのバンドを結成する。そして大学時代には、かの長戸大幸氏と出会い、ビーイングの創立に参加する。1979年には伝説のバンド「スピニッヂ・パワー」の2代目ボーカルに就任し、作曲活動も始める。ちなみに、同バンドの3代目ボーカルが寺西修一氏、後の氷室京介である。

80年代、織田サンはいくつかのバンドを経て、ソロシンガーとなるが、残念ながら目立った活躍はない。その一方、先にも記したTUBEに提供した楽曲がヒットするなど、次第に作曲家としての存在感を増していく。時代は90年代を迎えようとしていた。

どんどん原作から離れていった80年代アニメの主題歌


思えば、僕らアラフィフが子供のころ―― 1970年代のアニメ(当時はテレビまんがと呼んでましたナ)の主題歌は、作品を反映した世界観で、声優かアニソン専門の歌手が歌った。「新オバケのQ太郎」はQ太郎役の堀絢子、「エースをねらえ!」は大杉久美子、「マジンガーZ」は水木一郎が熱唱した。

それが80年代になると、一般のアイドルやミュージシャンがアニソンの世界に台頭した。『さすがの猿飛』の主題歌「恋の呪文はスキトキメキトキス」は伊藤さやか、『キャッツ・アイ』の主題歌「CAT'S EYE」は杏里、『タッチ』の同名主題歌は岩崎良美が歌い、普通にヒットチャートを席捲した。

―― そこまではよかった。
まだ、作品に寄せようという気概が見られた。だが、次第にアニメの主題歌はタイアップありきになり、作品の世界観から遊離する。例えば、アニメ『美味しんぼ』の主題歌は結城めぐみが歌う「YOU」。それは、アンニュイで、都会的で、きらびやかな横文字が並んだ。1ミリも原作の匂いがしなかった。

 都会(まち)の灯りは 罪な星屑ね
 流れて行く Crystal Light
 いつか出逢える 愛があるならば
 悲しむことないね

ちなみに、ホイチョイ・プロダクションズが『ビッグコミックスピリッツ』(小学館)に連載する「気まぐれコンセプト」では、同アニメが放映された当時(1988年)、スピリッツの読者が主題歌として想像していたのはこっちだろうというネタを披露している。なかなか傑作なので紹介したい。

 表面はカラッと噛むと
 ロースの甘みがじゅっ
 鼻孔の奥まで広がって
 これが本物のトンカツ
 
 みていろ海原雄山
 お袋のことは許さない
 オレが本当の味を教えてやる
 
 (岡星主人)
 この魚は唐あげにして
 ボンズでめしあがっていただきます
 
 (京極さん)
 これ以上泣かせるよーなこと
 せんといてほしいわ~

 負けるな東西新聞
 究極対至高の対決は
 先に料理を出した方が必ず負け

―― いかがだろう。これぞ作品の世界観(笑)。だが、そんな僕らの願いもむなしく、80年代のアニメの主題歌はどんどん原作から離れていった。そして訪れた90年代。思わぬゲームチェンジャーの登場に僕らは歓喜する。それが、先の『ちびまる子ちゃん』だった。

初代の主題歌「ゆめいっぱい」も、作曲・織田哲郎


 楽しいことなら いっぱい
 夢見ることなら めいっぱい
 今すぐ おしゃれに 着替えて
 友だち 探しに 行こうよ

先にも記した通り、同アニメの主題歌は当初「ゆめいっぱい」だった。作詞・亜蘭知子、作曲・織田哲郎。歌うは関ゆみ子―― なんと、織田哲郎サンの従姉妹だとか。彼女はオーディションで選ばれたが、織田サンは一切関わっていなかったそう。今なら、“忖度” と言われそうだけど、どうなんでしょうね(笑)。

もっとも、同曲も悪くない。織田サン作曲だけに明るくメロディアスだし、作品の世界観にも合っている。歴代の主題歌で一番好きという人も少なからずいる。でも、お茶の間が飛びついたのは、作者自身が作詞したエンディングの「おどるポンポコリン」だった。リアルタイムで覚えているけど、1990年1月に始まった同アニメは瞬く間に世間の話題となり、それと比例するように「エンディングが面白い」という口コミが拡散していった。

スーダラ節のオマージュソング「おどるポンポコリン」


 いつだって わすれない
 エジソンは えらい人
 そんなの常識 タッタタラリラ

ちなみに、原作コミックの8巻「まる子 みんなにばかにされるの巻」には、まる子がテレビで「スーダラ節」を歌う植木等を見て、クレージーキャッツに入りたいと、父ヒロシに訴えるシーンがある。軽く一蹴されると、今度は「青島幸男みたいにああいう歌を作りたい」と。結局、家族全員に呆れられて退散するが、そのエピソードは作者のこんな言葉で締められている。

“「ああいう歌をつくりたい」…… 15年後、その夢をすてずに作った歌が ♪エジソンはえらい人 ピーヒャラ ピーヒャラ…… であった”

―― そう、「おどるポンポコリン」は植木等の「スーダラ節」へのオマージュソングだった。作品の舞台は、作者のさくら先生がまる子と同じ小学3年生だった1974年なので、実はクレージーキャッツの全盛期じゃない。むしろ、後輩のドリフターズが人気絶頂で、クレージーはどん底期だった。大瀧詠一サンがクレージー30周年を祝して「実年行進曲」を提供し、クレージーに再び光が当たるのは1985年以降である。

おそらく―― さくら先生は、劇中の「お姉ちゃん」と同じくリアルでも3歳上の姉がいるので、小さい頃から姉の見る番組を見て育ち、1965年生まれながら、その少し上のカルチャーで育ったのだろう。だから植木等にハマったのだ。

ナンセンスな歌詞の魅力を際立たせた“強いメロディ”


 ピーヒャラ ピーヒャラ
 パッパパラパ
 ピーヒャラ ピーヒャラ
 パッパパラパ
 ピーヒャラ ピーヒャラ
 おへそがちらり

言うまでもなく、このナンセンスな歌詞の羅列は、「スーダラ節」の「♪ア ホレ スイスイ スーダララッタ スラスラ スイスイスイ」へのオマージュである。となれば、「スーダラ節」同様、このナンセンスな歌詞を際立たせる “強いメロディ” が必要となる。見過ごされがちだが、クレージーの一連の楽曲がヒットしたのは、青島幸男サンの作詞の魅力だけではなく、優れたメロディメーカーたる萩原哲晶サンの楽曲の功績も大きい。

―― そんな次第で、少々回り道をしてしまったが、ここで振り出しに戻って織田哲郎サンの出番である。

ビーイングの作詞技法「サビにタイトルを入れよ」


 タッタタラリラ
 ピーヒャラ ピーヒャラ
 パッパパラパ
 ピーヒャラ ピーヒャラ
 おどるポンポコリン
 ピーヒャラピ お腹がへったよ

2回目のサビの最後はタイトルにした方がいいと、さくら先生に提案したのは、織田哲郎サンだったという。確かに、この方が締まる。ちなみに、ビーイングの長戸大幸氏がZARDの坂井泉水サンに伝授した作詞技法の1つに「サビにタイトルを入れよ」というのがあったそうだが、織田サンもそれに倣ったのかもしれない。

とにかく―― 同楽曲の魅力は、さくら先生の書いたナンセンスな詞と、それを完璧にコーティングする織田サンの明るいメロディの両輪である。Aメロから耳に馴染む旋律が心地よく、その波に乗ってBメロ、サビと、一気に駆け抜ける。

どこか懐かしく、それでいて新しい。ちなみに、織田サンは同曲をわずか1分程度で作曲したというが、加山雄三サンの「君といつまでも」にしろ、タケカワユキヒデさんの「銀河鉄道999」にしろ、名曲ほど短時間で生まれやすいのは、やはり “降りてくる” からだろうか。

マジメにふざけたB.B.クィーンズのパフォーマンス力


そして見逃せないのは、そのパフォーマンス力である。

マジメにふざける―― これに尽きると言っていい。オマージュ元のクレージーキャッツも本業はバンド。彼らはコミックソングを歌いながらも、その技術は超一流だった。同様に、「おどるポンポコリン」も歌うはB.B.クィーンズ。メインボーカルの坪倉唯子サンも、サブボーカルの近藤房之助サンも、元々はプロのスタジオミュージシャンで、その実力は折り紙付き。当初は覆面ユニットだったが、1990年8月29日に『夜のヒットスタジオ』にてビジュアルを解禁。後方で踊るのは、宇徳敬子サンを中心とする3人組のB.B.クィーンズシスターズ(後のMi-Ke)だった。

その効果だろうか。9月3日、「おどるポンポコリン」は4度オリコン1位に返り咲くと、そこから更に4週連続1位。そして10月28日には、『ちびまる子ちゃん』がアニメ史上最高視聴率となる39.9%(1977年以降)を記録。結局、「おどる~」は年間チャート1位に輝き、ミリオンセラーを突破。暮れには、日本レコード大賞(ポップス・ロック部門)を受賞し、『NHK紅白歌合戦』にも出場する。

そして―― 90年代のメロディの時代が幕開ける。音楽業界はミリオンセラーを連発する空前の黄金期を迎える。その扉を開けたのは、他でもない「おどるポンポコリン」だったのである。



2021.07.09
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