メロディが9割 Vol.8
さよなら人類 / たま松田聖子、中森明菜、そして “たま”2曲目で現した正体
2曲目で “正体” を現す人たちがいる。
松田聖子はデビュー曲「裸足の季節」で、資生堂のCMタイアップ効果もあり、スマッシュヒットするも―― オリコン最高位は12位に終わる。
彼女が国民的アイドルとして一躍脚光を浴びるのは、2枚目のシングル「青い珊瑚礁」である。髪が伸びて聖子ちゃんカットが完成し、その伸びのある独特の “しゃくり” の歌唱で、一気にオリコンチャートを2位まで駆け上がった。TBS『ザ・ベストテン』にもランクインを果たし、名言「おかあさ~ん!」を残した。
その2年後にデビューした中森明菜も、デビュー曲「スローモーション」は来生えつこ・たかお姉弟の作詞・作曲の名曲で、一部の評論家筋に評価されるも―― オリコン最高位は30位に終わる。
彼女もまた、その類稀なる才能が一躍知れ渡るのは、2枚目のシングル「少女A」である。レコーディングの際、担当ディレクターに最後まで抵抗したと伝えられるが、皮肉にもその芯の強さが同曲のブレイクに繋がった。以後、聖子とは別路線のスター街道を歩む。
そして―― 今回取り上げるあのバンドもまた、伝説的音楽オーディション番組で、初登場時に強烈なインパクトを残すも―― 当初は、ある種の “イロモノ” と見られた。
彼らが一躍、審査員の評価を一変させるのは2週目である。その後、バンドはグランドチャンピオンとなり、翌年、メジャーデビューを果たし、暮れの『NHK紅白歌合戦』にも出場した。
バンドの名前は「たま」。今日、11月18日は、今から32年前の1989年、彼らが“イカ天”こと『三宅裕司のいかすバンド天国』(TBS)で、14代目イカ天キングとして2週目に臨み、「さよなら人類」を初めて披露した日にあたる。
意外と古い、たま結成の歴史
今日 人類がはじめて
木星についたよ
ピテカントロプスになる日も
近づいたんだよ
たまの結成は意外と古い。
元々、4人ともソロで活動するミュージシャンだった。まず1981年6月に、北千住のライブハウスで知久寿焼と石川浩司が意気投合。更に翌82年12月、両国のライブハウスで知久と柳原陽一郎が出会った。そして1984年11月、大久保のライブハウスで行われたライブイベントに、知久、石川、柳原の3人で「かき揚げ丼」なる仮のバンド名で参加。これがキッカケで「たま」が結成された。
滝本晃司は1986年、たまがベーシストを募集した際、ただ一人応募して採用に。彼は元々、たまのファンで、応募理由は「たまは既に完成されたバンドだった。知らない誰かが入って崩れるくらいなら、いっそ自分が入ろうと思った」――。
バンド名の由来について、『イカ天』で司会の三宅裕司に「ネコから?」と聞かれた知久は、こう答えている。
「ネコって名前がないでしょ。だから “たま” とつける。同じように、このバンドも名前がなかったから、“たま” と名前をつけた」
―― ちょっと禅問答っぽいが、これがたまである。
たま「らんちう」でイカ天初登場、審査員たちも戸惑った世界観
時に、1989年11月11日。イカ天の初登場時に、彼らが披露した楽曲は「らんちう」だった。作詞・作曲は知久。実は、たまはメンバー4人とも作詞・作曲ができて、作った本人がリードボーカルをとる。まるでビートルズのようだが、まだ、この時点で誰もこのバンドの詳細については知らない。
1週目のたまは、とにかく世界観が強烈だったのを覚えている。ギターとボーカルの知久サンはゲゲゲの鬼太郎みたいな風貌で、歌声は目玉おやじみたいで、その楽曲は『まんが日本昔ばなし』風だった。ドラムの石川サンは裸の大将みたいなランニング姿で、なぜか木桶を叩き、時々掛け声を発した。柳原サンは妖艶な表情でアコーディオンを弾いて、間奏では講談師みたいに語り出した。その3人が強烈過ぎて、ベースの滝本サンはちっともカメラに抜かれないほど気配を消していた。
どう見ても、下北沢の小劇場の世界だった。この時点では、誰もが彼らを “イロモノ” と見ていた。ところが、皆があっけにとられているうち、たまは合格点となる “完奏” を果たす。コメントを求められた審査員たちは、明らかに戸惑っていた。吉田建サンは「オリジナリティがよかったですよね」とひと言だけ発し、俯いてしまった。鴻上尚史サンは石川サンの謎のテンションに戸惑いつつも、「でも、歌詞はすごくいい」と共感を示した。中島啓江サンは「能ある鷹は爪を隠すかもしれない」と、審査員の中で最も高く評価した。
結局、たまはその日のチャレンジャー賞を獲得し、イカ天キングであるサイバーニュウニュウを破り、見事に新キングに輝いた。
If もしも―― あの時、たまが負けていたら、僕らは「さよなら人類」に出会わないまま、たまはテレビから姿を消していたかもしれない。今なら、なぜ1週目に「さよなら~」を持ってこなかったかと思う。『M-1グランプリ』もそうだが、普通、出場者は最初に最も自信のあるネタを持ってくるもの。だが、たまはそうしなかった。
それは、当時のイカ天は、半ばキャラクターショーと化していて、要はテレビ的にインパクトのあるバンドや曲が選ばれがちだったから。後年、ミスチルやスピッツが「イカ天に出たくなかった」と語ったことが、それを物語る。
そう――「らんちう」で正解だったのだ。そして翌週の11月18日、いよいよ、あの名曲が登場する。
14代目イカ天キングが歌った「さよなら人類」
二酸化炭素をはきだして
あのこが呼吸をしているよ
どん天模様の空の下
つぼみのままでゆれながら
その日のことは、今でもよく覚えている。正直、僕は「たま」に、あまり期待してなかった。いわゆる下北沢の小劇場的フィールドが似合う人たちで、ある種の層にはウケるかもしれないが、それだけのこと。僕には無縁の世界だ。好きにやってほしい、と。
番組はつつがなく進行し、全ての出場バンドの演奏が終わり、キングに挑戦するチャレンジャーも決まった。いよいよラスト、14代目イカ天キングのたまが登場する。三宅裕司サンが曲紹介を促すと、恥ずかしそうに知久サンが答える。「……さよなら人類」。
曲が始まった。おや、今回はボーカルが違う。先週、アコーディオンを弾いていた人(柳原サン)だ。そして次の瞬間―― 僕はテレビにくぎ付けになった。そのメロディがあまりに美しく、耳に心地よかったからである。
一聴しただけで耳に馴染んだ優れたメロディ
野良犬はぼくの骨くわえ
野生の力をためしてる
路地裏に月がおっこちて
犬の目玉は四角だよ
音楽的知識のない僕にとって、メロディを説明するのは至難の業だ。和音もよく分からない。だが、これだけは言える。優れたメロディは、一聴しただけで耳に馴染む。つまり覚える。その楽曲もそうだった。柳原サンが何度か同じ旋律を繰り返すうち、僕は自然とそのメロディを口ずさめるようになっていた。
ちなみに、この日の「さよなら人類」は、YouTubeで探すと見られる。今、改めて聴いても、その完成度の高さに驚く。そして演奏がめちゃくちゃ上手い。後年、審査員長の萩原健太サンが「イカ天の全出場バンドのうち、たまの演奏が一番上手かった」とコメントしていたけど、その通りだと思う。
あと、これもよく言われることだが、たまの生演奏は、CDの音源と、まるで変わらない。再現度が高いというか、CDであまり加工していないというか、要するに歌と演奏が抜群に上手いのだ。よく、生演奏を聴いて、CDとの違いにガッカリさせられるバンドは少なくないが、たまに限って、それはない。
切なく、悲しく、幻想的な間奏
今日人類がはじめて
木星についたよ
ピテカントロプスになる日も
近づいたんだよ
曲は2番が終わり、間奏に入った。僕はここでも驚いた。柳原さんのピアノの音階に合わせて「♪猿~」というフレーズがひたすら繰り返される。知久サンが美しくハモる。それは、どこか切なく、悲しく、極めて幻想的だ。思わず、涙が出そうになる。
ちなみに、シングル版の間奏は、これとはまた異なり、まるでビートルズの「ペニー・レイン」のよう。たまが和製ビートルズと呼ばれる所以である。バンドを体現する知久サンがジョン・レノンで、メロディメーカーの柳原サンがポール・マッカートニー、ムードメーカーの石川サンがリンゴ・スターで、普段は気配を消している滝本サンがジョージ・ハリスンだ。
色褪せぬメロディと、現代にも置き換えられる歌詞の世界
さて、ここまでメロディを主体に語るために、敢えて言及を避けてきたが、「さよなら人類」の歌詞は、映画『猿の惑星』にも通じる、地球の終末が描かれている。容易に想像できるのは “核戦争” だ。だが、この2021年に改めて読み返すと別の視点も見えてくる。
それは、“地球の温暖化” である。歌い出しの「♪二酸化炭素をはきだして」でストレートに主原因を語り、「♪アラビヤの笛の音ひびく」は産油国の隆盛と没落、「♪街の空気を汚してる」はそのままの意味であり、「♪ブーゲンビリヤ」は熱帯地方の植物である。要は、このまま地球の温暖化が進むと、未来の日本が熱帯化する危機もなきにしもあらず、と――。
少々、深読みが過ぎたかもしれない。だが、これだけは言える。「さよなら人類」は、そのメロディメイクにおいて、30年以上の時を経ても、今なお少しも色褪せないこと。
メロディが9割たる所以である。
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2021.11.18