3月17日

さだまさし「道化師のソネット」名曲の中で生き続ける “栗原徹” なるピエロ

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さだまさしのシングル「道化師のソネット」がオリコンチャートで最高位(2位)を記録した日
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さだまさし「道化師のソネット」のモデルになった栗原徹をこの目で観た


その道化師(ピエロ)の高綱渡りの光景だけは、40年以上経った今でも鮮烈に蘇ってくる。

およそ7メートルの高さだったそうだが優に10メートル以上に感じられた。小学生だった僕は、それを見上げてではなく比較的正面ぐらいの高さから観ていた。命綱は無く、下に申し訳程度の小さなネットを持った人がいるだけ。そのセーフティーネットの無さが売りであった様に微かに記憶している。そのスリルたるや半端無く、だから未だ記憶に残っているのであろう。

なんと綱の上で道化師は椅子に座った。その後椅子は落とされ下の人がネットで受け止めた。いよいよ道化師のためのネットではなかったようだ。無事道化師が渡り終わった時、僕は心の底から安堵し、拍手を送った。それからさほど日が経たないうちに、僕はこの道化師が高綱渡りから転落し亡くなったという、恐らくは新聞記事による報道に接した。あれ程の高難度の芸では無理も無いと思った記憶も微かに残る。この道化師クリちゃんこそが、今から40年前、1980年(昭和55年)のさだまさしの大ヒット曲「道化師のソネット」のモデルとなった栗原徹であった

異色の大卒ピエロ、たった28年の鮮烈な人生


It was 40 Years Ago Today.
1980年2月25日にリリースされたさだまさしのシングル「道化師のソネット」は、40年前の今日3月17日付のオリコンチャートで最高位2位を記録している(翌週も連続で2位)。海援隊の「贈る言葉」に阻まれ、1979年の「関白宣言」「親父の一番長い日」に続く1位獲得こそならなかったものの、年間チャートでも28位と堂々たる大ヒットとなっている。そして、この曲は1月26日に公開された、さだまさしが栗原徹を演じた映画『翔べイカロスの翼』の主題歌であった。この映画は1978年に刊行された草鹿宏による同名の本が原作となっていた。

意外なことに栗原徹は東京出身で大学卒。写真家を志してキグレサーカスに住み込み、写真を撮るためには入り込まなくてはと自ら団員になった。活動期間はその逝去まで僅か5年。志願してピエロになったのは後半の2年だけだった。事故が無ければ、翌年にはサーカスを辞めて写真を撮るため海外に渡るつもりだったそうだ。サーカス団員もピエロも最終目標ではなかった、正に異色の経歴であった。

しかし栗原は人並み外れた努力で難しい芸を次々とものにしていった。そしてサーカスに笑いが足りないとピエロ役を買って出て、黒柳徹子に直に会って住所と電話番号を聞き出し、パントマイムの第一人者ヨネヤマママコに直談判して指導を仰いでいる。また三木のり平に1977年末から78年にかけてのキグレ大サーカスの後楽園球場での公演の構成演出を依頼していた。三木もピエロをメインにした演出を考えたらしい。永六輔、小沢昭一も名を連ねたこの公演にしかし栗原の姿は無かった。1977年(昭和52年)11月23日、水戸での公演で栗原は転落。意識が戻らないまま3日後に28年の生涯を閉じている。

栗原の短くも鮮烈な人生を、蝋で付けた羽で太陽の近くまで翔び、蝋が溶け羽が落ちて命を落としたギリシャ神話のイカロスに喩えたのがヨネヤマママコであった。ヨネヤマと三木は映画『翔べイカロスの翼』に本人役で出演している。いかに栗原に魅かれていたかがよく分かるではないか。

後楽園球場でのキグレ大サーカス、記憶に残っている高綱渡り


僕はいつ栗原の道化師(ピエロ)クリちゃんを観たのだろう。後楽園ということだけはうっすらと記憶にありネットで調べてみると、キグレ大サーカスは1976年(昭和51年)から1978年(昭和53年)の3年、年末年始に後楽園球場で公演を行っていた。このうち栗原が存命だったのは1976年(昭和51年)12月25日(土)から1977年(昭和52年)2月13日(日)の公演だけだった。

“球場” というワードからまた記憶が少し蘇った。この年初めて後楽園球場で巨人戦を4試合観た僕はオフシーズンに球場に入れることに少し興奮していたが、サーカスのテントがグラウンドにでんと立っているわけではなく、内野スタンドにもかかっていた光景に少しがっかりしていた。ひょっとすると席はスタンドだけでグラウンドには無かったかもしれない。僕もスタンドに座ったので高綱渡りを見上げることは無かったのだろう。

当時僕は小学5年生だった。11月末に突然父に中学受験を言い渡され俄かに受験勉強に突入していた。エレクトーンの音楽教室も卒業させられ、家庭の雰囲気も暗くなり、無駄ではあろうが小学校の担任に相談しようかと思った程だった。そんな中、恐らく一家でキグレ大サーカスを観に行った。チケットを受験勉強突入前か後のどちらで買ったのかも、恐らくは母だと思うが誰が買ったのかも、そもそも買ったのか貰ったのかも、今となっては分からない。

この公演で唯一記憶に残っているのが栗原扮するピエロの高綱渡りだったのだ。この時から1年も経たぬうちに栗原はこの世を去っている。ネット検索で国立国会図書館にこの時の公演のポスターとプログラムが保管されていることを知り、僕は大学生の時以来30数年振りに足を運んだ。大小2枚のポスターには残念ながら座席表は無かったが、恐らくは特別指定席ではなく一般席(大人:1200円、小人:600円)で観たのだろう。

驚いたのはその公演回数だった。平日でも1日2回、日祝日はなんと1日4回公演だった。しかも栗原は公演後ヨネヤマママコの下で3時間レッスンをしていたというから、あまりにハードであった。

プログラムでは赤い衣装を着てピエロに扮した栗原をカラー写真でようやく見ることが出来た。本の表紙以外カラー写真はネットでも全く見かけなかった。大学時代柔道部だったという栗原は結構いい体格をしていて、映画のさだまさしとはかなり印象が異なった。この体格であの離れ業を演じていたことに改めて驚く。そんな栗原と、彼を観た自分の過去の証しが国会図書館に眠っていることに、僕は何か包容力のようなものを感じた。図書館にこんな気持ちを抱いたのは初めてだった。

松本人志、立川談春も愛する名曲「道化師のソネット」


ご多聞に漏れず80年代の “暗い” “ネクラ” ムーヴメントに影響を受けた僕はさだまさしにきちんと向き合うことは少なかったが、そんな僕が一番好きなさだの曲がこの「道化師のソネット」であった。2008年からCMソングとして流れるようになったこともあり、この曲はスタンダードとして今も伝わっている。

そして驚いたのが、松本人志、そして立川談春の二人がこの曲を好きな曲として挙げていることだった。ザ・ブルーハーツの大ファンだった松本人志がこの曲を挙げたのは意外だった。松本はさだファンでもあるらしくこの曲を、生涯で一番聴いた曲かもしれない、(この歌詞は)芸人の基本だとまで語っている。さらに、立川談春も熱心なさだファンであり、今年1月18日放送の TBS系トーク番組『サワコの朝』でこの曲を、思い出の中で今でも輝く曲と紹介している。

当代きってのお笑いタレントと演芸人も認める名曲、それが「道化師のソネット」なのだ。2010年にはキグレサーカスもその歴史の幕を下ろしているが、この曲の中で栗原徹はこれからも生き続けるだろう。彼の驚異的な高綱渡りを目の当たりにすることが出来た僕にとってもこれは嬉しいことだ。

最後に、「道化師のソネット」がシングルでリリースされた時、最後のサビの部分に映画の時には無かった歌詞が加えられた。

 いつか真実(ほんとう)に
 笑いながら話せる日がくるから

原稿を書いている今、改めて強くこう願わずにはいられない。

2020.03.17
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カタリベ
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