山下久美子さんのデビューアルバム『バスルームから愛をこめて』は、木﨑賢治プロデューサーのアシスタントとして、ほとんど足手まといになりつつも、なんとか完成へ。しかし最大の失敗はそこで起こりました。
マルチ・トラック・テープに楽器毎に録音された音の、音質とかエフェクト(音響効果)とか音量バランスを調整して、2チャンネル・ステレオにまとめる作業、ミックス・ダウンとかトラック・ダウンと呼びますが、その際、完成形となったものからボーカルをミュートして、「カラオケ」も作ります。具体的に使う必要がなくても、とりあえず作っておきます。今ならすべてコンピュータ作業なので、データを消さない限り、完成形はいつでも再現できますが、それ以前はその時出ている音を完全に再現することは不可能でした。なのでカラオケも必ずその時に作っておくのです。しかし……
「カラオケ要る?」
レコーディング・エンジニアの内沼映二さんが私に訊きました。木﨑さんはおらず内沼さんと私と二人だけでした。私は、アイドルじゃあるまいしカラオケなんか使わないよな、と勝手に判断し、「要りません」と言い放ちました。そしてカラオケは作らず、全曲のミックス・ダウンを終えました。その後に、木﨑さんから、カラオケは作らなきゃいけないと言われ、愕然としました。
内沼さんに頼み込んで、カラオケ作成のためだけに、もう一度全曲ミックス・ダウンしてもらいました。内沼映二さんは日本のレコーディング・エンジニア界のレジェンドとも言うべき人です。その当時でも充分大御所でした。その大御所にそんなことをさせてしまって、もう消えてしまいたいような気持でした。
幸い、内沼さんはとても仕事が早い人で、1曲だいたい1時間くらいでできてしまうので、やり直し作業も1日で全曲分やってくださいました。普通は1曲数時間、中には丸1日かける人もいますから、そんな人にカラオケのためにもう一度なんてことになっていたら、スタジオ代がとんでもないことになるところでした。
それにしても、カラオケを作るのは常識なんてこと、内沼さんは当然知っていたはずですから、若僧の私が何と言おうと「作ったほうがいいよ」と一言言ってくれてもよかったんじゃないかな……。
さて、今度はセカンドシングルの話。1980年6月25日に「バスルームから愛をこめて」を発売したばかりでしたが、CMタイアップの話が来ました。トヨタのターセル&コルサという今は無きクルマ。木﨑さんから、「Cha Cha」のリズムでいこうというアイデアがあり、曲をデビューアルバムのアレンジでお世話になった松任谷正隆さんに、そして詞はその縁で奥さん、つまり松任谷由実さんにお願いしてみたら、受けてもらえました。早くもユーミンと仕事ができるなんて。私は小躍りしました。
しかし、やがて送られてきた「ワンダフルcha-cha」という歌詞は私が期待したものではありませんでした。人生の機微を印象的な言葉で見事に表現する、ユーミン・マジックがなかったのです。もう少しなんとかならないかと、私は何度か手直しをお願いしました。しかし、歌詞というものは枝葉末節を直したところで根本的には変わりません。やるなら最初から発想を変えて作り直すしかないのですが、その頃私はそんなこともよく分かっていませんでした。そして何度目かのやり取りの後、彼女のマネージャーさんから、これ以上対応できない、つまり言わば出入り禁止を宣言されてしまいました。
それから1年ほど経った頃だったと思いますが、久美子がやっていたラジオ番組のゲストに、ユーミンに来てもらったことがありました。私はその場にいたのですが、トークの中でユーミンは、「あなたのディレクターが天下のユーミンに、歌詞を何度も直させてさぁ…」という話を始め、私への怒りは全国に放送されました。よほど気に食わなかったんでしょう(笑)。
しかし私はユーミンを尊敬するからこそ敢えて言いますが、「ワンダフルcha-cha」はユーミンの歌詞の中で最もつまらないもののひとつでしょう(笑)。そしてこのシングルは、天下のトヨタがついていたにも関わらず、サッパリ売れませんでした。
2017.03.01
YouTube / tomorobin
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