6月20日

ローリング・ストーンズは最大の解散危機をどう乗り切ったのか?

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photo:UNIVERSAL MUSIC  

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The Rolling Stones / Emotional Rescue


ローリング・ストーンズはなぜ解散しないのか?


「ロックバンド」というものは興味深い、とつくづく思います。複数のミュージシャンが集って、演奏したり音楽作品をつくったりという共同作業をおこなう。すると、一人でする時にはない力が生じてきて、それはプラスだったりマイナスだったりします。どういう場合にプラスあるいはマイナスになるのかは、とても微妙な問題だとは思いますが、たぶん相手に対するリスペクトとか親愛の情が大きければプラスになることが多いでしょう。

そもそもなんらかそういう気持ちがあるからバンドを組むんでしょうから、結成からしばらくはプラスかと。自分ひとりではつくれないような音楽が生まれたり、絶妙なグルーヴの演奏ができたり。これがバンドの「魔力」です。だけど、やはり人間は自分勝手が本性ですから、だんだん共同作業のマイナス面が大きくなってゆく。その進行速度は人によって差があるでしょうが、でも間違いなく誰にも「もうアイツとはやってられない」と思う時がやってきます。深く親愛しあった関係ほどその反動で、気持ちは憎悪の域にまで達し、やがてバンドは解散するのです。これがバンドの「宿命」です。

バンドの魔力は優れた音楽を生み、音楽を愛する人類の心を豊かに潤してきましたが、弱点は長続きしないこと。壊れやすく儚い、砂の城のようなものなのです。

たとえば “The Beatles”。ジョンもポールもそれぞれにすごい音楽才能の持ち主ですが、やはりビートルズ時代の作品群は、個々ではつくれなかったと思います。ポールがまったく一人でつくったような「Yesterday」や「Let It Be」だって、ビートルズ時代だからできたと私は思っています。やはり “written by Lennon-McCartney” という魔力なんです。

そして10年足らずで、二人はお互いを罵り合いながら解散してしまいました。その時は残念だったし、悲しかったけど、やはり宿命、当然のなりゆきだったんですね。

ところがなぜか、ちっとも解散しないバンドもありますね。その代表が “The Rolling Stones”。60年代はビートルズと人気を二分しつつ、ビートルズ解散後の70年代に黄金期、魔力も最大限に発揮されましたが、しかしその後も活動が停滞することはなく、幾多の後輩バンドたちが次々と解散していく中、彼らはなんと今もバンドであり続けています。1963年のデビューから実にまもなく60年!こうなったらおそらくミックかキースのどちらかが亡くなるまで、解散はないでしょうね。たとえ身体も頭脳も衰えて活動できなくなることはあるとしても。

やはりあった解散の危機


なぜ、彼らは解散しなかったのか。いや、解散の危機がなかったはずはない。なんせバンドの宿命なんですから。それも活動歴が長いだけに、危機は二度や三度じゃなかったでしょう。実はかなり危険な事態が、アルバム『Emotional Rescue』の頃に起こっていたようです。

1977年2月、ライブアルバム『Love You Live』(1977)に収録するライブ録音のためにカナダのトロントを訪れた際、キース・リチャーズ(Keith Richards)がヘロイン所持により逮捕されました。当時カナダは薬物犯罪に厳しく、裁判所の判断次第では終身刑もありえたそうですが、結果的には、「カナダ盲人協会」のためにチャリティコンサートを行うことを条件に、保護観察処分という軽い判決となりました。「ヘロイン使用によって反社会的行動に出たわけではないので」というのがその理由だそうです。

横道に逸れますが、これは薬物犯罪に対して実にまっとうな判断だと思います。日本における過度な重罪扱いと不要なバッシングなどにいつも違和感を覚える私としては、40年以上も前からカナダではこんなに進んでいたんだと感心してしまいました。

しかしながら、裁判は長期に渡り、判決が出たのは1978年10月。その間にストーンズは、『Some Girls(女たち)』(1978)というアルバムを制作し、リリースしています。どういう判決が下されるかわからない不安と緊張の中、辛い薬物治療にも耐えながら、キースはよくレコード制作に関われたものですね。ふつうならこの間、バンドは一切活動休止となってもおかしくないところです。実はキースはすごくマジメな人なんだと思います。

ただ、ミック・ジャガー(Mic Jagger)は真剣に、もしキースが収監された場合の対応策を検討していたといいます。その可能性は高かったわけですから当然と言えば当然ですよね。そして、ミック・テイラー(Mick Taylor)の後任としてロン・ウッド(Ron Wood)を据えたばかりの時期ですから、さらにキースがいなくなったら、これはもうイヤでも「解散」という言葉がチラつきます。

もしかしたら、キースがいなくなる前にもう1作、アルバムをつくっておこう、という考えだったのかもしれません。折しも、70年代後半から台頭してきたパンクロッカーとその支持者たちに、ストーンズは商業主義に走ったオールドウェイヴと揶揄され、レコードの売上もやや低迷していました。

逆境は見事乗り切ったが…


火事場の馬鹿力。逆境がミックの闘志に火をつけたのでしょうか。キースの事件でバンドの動きが制限されている中、ミックはニューヨークのディスコ、「スタジオ54」に入り浸っていたそうですが、その成果か、ディスコサウンドのエッセンスを巧みに取り入れた「Miss You」が生まれました。このリードシングルが、「Angie(悲しみのアンジー)」(1973)以来、5年ぶりの全米1位。アルバム『Some Girls』もバンドのアルバム売上記録を更新する大ヒット。しかもその内容が高く評価され、ストーンズの存在感を改めて世界に知らしめる結果となったのです。パンクシーンからの批判など消し飛んでしまいました。

結局、“温情判決” により、キースはその心身を解放されましたが、バンドは、その判決が出る前、『Some Girls』が発売された1978年6月から間もない8月には、もう次作『Emotional Rescue』のレコーディングに取り掛かっています。なんと勤勉なバンドなんでしょう。まあ、彼らはスタジオで音を出しながら、そこで一から曲をつくっていくというやり方なので、自宅でぼんやり構想を練っているのと、気持ちはあまり変わらないのかもしれませんが。

1979年4月には前述のチャリティコンサートを挟みつつ、レコーディングは同年12月にようやく完了。80年6月20日に発売されると、アルバム『Emotional Rescue』は前作の余勢も駆って、全米、全英ともに1位と好成績を上げました。ただし、今度は評価が低かった。たしかにリードシングルの「Emotional Rescue」も、ディスコ調を踏襲した「Miss You」の二番煎じとも言えなくないし、アルバム全体的になんかこう、いまいち覇気がないと言うか…このアルバムの収録曲の半数はこれまでライブで演奏されたこともないそうです。

実は、本作のレコーディング中に、ミックとキースの関係がどんどん険悪になっていったようです。こうなるのは、何度も言うように、バンドの宿命=必然ですが、ふつうよりかなり遅い。その理由として考えられること。ストーンズの場合は、まず1969年に、当初リーダー格だったブライアン・ジョーンズが死亡するというショッキングなできごとが、そのあたりで訪れがちな解散危機を吹き飛ばしました。さらにその後任のミック・テイラーも1974年に脱退して、またプチ解散的な気分が漂ったことも、“ガス抜き” の役目を果たしたのではないかと思います。

ミックとキース、お互いを知り尽くしているからこその確執


しかし、少年の頃からのつきあいであるミックとキース、お互いを知り尽くしているからこその愛憎の深さゆえ、おそらく積年のわだかまりもマグマのように、爆発の機会を窺っていたのではないでしょうか。

そこへキースの裁判沙汰。バンドに対してイメージ的にも現実的にも大迷惑な事件に、ミックはさぞ憤ったでしょう。しかしその怒りをエネルギーに変えて、フル活動できないキースの分まで奮闘し、『Some Girls』を大成功させ、ストーンズのステイタスを立て直しました。ミックは、ほっと安堵するとともに、大きな自信も持ったことでしょう。『Emotional Rescue』のレコーディングを進めながら、ミックはキースに対し不満を隠さなくなっていったのでは、と想像します。

そして今度はキースのほうが憤るできごとがありました。『Emotional Rescue』リリースに際して、キースは(いつものように)ツアーをおこないたかったのですが、ミックは、時の恋人、ジェリー・ホールとのバカンスを優先させ、それを断ったのです。

二人の確執の深刻さは、次のアルバム『Tatoo You(刺青の男)』が、ほとんど過去のアウトテイクを元につくられたという事実に表れています。それでもアルバムは全米1位を9週連続して獲得、その後の全米ツアーは、その年の音楽市場で最大の売上=5000万ドルを稼ぎ上げました。

ストーンズ流の解散危機の乗り越え方


ここへきて、ストーンズはバンドという概念を超えて、「会社」のようなものになったのではないでしょうか。ミックは社長、キースは工場長、チャーリー・ワッツは管理部長(?)、ロン・ウッドは制作課長、ビル・ワイマンは万年係長(?)…。

親愛やリスペクトという人間関係で結びついたバンドならば、関係が崩壊すれば解散するしかありませんが、会社であれば、必要なのは利益追求への貢献性のみです。人間関係には目をつぶれる。ミック社長のもと、優良音楽企業となった「ザ・ローリング・ストーンズ株式会社」には、業績を上げられるかぎり、解散の理由などなくなったのです。ビル・ワイマンは、さぼってばかりなので、1992年にクビにしましたが…。

ロン・ウッドが1976年に加入してから、1993年までは正式メンバーではなく、給料制で雇われる形だったことは有名ですが、それっていわば「契約社員」ということで、つまり、この「会社化」を裏づける象徴的な事実なのではないでしょうか。

とは言え、ロン・ウッドの人のよさ(会ったことはないですが…)が、ミックとキースの人間関係の重要な緩衝材となって、最悪の事態を防ぐことに貢献したとも思っていますが、それについて語りだすと長くなりすぎるので、またいずれ別の機会に。

でも結局、『Emotional Rescue』の内容についてはちっとも語っていませんね。うーむ。



2021.06.06
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カタリベ
1954年生まれ
ふくおかとも彦
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