毎年、この世界史的偉人の命日がやってくると、ある曲を聴きたくなる。「リデンプション・ソング」だ。マーリーの生前最期のアルバム『アップライジング』のラストを飾る、弾き語りの温かい歌を涙無しに聴くことは不可能だ。
僕はこの歌を、僕の音楽の伝道師であるザ・クラッシュのフロントマン、ジョー・ストラマーのソロバージョンで初めて聴いた。15歳の僕には、この曲が神聖なものにすら感じられた。その感動は、今も変わらない。
それまで僕は、ザ・クラッシュでレゲエやダブなどのジャマイカ音楽の訓練を受けてはいたのだが、ドレッドヘアの言葉通り「恐ろしい = dread」髪型や、そこから来る先入観が邪魔をして、そこから音楽的な冒険をするのをためらっていたのだ。
加えてこのような事情もあった。例えば僕のクラスメイトとカラオケに行く。盛り上がる鉄板の曲は湘南乃風の「睡蓮花」だ。そのヴィデオでは、水着の女の子たちが浜辺でダンスをしている中、『レゲエ・砂浜・ビッグウェーブ~』と歌っている。
告白してしまうと当時の僕の頭には、このイメージが頭にこびりつき、そのせいでレゲエというジャンルを嫌厭していたのだ。しかし、ジョーの薫陶を受けて買ったボブ・マーリーの CD と付属の解説で、そのイメージは完全に覆された。そしてレゲエの、めくるめく世界にすっかり心酔してしまった。
レゲエを知るには、その精神的支柱 = ラスタファリアニズムに関連する知見や、宗教(特にユダヤ教)の知識が不可欠なのだ。それはもはや哲学である。しかし真にマーリーが偉大であるのは、そのような複雑な思想を持つラスタファリ運動を噛み砕き、わかりやすく合唱できるような温かさを持つ歌に仕立て上げた点にある。
話を「リデンプション・ソング」に戻そう。その歌詞は、奴隷としてアフリカから連れてこられた黒人たちの悲しみと、それを乗り越える力について歌っている。つまりこれも、他の彼の曲と同じく、レゲエの精神的支柱である深遠なラスタファリズムを解り易く歌ったものなのだ。
そして彼は「私は常に救済の歌、自由の歌を歌ってきた」と告白する。彼が「救済の歌」を歌い続けた場所、ジャマイカの70年代はまさに内乱状態であった。
国家非常事態宣言が長期にわたり宣告され、政治家がギャングを買収し殺し合いの対立をする中、マーリーは真剣に歌こそが状況を変えられるのだと信じ、暴力をやめるよう訴え続けた。時には暗殺されかけ亡命を余儀なくされても、彼はジャマイカの平和を願い歌った。文字通り、彼は命を懸け「救済の歌」を歌ったのだ。
彼によって、レゲエは世界中に広まった。ザ・クラッシュやポリス、UB40 ひいてはジョー山中に至るまで、その遺伝子は確実に受け継がれた。そして、平成生まれの僕にも彼の「救済の歌」は伝わり、心の大切な部分を占めている。
もう一度、彼の声を真摯に聴こう。国際情勢に何かと暗雲が立ち込める現代にこそ、彼の「救済の歌」は聴かれなくてはならないはずだ、そう僕は思う。
※2017年5月11日に掲載された記事をアップデート
2019.05.11
YouTube / Hellcat Records
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