ジャマイカの伝説的なアーティスト / プロデューサーであるリー・スクラッチ・ペリーは、ボブ・マーリーの歌が愛される理由について、冗談まじりにこんなことを言っている。 「いじらしいからな。信じてやりたくなる」 微笑ましいというか、年上のペリーからすると、そんな感じなのだろうか。確かにボブ・マーリーの歌声には、人々を鼓舞しながらも、どこか切なさが滲んでいる。戦いを煽るというよりは、共感を呼びかけ、連帯を生み出し、神に祈りを捧げているように聞こえる。 ボブ・マーリーがラスタファリズムを信仰していたのは、よく知られている。彼の歌には、ラスタの信条が色濃く反映されたものも多い。しかし、ラスタファリズムは、ジャマイカ国内においてさえ多数派の宗教ではない。それでもボブ・マーリーの歌が世界中の人達から愛されるのは、彼の音楽が宗教や人種の壁を越え、普遍的なメッセージとして聴く者の心に届くからに他ならない。 ボブの死後にリリースされたベスト盤『レジェンド』は、全世界で2,800万枚以上という驚異的なセールスを記録。全米チャートでは再発されるたびにチャートインを繰り返し、その合計数は992週。歴代2位のロングセラーレコードだという。もしボブ・マーリーがいなかったら、レゲエという音楽やラスタという宗教が、今ほど知られることはなかっただろう。 以前、「世界で一番有名なミュージシャンは誰か?」と問われ、僕は「ボブ・マーリー」と答えたことがある。すると、「ジョン・レノンじゃなくて?」と訊き返されたので、「どっちかでしょうね」と言った。酒場での他愛ない会話ではあったが、個人的な心情や身近な出来事を題材にした歌が、圧倒的な普遍性をもってしまうという点で、このふたりは似ているかもしれない。 レゲエを南国のゆるい音楽として楽しんでいる人たちはいるし、それ自体は問題ないのだが、ボブ・マーリーの音楽をより理解するためには、最低限度のラスタファリズムに関する知識があった方がいい気はする。 僕がそう感じたのは、「リデンプション・ソング(救済の歌)」の歌詞の意味を知ったときだった。この曲は、ボブ・マーリーが生前に残した最後のアルバム『アップライジング』のラストに収められており、アコースティックギターで切々と歌われる美しいナンバーだ。 一緒に歌ってほしい これら自由の歌を 俺がこれまで歌ってきたのは すべて救済の歌だから ラストアルバムの最後の曲ということもあり、僕は長い間「救済の歌」を、ボブの個人的な気持ちの吐露だと思っていた。でも、いつしか、これが「隷属からの解放」についての歌であり、奴隷船に売られた黒人達の悲しい歴史が刻まれていることに気づいたのだ。 ラスタファリズムには、“one love, one planet, and freedom for all nations” といって、すべてがひとつという信条がある。つまり、一人称の「I」で歌われてはいるが、それはボブ・マーリー個人を意味するものではなく、ジャー(神)の存在があり、ジャーに従うすべての同胞たちの声であると考えるべきだろう。そして、ジャーの下でボブも含めた同胞たちが歌い続けてきたのは、広い意味での神の救済と、隷属からの解放を求める自由の歌だったのだ。 けっして僕もラスタファリズムに詳しいわけではないが、この小さな気づきが与えてくれたものは大きかった。ボブ・マーリーが命をかけて世界に伝えようとしていたメッセージの一端を知り、目指していた地平の雄大さに驚き、彼の音楽をより身近に感じることができたのだから。 かつて、ボブ・マーリーはインタビューでこんな言葉を残している。「俺は黒人側でも白人側でもない。神側だ」と。それは、黒人と白人のハーフとして生まれ、多くの差別を受けながら育ったボブが、ラスタファリズムと出会ったことで見つけた自分の立ち位置だったと言える。 リー・ペリーは、ボブ・マーリーの歌を「いじらしい」と言った。 そうかもしれない。あの魂を削り取るような歌声を聴いていると、僕までそんな気がしてくる。愛さずにはいられないのだ。
2019.02.06
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YouTube / Bob Marley
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