1985年に「ステイ・ウィズ・ミー」をリリースした英国のバンド、エイス・ワンダーのボーカル、パッツィ・ケンジットはアイドルを絵に描いたような、女のコだった。
前髪パッツンのブロンドで外国産のお人形のような彼女のルックスに好感を持ったのは男子ばかりではない。きっと多くの女子も「かわいい」と思ったことだろう。
ところで「かわいい」いう言葉を10代の女の子たちが乱発するようになったのは、80年代の終わりから90年代ごろのことだったように思う。しかしこの「かわいい」という言葉は非常に厄介で、英語ではしばしば “Cute” と訳されるが、それはあくまで “幼い” という意味を含むので、日本のように動物やおばあちゃんにまで使ったりすることはない。これは極めて日本的な概念であるらしい。
そのことに気づいた一部の外国人は、今では日本的なものを包括して “Kawaii” という言葉をそのまま使うようになっている。例えばキティちゃんは “Kawaii” が、ミッキーは “Not Kawaii” だそうだから面白い。
オリンピックといった大きなスポーツイベントがあるとその成績もさることながら、必ず話題となるのは、どの競技のどこに美女がいたかということであったりする。平昌オリンピック(2018年)を例にあげると日本チームの活躍もあって露出が多かった「女子カーリング」が、その類のネタに事欠かなかった。よくネット上で名前が挙がったのはカナダや OAR(ロシア)の選手たちでいずれもブロンド美女たちである。
日本では昔から「色白は七難隠す」などといわれ、美女の条件とされてきたものだが、日本人が外国人を評するそれは、異なるものへの羨望の表れからブロンドの髪色ではないかと、オリンピアン美女探しの度に思うのだ。
パッツィ・ケンジットは、元々生粋のシンガーではない。子役時代からキャリアを積み、既にデヴィッド・ボウイの映画『ビギナーズ(Absolute Beginners)』への出演を果たしたほどの女優であった。
エイス・ワンダーは彼女の兄が結成したバンドであり、デビュー後もパッとしない兄のバンドにテコ入れを図るように加入し、ボーカル兼ビジュアル担当としてデビューを飾った。だからというわけではないが、お世辞にも歌は上手ではないし、さらに致命的だったのは、クチパクが絶望的に下手だったことだ。もちろん本国で通用するはずも無く「ステイ・ウィズ・ミー」は彼女のルックスがアイドル的に支持された日本で大ヒットとなった。
バンド名 “Eighth Wonder” の「8」にちなんでフジテレビのキャンペーンに採用されたことが、国内のヒットに拍車を掛けた。ホールターネックの超ミニのワンピ姿で飛び跳ねるように歌い踊る彼女の PV を観ていると否定的な見方は霧散してしまう。それはおそらく彼女から放たれる “危うさ” のような魅力。男の子なら放っておけないタイプのキャラクターを17才の彼女が自身に投影するかように演じきった結果であるから、その “子役上がり” の才能に舌を巻くしかない。
「危うさ」というのは、裏を返せば「何となくユルそう」ということでもある。ノリはいいけど、何となく意志が弱く、ムードに流されがちで、貞操観念が低い…。彼女の舌足らずで囁くようなボーカルが、色んな妄想を掻き立ててくれるのだ。日本の他にイタリアでもヒットしたというから、それは何となく理解できるような気がする。
また彼女を見ていると、60年代の英国音楽界のアイコンであるパティ・ボイドのことを思い出す。彼女こそ日本の洋楽ファンにブロンド美女を定義付けた存在といえるのではないだろうか。かのジョージ・ハリスンとエリック・クラプトンとの間で、ロック史に残る三角関係を築き、共に「サムシング」と「いとしのレイラ(Layla)」という、名曲を生み出すきっかけを作った張本人である。ビートルズを聴き始めた頃から「ジョージと一緒にいる彼女って、くっそカワイイなあ」と思って写真を眺めていたのだが、当時のパティ・ボイドにも、危うい魅力が感じられる。
一方のパッツィも私生活においては負けていない。彼女は4度の離婚を重ねているが、そのうちの二人はシンプル・マインズのジム・カー、オアシスのリアム・ギャラガーという大物ミュージシャンである。
人類学的には金髪・碧眼といういわゆるコーカソイド系白人の出現率から現代へ至るまで増加過程は、理論的には自然淘汰による増加率を大きく超えており、その原因は性淘汰によるものとする学説があるという。つまり金髪の女性が配偶者獲得競争で優位にあったということであり、有り体に言ってしまうと、ブロンドのオネーちゃんに対してエロさを感じるオスが多くて、子孫がより多い確率で増えていったということらしい。
果たして信じたものか怪しい部分もあるが、どうやら我々人類のオスには、人種を超えてブロンド女性に惹かれる DNA が受け継がれているのかもしれない。
さてエイス・ワンダーは、その後大物ミュージシャンからの楽曲提供を受けて、本国でも数曲をチャートインさせることができたが、パッツィの女優宣言を受けて、1989年には事実上解散状態となってしまう。
当のパッツィはその後『リーサル・ウェポン2 炎の約束』などの映画に出演し、スクリーンで魅力を振りまいてきたが、デビュー当時に比べて、あごのラインがシャープになり、より大人の女性らしく知的な雰囲気を身につけた結果、正直あの危うい魅力はどこかへ行ってしまった。活躍も英国内がメインのようだから、スクリーン上とはいえ、今後もなかなかお目にかかることは無いかもしれない。
ただ「ステイ・ウィズ・ミー」のあのキャッチーなイントロには、今もってワクワク感を増殖させられる。日本のバラエティ番組がコーナーの切替などの BGM で使用する度に、開店休業状態のバンドに幾ばくかの印税が入り、我々はまだ少女の面影を残したパッツィの姿を脳裏に思い起こすことができるのである。
※2018年3月4日に掲載された記事をアップデート
2019.03.04
YouTube / EighthWondMusicVEVO
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