1985年7月13日のライヴエイド。ロンドン、ウェンブリースタジアムでのデヴィッド・ボウイのパフォーマンスは、伝説となったクイーンの名パフォーマンスの次だったせいかあまり話題に上らない印象がある。しかし改めて見てみると、この日のボウイのパフォーマンスは、やはり歴史に残るべきユニークなものだった。
ボウイは淡いブルーのスーツで登場。見慣れないバックメンバーは、ケヴィン・アームストロング(ギター)、マシュー・セリグマン(ベース。元トンプソン・ツインズ)、ニール・コンティ(ドラム。当時プリファブ・スプラウト)、ペドロ・オーティス(パーカッション)、クレア・ハースト(サックス)、テッサ・ナイルズとヘレナ・スプリングス(コーラス)、そして’80年代の雄、トーマス・ドルビー(キーボード)であった。
ドルビーはアームストロングとセリグマンとバンドを組んでいたことがあり招かれたとのこと。ドルビー以外のメンバーは、ボウイの翌1986年のシングル「ビギナーズ(Absolute Beginners)」、並びにボウイとミック・ジャガーのライヴエイドのためのチャリティーシングル「ダンシング・イン・ザ・ストリート」のレコーディングメンバーであった。
来日も果たした1983年のシリアス・ムーンライトツアーとも、次の1987年のグラス・スパイダーツアーともメンバーが全く被っていない。のみならずこのメンバーでのライヴはこのライヴエイド1回きりだったのである。世紀の一大イベントで新しいバンドのライヴ筆おろし。いかにも絶えず変化を続けたボウイらしいではないか。
バンドは勢いこそあるもののやはりこなれてはいない印象。ボウイは「TVC 15」、「愛しき反抗(Rebel Rebel)」、「モダン・ラヴ」、「ヒーローズ」の4曲を歌った。この中でひときわ大きな歓声が上がったのが1983年の大ヒットアルバム『レッツ・ダンス』からの3rdシングル「モダン・ラヴ」であった。ヒットから僅か2年、当然のリアクションだろう。しかし逆に言うと’80年代の曲はこれだけだった。これまた、絶えず変化し続けるボウイらしいではないか。
最後の名曲「ヒーローズ」も時間が足りなかったのかテンポが速い。しかし観客のノリはクイーンの時に勝るとも劣らなかった。荒削りで勢いで押すライヴは、アメリカのRollingStone誌で “議論の余地はあるだろうがボウイ’80年代最後の勝利” と評された。前年’84年のアルバム『トゥナイト』、そして’87年の次作『ネヴァー・レット・ミー・ダウン』でボウイは『レッツ・ダンス』から下降線を辿ってしまう。遂には’88年にバンド、ティン・マシーンを結成、自らのソロ活動を休止してしまうのだ。『レッツ・ダンス』の大成功後苦闘するボウイにとって、新鮮なメンバーで臨んだライヴエイドは、確かに’80年代最後の上手く行った抵抗だったのかもしれない。
この時着ていたボウイの淡いブルーのスーツが、現在『DAVID BOWIE is』で日本に来ている。何とこのスーツ、1974年のダイアモンド・ドッグスツアーで着用されたフレディ・バレッティのスーツに手を加えたものだったとのこと。お気に入りだったのだろうが、世紀の大舞台に使い回しの11年前のスーツというのも、これまたやはりボウイらしいのかもしれない。
2017.02.10
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