9月28日

リリース40周年!本田美奈子の勝負曲「Temptation」がお茶の間の心を捉えたのはなぜ?

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本田美奈子のシングル「Temptation(誘惑)」がリリースされた日
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岩谷時子が育てようとした歌手・本田美奈子


以前、このRe:minderで、僕はユーミンをモデルにしたNHKの朝ドラを提案したけど(『松任谷由実デビュー50周年!2022年はユーミンのアニバーサリーイヤー』を参照)、実はもう1人、朝ドラのモデルに相応しい女性がいると思っている。

―― 岩谷時子サンだ。大スター越路吹雪のマネージャーにして、ザ・ピーナッツ、加山雄三、郷ひろみらのヒット曲を数多く手掛けた作詞家としても知られる稀代の才人。表舞台で輝くスターの影で、それを支える彼女の果たした役割は決して小さくない。多様な生き様が唱えられる今の時代だからこそ、岩谷サンの半生に光を当てる物語は人々の共感を得るだろう。タイトルは、彼女が越路吹雪のために​​訳詞した名曲をモチーフに『ラストダンス』なんてどうだろう。

そんな岩谷サンが晩年 “第2の越路吹雪" として育てようとしたのが、歌手の本田美奈子(本田美奈子.)だった。時に、1991年―― 世界的ミュージカル『ミス・サイゴン』の日本版の主演に抜擢された本田サンと、同舞台の訳詞を担当した岩谷サンさんはたちまち打ち解け、まるで子弟のような仲になったという。後年、彼女の超ロングトーンで有名な名曲「つばさ」を作詞したのも、岩谷サンである。ある意味、作詞家・岩谷時子のラストダンスのお相手は、本田美奈子だったとも――。

少々前置きが長くなったが、今回はその本田美奈子サンの話である。今日、9月28日に彼女の勝負曲だった「Temptation」がリリースからちょうど40年を迎えた。このコラムでは彼女のアイドル時代を取り上げるので、名前は「.(ドット)」を付けない、当時の表記で通させてもらう。

目指したのは演歌歌手。世が世なら“少女隊” になっていた?


さて、本田美奈子サン――。
デビューのキッカケは、当時のアイドル志望の少女たちの多くがそうしたように、日本テレビの『スター誕生!』だった―― と言いたいところだが、彼女は1982年、中学3年の時に同番組に出場して決選大会まで進むも、なんとレコード会社や芸能プロダクションから1社もプラカードの札が上がらなかった。

彼女(本名・工藤美奈子で出場)の名誉のために言っておくと、決してパフォーマンスが劣っていたワケじゃない。当時の様子は、YouTubeで探せば見られるけど、髪型は当時流行の聖子ちゃんカットであることを除けば、ビジュアルは僕らがよく知るアイドル本田美奈子だったし、歌唱力も既に完成されていた。歌い終わった後、舌を出す仕草も愛らしかった。難を挙げれば―― 逆に歌が上手すぎて、セミプロ臭がしたのかもしれない。事実、僕も動画サイトで映像を見て、一瞬 “演歌歌手っぽい” と思ってしまった。

彼女のデビューのチャンスは、翌1983年、高校1年の夏に訪れる。原宿で、芸能プロダクションのボンド企画にスカウトされたのだ。当時、ボンド企画は “少女隊" のメンバーを探しており、彼女も候補の1人とされた。世が世なら、本田サンは少女隊としてデビューしていたかもしれない。

ところが、事務所内オーディションにあたり、本田サンが歌ったのが、都はるみの「北の宿から」だった。実は本人はずっと演歌歌手を目指していて(僕の初見の感想は正しかった!)、その歌唱力に驚嘆した事務所は、彼女をソロとして売り出すことを決める。アイドル・本田美奈子の誕生である。

王道アイドル路線は下火になっていた1985年


デビューは1985年4月20日―― シングル「殺意のバカンス」だった。作詞・売野雅勇、作曲・筒美京平の強力タッグ。一見、新人アイドルらしからぬタイトルだが、当初、予定されていた「好きと言いなさい」(こちらはセカンドシングルに)から変更したのは、王道アイドルに見られたくない、本田サン本人のたっての希望だったという。

実際、1985年当時、王道アイドル路線は下火になっており(前年デビューの岡田有希子すら古いと言われた)、各新人ともデビューのインパクトを模索していたのは事実。同期で言えば、斉藤由貴は前年に『青春という名のラーメン・胸騒ぎチャーシュー』(明星食品)のCMでいち早くブレイクして、名曲「卒業」でデビュー。中山美穂はテレビドラマ『毎度おさわがせします』(TBS系)で衝撃の登場を飾り、デビュー曲のタイトルも思わせぶりな「『C』」だった。

ちなみに、1985年デビュー組は他に、セイントフォー、松本典子、芳本美代子、橋本美加子、佐野量子、志村香、岡本舞子、浅香唯、南野陽子―― と、なかなかの布陣。この中で爪痕を残すのは大変だった。本田サンもデビュー曲こそ、『ザ・ベストテン』(TBS系)のコーナー “今週のスポットライト” をはじめ、様々な歌番組で披露され、その歌唱力が話題になるも、2曲目、3曲目はそこまでハネず。同期の中でも3〜4番手という印象だった。ところが、同年9月28日にリリースされた4枚目のシングルが、この状況を一変させる。「Temptation(誘惑)」である。

 岬に立てば 強い潮風
 スカートの裾 じゃれついてるわ
 微妙な視線投げるあなたに
 何故なの? 心さわぐ感じよ



秋から本格化する賞レースに挑む “勝負曲” 「Temptation(誘惑)」


デビューから3曲続いた売野・筒美タッグが、この曲から作詞に松本隆サンを迎え、松本隆・筒美京平コンビに―― そう、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」や桑名正博の「セクシャルバイオレットNo.1」、斉藤由貴の「卒業」など、数々の名曲を生んだ最強タッグである。

新人アイドルにとって9月リリースの楽曲は特別な意味を持つ。秋から本格化する賞レースに挑む “勝負曲” だからである。1980年代当時は賞形式の音楽祭が乱立しており、民放各局は競うようにゴールデンタイムに放送した。各賞にノミネートされた歌手たちは壇上で “勝負曲” を披露し、最優秀賞の発表を待つ。視聴率も高く、知名度の低い新人アイドルにとって、お茶の間に顔と名前を覚えてもらう絶好の機会だった。

 望遠鏡で沖のヨットを
 覗いた隙に肩を抱くのね
 予感通りにせまるあなたに
 計算違い 髪がときめく

だが、一方で、あえて賞レースを辞退する歌手たちもいた。1985年デビュー組では、トップを快走する斉藤由貴サンがそう。“本業(女優)に専念したい” が表向きの理由だったが、一部では話題作りとも言われた。また、中山美穂サンは事務所としてあまり賞レースに積極的に見えなかったが―― こちらは大晦日のTBS『輝く!日本レコード大賞』で最優秀新人賞という逆転満塁ホームランを放つ。言うまでもなく、同局のドラマへの貢献度が認められたカタチだった。

そんな本命不在の中、本田美奈子サンは1985年の新人賞レースでじわじわと存在感を高めていく。「本田美奈子、歌うめーな!」――そんな言葉が、お茶の間で聞かれ始めた頃だった。

第16回「日本歌謡大賞」の新人賞に輝く


 ああ 誘惑して
 心の中で 私が叫ぶ
 ああ 誘惑しないで
 違う私が ブレーキかける

音楽祭は、普段、アイドル番組や音楽番組を見ない層もチャンネルを合わせるので、彼らの評価は比較的フラットだった。本田美奈子サンは、そのビジュアルの良さもさることながら、華奢な体からは想像できない、伸びのある歌声と、圧倒的な歌の上手さがたちまち評判になった。

楽曲もよかった。覚えやすいポップな筒美メロディに、物語性を帯びたドラマティックな松本隆ワールドの詞。一聴して耳に馴染みやすく、聴くほどに癖になった。各種歌謡祭で歌唱を重ねるうち、お茶の間の誰もが新人離れした本田サンの実力を高く評価するようになっていた。

本田サンと同い年だった僕も、その1人だった。同曲で特に僕が惹かれたパートが、サビ前の一節だった。なんというか、演歌っぽく聴こえたのだ。

 いえ いえ まだ まだ
 その手には乗らないわ

1970年代後半から1980年代半ばにかけてのアイドルソングは、時々ふと演歌に聴こえることもあった。そもそも、どちらも歌謡曲を源流としているので、親戚と言えば親戚だ。歌の上手いアイドルの場合、その節回しが余計にそう感じることがあった。僕にとっての本田サンが、まさにそうだった。

 ときめいて Temptation
 夢がひとひら
 謎めいて Temptation
 心うらはら

1985年11月28日、日本武道館で行われた第16回『日本歌謡大賞』の放送音楽新人賞に、本田美奈子サンは芳本美代子サンと共に選出される。大晦日の日本レコード大賞と並ぶ賞レースの東西横綱と称される同賞の栄冠は、名実ともに1985年にデビューした新人アイドルのトップグループの1人に選ばれたことを意味した。



ミュージカルで花開いた本田美奈子のキャリア


かつて、劇団四季の浅利圭太サンが、自身が演出を手掛けた越路吹雪サンについて “シャントゥーズ・レアリスト” (真実を歌う歌手)と評したことがあった。シャンソン歌手の中でも、とりわけ心の中のリアリティや愛や悲しみを感覚的に歌いあげる歌手をそう呼ぶらしいが――、ジャンルこそ違えど、本田美奈子サンにも同じニオイを感じる。

図らずも、「Temptation(誘惑)」が深くお茶の間の心を捉えたのは、同曲をどこか演歌的に歌う本田サンに寄る部分も大きかったのではないか。歌に魂が宿るという意味において、演歌もシャンソンも同根である。

1990年代、本田美奈子サンは『ミス・サイゴン』を始め、数々のミュージカルに出演して、自身のキャリアを花開かせた。心の中のリアリティを心情豊かに歌い上げるミュージカル女優が彼女の天職となったのは、別に驚く話じゃない。初めから、それは約束された場所であったとすら思える。

2005年11月6日、本田美奈子サンは天国へ旅立たれた。奇しくも、その翌日が越路吹雪さんの命日だった。


Updated article:2025/09/28
Previous article:2022/07/31

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2025.09.28
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Yuugen
アイドル歌手には全く興味のない私ですが、不思議なもので7月31日に1980年代のテレビドラマ主題歌のプレイリストをクルマのオーディオにインストール。「パパはニュースキャスター」の主題歌は外せないなと収録していました。
改めて彼女の力量の高さを感じました。惜しいなぁ・・・。
2022/08/03 02:16
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カタリベ
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