モチーフは友人でありバンドメイト「ボビー・ジーン」
「ボビー・ジーン」は、ブルース・スプリングスティーンの10代からの友人であり、バンドメイトでもあるスティーヴ・ヴァン・ザントとの友情をモチーフにして書かれた曲だ。ブルースにとって最大のヒット作となったアルバム『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』に収録されている。
スティーヴ・ヴァン・ザントは、このアルバムを最後にEストリート・バンドを去り、リリースに合わせて行われたワールドツアーには参加していない。
「若いころティーンクラブで、俺たちは友人同士というだけでなく、友好的なライバルでもあった」というブルースの言葉通り、ふたりの関係は親友と呼ぶにふさわしいものだった。
名作『ボーン・トゥ・ラン』の制作途中、スティーヴはスタジオにふらりとやって来ると、ブルースが完全に煮詰まっていた「凍てついた十番街(Tenth Avenue Freeze-Out)」のホーンアレンジを見事に解決してみせた。そのときブルースは、「よし、どうやらあいつをバンドに呼ぶ時が来たようだな」と言って喜んだという。
“スプリングスティーンの右腕”だったスティーヴ・ヴァン・ザント
それからスティーヴはEストリート・バンドのメンバーとなり、長い間「スプリングスティーンの右腕」という役割を担うことになる。しかし、そんな関係がいつまでもつづくはずはなかった。なぜなら、彼とブルースは、友人であるのと同じくらいライバルでもあったからだ。
『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』を制作中だったある夜、スティーヴはニューヨークのホテルにいるブルースを訪ね、バンド脱退を告げた。バンドに残る方法もあったはずだが、このときはそうはならなかった。
実を言うと、『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』の半数以上の曲は、前作『ネブラスカ』が完成する前にレコーディングされている。しかし、制作はそこから難航。ブルースは一旦休みを入れ、『ネブラスカ』をリリースした後、再びこのアルバムに取りかかっているのだ。
「ボビー・ジーン」が書かれたのは、そんなときだった。
心情をストレートに表現したブルース・スプリングスティーン
16歳で知り合い、同じ音楽が好きで、同じバンドが好きで、同じ服が好きだった友人が、突然自分の前から姿を消してしまう。この歌の主人公は、その友人がいかに特別な存在だったかを噛み締めている。
俺たちは雨の中を歩きながら
けっして他人には見せない痛みについて語り合った
もうどこにもいない
お前のように俺を理解してくれる奴は
でも、主人公は友人が去って行った現実を受け入れている。それは、止めることができないのを知っているからだろう。そして、「もしモーテルのラジオから俺が歌うこの曲が聴こえてきたら」と言って、こうつづけるのだ。
きっとわかるはずだよ
俺がお前のことを想っていて
俺たちを隔てる距離について考えていることを
そして、俺はもう一度呼びかける
お前の気持ちを変えるためではなく
お前がいなくなって淋しいとだけ伝えるために
グッドラック、グッドバイ
ボビー・ジーン
ブルースにとってのボビー・ジーンが、スティーヴであることは明らかだ。ブルースが特定の人物に向けてここまでストレートに気持ちを吐露したのは、このときが初めてかもしれない。
「ボビー・ジーン」は、アルバムが発売された当初から特に人気の高いナンバーだった。哀愁のあるメロディーをもったミドルテンポのロックンロールで、事情を知らない者の胸をかきむしるのに十分なだけの情感に溢れていた。
「ボーン・イン・ザ・U.S.A.」全12曲中7曲が全米トップ10!
『ボーン・イン・ザ・U.S.A.』からは、全12曲のうち7曲がシングルカットされ、すべて全米トップ10にランクインした。けれど、「ボビー・ジーン」がシングルになることは最後までなかった。そこにブルースの心情を見て取れるような気がする。
僕は「ボビー・ジーン」を聴きながら、いつか自分にもこんな友人ができたらいいなとよく思った。それは今でも思いつづけていることかもしれない。
スティーヴが脱退を告げるために部屋を訪れた夜のことを、ブルースはこんな風に回想している。
「あの夜、別れぎわにスティーヴはドアのところでしばし足を止めた。俺は友人でもある右腕を失う不安に胸をふさがれながら、こう言った。俺たちはこうして別々の道を行くが、俺は今でもお前の親友だ。俺たちは互いに親友だ。この友情が消えてしまわないことを願っていると」
そして、友情は消えなかった。長い年月を経て、ブルースとスティーヴは今も同じステージでギターを弾いている。
※2017年7月18日、2019年6月4日に掲載された記事のタイトルと見出しを変更
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2022.06.04