5月27日

HSAS、サミー・ヘイガーとニール・ショーンによる幻のプロジェクト!

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メンバーのイニシャルを繋げたバンド名「HSAS」


ジャーニーのニール・ショーンが本日2月27日に66回目のバースデイを迎えた。彼は長きに渡るキャリアにおいて、ジャーニー以外でも多数の音楽活動を行ってきた。今回取り上げる HSAS(ヘイガー、ショーン、アーロンソン、シュリーヴ)もそのひとつだが、彼らが残した音源はアルバム1枚だけで、行ったライヴも数回のみ。

以前のコラム『80年代の七不思議!なぜか不発に終わったグレン・ヒューズのプロジェクト』で取り上げたヒューズ / スロールと並んで、僕にとって忘れられない、80年代が生んだ幻のプロジェクトだ。

歴戦の強者たち、サミー・ヘイガー、ニール・ショーン、ケニー・アーロンソン、マイケル・シュリーヴ


メンバー4人のイニシャルを繋げて名付けたHSASの “H” と “S” は、説明不要のサミー・ヘイガーとニール・ショーンの2人。

“A” のケニー・アーロンソンはデリンジャー等を経て HSAS に参加後、ジョーン・ジェット・アンド・ザ・ブラックハーツを始め、数多の著名ロックアーティストとのツアー、レコーディングのキャリアを誇る売れっ子ベーシストだ。

最後の “S” マイケル・シュリーヴは、ニールと活動を共にした初期サンタナのドラマーとして知られており、伝説のウッドストックに弱冠20歳で出演。ロックのみならず幅広いジャンルで活躍し、パーカッション奏者としてもローリング・ストーンズ等の作品に参加するなど、多彩な活動をしてきた。

そんな歴戦の強者が揃った HSAS の発端は、かねてからサミーのアルバムにニールがゲスト参加するなど面識のあった2人が、それぞれの多忙な活動の狭間で意気投合したことに始まる。

ライヴ音源をベースに制作された唯一のアルバム「炎の響宴」


80年代のジャーニーの音楽性において、ニールがギタリストとして一定の制約を感じていたのは事実だろう。当時、全米を席巻しつつあったギター中心の HM/HR の影響で、彼の “ギタリスト魂” に火がついたのは想像に難くない。そういえば、スティーヴ・ペリーが USAフォー・アフリカ「ウィ・アー・ザ・ワールド」に参加する一方、ニールがその HM/HR 版であるヒア・アンド・エイドの「スターズ」に参加したのは、どこか象徴的な出来事だった。

サミーにしても、モントローズ脱退後はソロキャリアで成功を納めたものの、メンバー同士が対等な関係で火花を散らすバンドの一員としても、再びプレイしたい欲求がもたげていたのではないか。かくして2人は、新たな野望を抱いて動き始める。

通常ならこの後、スタジオでレコーディングしてライヴ、という流れが定石だが、HSAS の活動は異例の展開を見せる。彼らは短期間のリハを行っただけで、83年11月に地元サンフランシスコの約2000人キャパの会場で、ほぼ新曲のみによる数回のライヴをいきなり敢行。その模様をレコーディングし、MTV 用にライヴシューティングまで行う。その時の素材は、客席の歓声を大半カットし、一部オーバーダビングを加え、約半年後に『炎の響宴(Through the Fire)』としてリリースされた。

ジャーニーやサミー・ヘイガーのソロとは異なる世界観!


アルバムはニールのハードなギターリフを合図に「トップ・オブ・ザ・ロック」で幕を開ける。ジャーニーよりもハードさを増した音像とヴォーカルに専念したサミーの熱い歌唱に惹きつけられる。ケニー、マイケルのリズム隊とのコンビネーションも抜群で、急造のプロジェクトとは到底思えない。

哀愁の美旋律が胸をうつメロディアスハードの佳曲「忘れじの面影(Missing You)」はジャーニーファンも納得の作風だが、変拍子やラッシュ風のメロディまで飛び出す「アニメイション」、重厚さが漂う「王家の谷(Valley of the Kings)」「遥かなるギザ(Giza)」では、メンバーの高い技量を示しながら、ジャーニーやサミーのソロとは異なる世界観を披露する。

プロコル・ハルム不朽の名曲「青い影」もカヴァー


LP でB面1曲目に収められたのが、プロコル・ハルムの不朽の名曲「青い影(A Whiter Shade of Pale)」。僕はこの HSAS によるカヴァーが大好きだ。情感溢れるサミーの歌唱と俊逸なアレンジで、原曲をリスペクトしながらも新たな魅力を見事に生み出している。中間部にオルガンで奏でられる永遠なる旋律を、ロングディレイの効いたギターソロに置き換えたニールのプレイは、とりわけ深い感動をもたらす。

ヘヴィ&ストレートな「ホット&ダーティ」、起伏のある構成と捻ったコードワークに曲作りの妙を味わえる「ヒー・ウィル・アンダースタンド」を経て、アップテンポでドライヴしまくるハードロック「マイ・ホーム・タウン」でアルバムは締め括られる、実際のライヴでは、あと数曲のオリジナルが披露されたが、残念ながら未収録だ。それでも急造のプロジェクトによるライヴ録音を基にした作品とは思えないクオリティの高さに驚かされる。

ニールはジャーニーの活動に追われ、サミーはヴァン・ヘイレンに電撃加入


何より特筆すべきなのが、サミーのヴォーカルとニールのギターの相性の良さだ。ジャーニーの縛りから解き放たれて縦横無尽に弾きまくるニールと、バンドならではのヴァイブを存分に堪能しながら熱い歌唱をぶつけるサミー。終始お互いが高め補完し合うような様は、ライヴという緊張感も相まって、まさにマジックを起こしている。それはボトムを支える百戦錬磨のリズム隊、ケニーとマイケルの的確なプレイもあってこそだろう。

スタジオライヴ的な作品ながら、アルバムは全米42位にランクインし、鮮烈なデビューを果たした HSAS だったが、ニールはジャーニーの活動に追われ、サミーはソロ作『VOA(ヴォイス・オブ・アメリカ)』を発表後、周知の通りヴァン・ヘイレンに電撃加入。残念ながら短期間で自然消滅してしまった。

HSAS での活動がシーンに与えた影響は?


それでも、HSAS での活動がなければ、ニールの中でギタリストとしてのフラストレーションが溜まり、ジャーニーのその後に変化が起こったかも知れないし、サミーにしても、バンドの魅力を再確認しなければ、ヴァン・ヘイレン加入を決断しなかったかも知れない。そう考えると、HSAS がシーンに与えた影響は少なくなかったはずだ。

2002年、サミーとニールは新プロジェクトで活動を共にするも、“HSAS よ再び” とはならなかった。『炎の響宴』の日本盤は暫く廃盤状態だったが、近年になり廉価盤CD等で再発された。さらに、各種ストリーミングサービスでも最近になって権利関係がクリアになったのは嬉しい限りだ。

YouTube では MTV 用のライヴ映像や、未発表曲など貴重なコンテンツも散見されるが、改めて HSAS の魅力を再認識できる。80年代真っ只中に西海岸の夜を熱いロックで焦がした “炎の響宴”。願わくば、貴重な映像や音源がオフィシャル作品として、いつの日かリリースされることを切に願いたい。

2020.02.27
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  Apple Music
 

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カタリベ
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