CBSソニー洋楽でスプリングスティーン担当の私は、具体的なUS発売日が見えてくると、俄然忙しくなります。 このクラスの新譜発売時は、全社をあげて緊急発売体制をとってます。換言すると、最優先の製造工程で商品を作りあげるという事です。一日も早くユーザーに新譜を届けたいからなのですが、その裏の理由として、当時拡大しつつあった輸入盤の存在があり、我々にプレッシャーを与えていたからです。 後には、この売り上げも国内盤同様に洋楽部門を支える事になりますが、当時の輸入盤は並行輸入業者のビジネスでした。安くて早い輸入盤は我々洋楽レコード会社からは大きな脅威となっていたのです。特に彼のファンは輸入盤志向も強いし、誰よりも早く聴きたい、と思っていたはずです。つまり、我々が販売するスプリングスティーンの商品にとって最大のライバルは、US 本国からの彼の輸入盤でした。 国内盤の商品制作は全てアルバムパーツ(マスターテープ&ジャケット・フィルム類)の到着から始まります。待ちに待った CBS からの情報が入ると、国際部スタッフがカーゴ便到着の千葉でピックし速攻で戻り、制作管理部経由でフィルムは印刷会社へ。そして、マスターテープは私が信濃町スタジオでチェック。そしてそのままトラック便が静岡工場へと突っ走ります。生鮮食料並みのスピードです。 US からのパーツは全部揃いました。あとは日本で準備するもの次第です。 対訳はカセットコピーと歌詞を長野にお住いの三浦久さんに宛て、速達で郵送―― 対訳は絶対に三浦さんでないとダメなのです。 ライナー原稿は、あらかじめ準備しておきました。評論家に発注している時間的余裕がない事もありますが、今回の作品がどういう位置づけのものなのかを語るには情報が無さすぎです。つまり、このアルバムでスプリングスティーンを初めて購入したというユーザー向けに、彼がどういう生い立ちと経歴のアーティストで、過去にどういう作品を発表していたのかなどを紹介しなければならないのですが、私の場合はいつも新規ユーザーを意識した分かり易いものを心がけていました。 LP商品を製造するには実際2週間もあれば十分ですが、店頭での販売準備までには、さらに時間が必要でした。これは日本の音楽産業の特殊な流通事情が絡んでいます。メーカーと直取引以外の店は、卸(いわゆる星光堂など)から仕入れます。当時、市場の半分近くは卸が取り扱っていました。全国一斉発売が絶対ルールです。しかもレコードは再販商品ですし、価格は日本全国どこでも同じでした。 つまり渋谷の大型レコード店でも、例えば卸の傘下店である北海道・根室のお店でも、同じ日に発売しないとダメなのです。商品が完成しているのなら、ファンやユーザーも多い東京や大阪名古屋などの大都市には優先的に発売したいものですが、それは不可能な事でした。 CBSソニー静岡の倉庫から卸会社に送られ、さらにそこから地元の契約店に届くまで待たねばなりません。そして国内盤の発売日は6月21日に決定しました。輸入盤入荷日に遅れる事2週間ぐらいだったはずです。 信濃町にあった CBSソニースタジオで最初にこのアルバムを聴いた時の感想は、今でもよく覚えています。音をチェックしながら、私はただひたすらに嬉しくてニコニコしていましたーー CBS からは、“今度の作品は、とんでもないロックアルバムになるぞ” と聞かされていたものの、それはその期待感を遥かに超えたものでした。分かり易く言うと、ヒットシングルがいっぱい入ってるぞという喜びです。 仕事ですからアルバムを沢山売らなきゃいけません。カリスマ的人気を誇るスプリングスティーンと言えども、それまでヒット曲と言えるのは、「ハングリー・ハート」ぐらいのもの。それが今作では強烈に武装されていました。 それまでの洋楽プロモーションのメインは音楽誌とラジオ。そして80年代に入り MTV、洋楽のヒットメディアにTVも加わりました。ということで、ますますシングルヒット曲の数とスケールがアルバムセールスをリードする時代となっていました。 勝つとか負けるって話じゃありませんが、あの日、音の無事を確認しマスターテープを工場へ送る手続きを終え、私は市ヶ谷に戻る電車の中で “よかった。勝った。これはすごい” と強い手応えを感じて体中にアドレナリンが出まくっていました。 夜遅く会社に戻り、私を待っていた仲間達に、「すごいアルバムが来たぜ!」って、テンション高く叫びました。そして、デスクでカセットテープを爆音で鳴らしながら、朝方近くまで原稿を作成しました。 ディレクターの仕事―― なにより商品制作です。そしてマーケティングコンセプトをつくり、キャッチコピーを考え、宣伝&販売資料を作成します。実務的には原稿を書くことばかりです。アルバムを聴いた感動そのものでアルバムの帯コピーも作りました。 “今、すべてを越えて感動のロックン・ロールを。” 小細工なしに、自分の気持ちそのままです。そしてアルバムタイトルもくれぐれも英語表記にしてくれと、関係各部門にお願いしました。簡単な英語ですし、カナで “ボーン・イン・ザ・U.S.A.” となると、字面がしまりません。発売当初は、メディアでのアルバム紹介も英語でやってくれていましたが、時の経過の中で、いつしか “ボーン” とカタカナになってしまいました。いつか再発売のタイミングで英語表記に戻してくれないかなと期待しています。 結果、収録全12曲中、7枚のシングルカット、その全てが TOP10 にはいる大ヒット。翌年には初めての日本公演も実現しました。1年半に亘るワールドツアーも大成功し、アルバムは1000万枚を越えるメガセールスを記録。レーガン政権下でのロサンゼルスオリンピックの開催と重なり、この異常な熱量は社会現象化したほどです。 もちろん大ヒットは予想通りでしたが、ここまでのセールスは想定外。それにしてもこれだけシングルカットしているのに、名曲「ノー・サレンダー」と「ボビー・ジーン」が発売されなかった事は、いまだに理解できません。
2018.06.21
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