1973年 10月5日

チューリップ「夏色のおもいで」色使いの名人 松本隆の職業作詞家デビュー作!

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photo:NIPPON COLUMBIA  

人生は100色入りの色鉛筆みたいなもの、どれひとつとして無駄な色はない


先日、オラが町に三谷幸喜サンがやってきた。

オラが町、福岡県新宮町である。人口3万3000人。海に面し、背後には山が控え、その間に田園が広がる―― 早い話が田舎である。なぜ、こんな片田舎に脚本家の大先生が講演で来られたのか、よく分からない。手がかりとしては、三谷サンの御両親は九州のお生まれで、ご自身も幼少期に半年間ほど博多で暮らしたことがあるそうで、曰く「僕のルーツは福岡にある」。何か、その辺りも影響したのかもしれない。

その日、三谷サンは初めにこんな話をした。

「このコロナ禍で、僕のいるエンタメ業界は、よく “不要不急” と言われます。確かにそうかもしれません。でも、この間、ふと気づいたんです」

そして、この春、小学校に入学した息子さんに買った色鉛筆について語り始めた。普通なら12色入りの商品を選ぶところ、つい親心で100色入りを買ったと。これで思う存分、好きな色を塗らせてあげようと。でも、そこは小学1年生。どうしても青や赤などメジャーな色に走りがちで、気がつけば、使い込んで短くなった色鉛筆と、未使用のまま長い色鉛筆の二極化が進んでいたという。

「12色入りの色鉛筆には、やはり意味があったんです。メーカーさん、ごめんなさい」

―― ところが、ある日、三谷さんがふと、開いたままの息子さんの色鉛筆のケースを覗くと、ビリジアンの色鉛筆が少し短くなっているのに気がついたそう。その瞬間、三谷さんの脳裏に電流が走った。

「ビリジアンの色鉛筆って、多分、不要不急なんです。でも、時々使いたくなる。そして使うと、多分楽しい―― まるで、僕が生業とするエンタメのように」

そして、その話をこう結んだ。

「人生は、100色入りの色鉛筆みたいなものかもしれません。不要不急の色もあれば、そうでない色もある。でも、どれひとつとして無駄な色はないんです」

色使いの名人、松本隆の職業作詞家デビュー作「夏色のおもいで」


―― いかがだろう。なぜ、こんな話をしたかというと、今回、僕が取り上げる楽曲が、松本隆サンの作詞家活動50周年トリビュートアルバム『風街に連れてって!』から、松本サンの “職業作詞家” デビューとなる「夏色のおもいで」だから。そう、松本サンと言えば、色使いの名人。

例えば―― 竹内まりやサンの「SEPTEMBER」では「♪辛子色のシャツ 追いながら」、大滝詠一サンの「君は天然色」では「♪想い出はモノクローム 色を点けてくれ」、松田聖子サンの「赤いスイートピー」では「♪春色の汽車に乗って」

―― いずれも色が重要なファクターになっている。そのスタイルは、職業作詞家デビューとなる同曲から、既に始まっていたのである。

チューリップをアイドルバンドに押し上げた「夏色のおもいで」


 きみの眼を見てると
 海を想い出すんだ
 淡い青が溶けて
 何故か悲しくなるんだ

「夏色のおもいで」は、チューリップの4枚目のシングルである。作詞・松本隆、作曲・財津和夫。リリースは、1973年10月5日。大ヒットした前シングル「心の旅」から始まる、いわゆる姫野ボーカル3部作の2番目に当たる。ちなみに、次のシングルが「銀の指環」である。いずれも、財津和夫サンのポップなメロディと、姫野達也サンの甘い歌声とマスクがマッチして、チューリップを一躍アイドルバンドへと押し上げた。

一方、松本隆サンは、所属していた「はっぴいえんど」が1972年大晦日をもって解散。翌73年から音楽プロデューサーとして独り立ちするも、友人の南佳孝サンに手掛けたファーストアルバム『摩天楼のヒロイン』(同年9月21日リリース)がクオリティは評価されながらも、当の南サンから「これはあなたのアルバムだ」と言われたのがトラウマになる。

プロデュース業に限界を感じ、職業作詞家への転身を図っていたところに、タイミングよくチューリップのプロデューサーを務める東芝EMI(当時)の新田和長サンから作詞の依頼が来たのである。

「売れる詞を書いてほしい」というストレートな発注に戸惑いつつも、松本サンが悩みつつも書き上げた詞は、図らずも松本サンのその後の作詞家人生を方向付ける “色” をまといつつ、更に自身のレーゾンデートルである “風街” を彷彿とさせるワードも入っていた。

 きみをさらってゆく 風になりたいな
 きみをさらってゆく 風になりたいよ

ちなみに、風街とは、松本サンが10代の頃に過ごした60年代の青山・渋谷・麻布を結ぶ界隈の原風景を指しているという。俗に、人は10代で影響を受けたカルチャーに一生縛られる(褒めてます)というが、それが松本サンの場合、“風街” なのだ。レーゾンデートル。

プロデューサーの決断と財津和夫の葛藤


だが―― 全てが順調に進んだワケではなかった。これらのクリエイティブの裏では、一人の男の葛藤があったことを忘れてはならない。その人物こそ誰あろう、チューリップのリーダー、財津和夫その人である。

前シングル「心の旅」で、レコーディング直前に財津サンがボーカルの交代を告げられ、メンバー最年少の姫野達也サンが抜擢されたのは有名な話だ。

チューリップはメンバー全員が作詞作曲できるが、基本的には作った本人がリードボーカルをとる。財津サンは当然、自分が歌うつもりでいた。しかし、彼が歌ったこれまで2枚のシングルとも売れず、3枚目も同じ結果なら、チューリップは福岡に戻される背水の陣だった。

プロデューサーの新田サンは、ラブソングの「心の旅」は、姫野サンこそ相応しいと、非情な決断を下した。そしてリリースから5ヶ月後の1973年9月――同曲はオリコン1位となり、チューリップは売れた。しかも姫野サンのルックスの効果もあり、アイドルバンドになった。財津和夫サンは複雑な心境ながら、これらの結果を全て受け入れた。

そうなると、次の4枚目のシングルも同じ戦略でリリースされるのは必然だった。ここで、財津サンに更なる試練が降りかかる。プロデューサーの新田サンは、次作の詞は財津サンのものではなく、外部に委ねたいという。元はっぴいえんどの松本隆サンの名が告げられた時、財津サンは頭を抱えた。リードボーカルの次に作詞も奪われ、自分は何者だろうと――。

メロディワーク、歌詞、ボーカルが調和した珠玉のポップソング


 夏はいつのまにか
 翼をたたんだけれど
 ぼくたちのこの愛
 誰にもぬすめはしない

―― だが、その悩みは、松本サンから上がってきた詞を目にした瞬間、どこかへ吹き飛ぶ。財津サンは当時の心境を振り返り、「頭を殴られるような思いだった」と回想している。「それはそれは素晴らしいものでした。これが作詞というものなんだ」と。

「夏色のおもいで」は、リリースされるや快調にチャートを駆け上がり、スマッシュヒット。最高位の14位は、「心の旅」、「虹とスニーカーの頃」に次いで、同グループ史上3番目である。財津サンの卓越したメロディワークと、松本隆サンが描く色使いも豊かな切ない歌詞、そして姫野サンの甘いボーカルが見事に調和した珠玉のポップソングだった。

松本隆と財津和夫を繋ぐミッシングリンク、ビートルズ


 きみの眼の向こうに
 青い海が見えるよ
 すきとおった波が
 すっと零れおちるんだ

実は、チューリップの楽曲で、メンバー以外が作詞したのは、松本隆サンが書いた「夏色のおもいで」唯一曲である。そのオーダーがいかに異例だったかが分かるというもの。恐らく、プロデューサーの新田サンは、チューリップを「心の旅」の一発屋で終わらせないために、売れる楽曲とは何かを財津サンに伝えようとしたのではないか。

ただ、1つだけ疑問が残る。なぜ、その役目が職業作詞家として未知数の松本隆サンだったのか。

ヒントがある。
はっぴいえんどが解散した頃、松本サンはやりのこしたことがあったという。それは、敬愛するビートルズになれなかったこと。即ち「売れる」こと。それは、はっぴいえんど時代に追い求めた作家性という “質” だけでなく、大衆の共感を得る “量” も求めることだった。職業作詞家への転身は、ビートルズになれなかった松本隆サンなりの “第2の挑戦” だった。

そう、ビートルズ――。それが2人を繋ぐミッシングリンクではないか。

いわずもがな、チューリップもまた、財津サンを筆頭にメンバー全員がビートルズを敬愛している。これは僕の想像だが、プロデューサーの新田サンは、風の便りで松本サンの“志”を知ると、彼の書く詞なら、ビートルズへの思いを同じくする財津サンも受け入れるのではないかと踏んだのではないだろうか。

名曲は色あせない、令和の夏に蘇る「夏色のおもいで」吉岡聖恵がカバー


 涙ながすなんて
 ねぇきみらしくないよ
 ぼくたちのこの愛
 誰にも邪魔させないさ

結果として、チューリップは「夏色のおもいで」のおかげで一発屋を免れ、ヒット曲を量産するグループとなった。明るいポップソングから作家性のある楽曲まで、その幅広い作風は、まるで和製ビートルズのように映った。

一方の松本サンも、「夏色のおもいで」の成功を起点に職業作詞家への道を歩み出し、数々のヒット曲を量産。作詞家としての総売上枚数は歴代3位を誇ると言われる。ビートルズのように売れる=初志貫徹である。

そして―― あれから48年。令和の夏に、「夏色のおもいで」は亀田誠治サンの珠玉のアレンジで、吉岡聖恵サンが歌う楽曲として蘇った。それは、まるで初めから「いきものがかり」のボーカルの彼女のために書かれたかのように、妙に馴染んでいた。

 きみをさらってゆく 風になりたいな
 きみをさらってゆく 風になりたいよ

そう、名曲は色あせない。
色の使い手、松本隆サンだけに――。


2021.07.15
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カタリベ
1967年生まれ
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